![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/08/c2f57c33ad2bbd4a6724360c8e5bef9e.jpg)
この坂の正式名は「浄心寺坂」といいます
”小石川指ヶ谷町より白山前町を経て東の方 本郷駒込東片町へ上る坂あり
浄心寺坂といふ (新撰東京名所図会)
浄心寺近くの坂なので この名がつきました
また 坂の下には「八百屋於七」の墓所 円乗寺があることから「於七坂」の別名もあります
現在では「お七坂」と呼ぶ人が多勢を占めています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/53/f0e18cc2d2cfcc82b0f0e72651b67c8d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/32/84339bbaeb28abc6d13abdc91b587386.jpg)
天和二年(1682)に起きた天和の大火のあと 恋仲になった寺小姓の吉三郎恋しさに
放火の大罪を犯して火あぶりの刑を受けた八百屋お七
数えで16歳であったといいます
円乗寺の門前に供養の地蔵尊がありました
いまでも参拝客が絶えません
この地蔵尊の存在は以前から知っていました
この日の散策で 偶然にもお七関連の新たな地蔵尊を発見!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/19/d733595f19d2df592e90718486565ea8.jpg)
旧中山道に面した「ほうろく地蔵尊」です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2b/2873a05d62ebc64c96539f5c6ef7ff71.jpg)
寺の由来によると お七の罪業を救うために 熱した焙烙(ほうろく)を頭にかぶり
自ら焦熱の苦しみを受け入れたお地蔵様とされています
いまも昔も放火は大罪です
火災で生命・財産を一瞬にして失ないます
その 放火の罪を犯したお七に対するこの優しさは どこからきているのでしょうか
罪を憎んで人を憎まず
よく耳にする言葉ですが 江戸人の心意気と優しさ ここに極めり!
こう感じるのは このオジさんだけでしょうか?
人と人との関係 人情が希薄でなかった時代だったのでしょうね
お七坂とほうろく地蔵尊のこと、聞いたことがあります。
江戸っ子の心意気これにあり・・・義理と人情、日本人の良さですね。
※当地の区役員研修会で北陸に行ってました。
江戸を愛した、
杉浦日名子さん、若くしてなくなりましたが、
この人の漫画は、品があってすばらしいです、
たまたま今日読んでいました(関係ない話ですいません)
あれだけの火事を起こしながら、それでも江戸の人たちは優しかったのですね。
>江戸人の心意気と優しさ ここに極めり
全く同感です。
ほうらく地蔵様の前に、沢山のほうらくがお供えしてあるのは、そのお地蔵様のお七の痛みの共有の優しさなのですね。
昔祖母は、ほうらくで、豆や、きりこを炒ってくれた懐かしい素焼きのお鍋?です。
でも、ほうろく地蔵尊の事は知らなかったです。
オヤジさんのおかげで知る事が出来ましたよ^^
お七…まだ16歳だったのですね~
なんだか切ないです。
すっかり春めいた東京。
ずいぶん暖かくなったのでしょうね。
拝見しました。
放火という重罪を犯した八百屋お七。
天和の大火で避難した吉祥寺で出会った小姓の吉三郎。
火事になればまた恋しい人に会える。
16歳の乙女心の切なさに同情したのでしょう。
江戸っ子の心意気、気持ちの余裕が生んだ地蔵尊でしょうか。
正直に16歳と言ったために処刑さたとされてます。
真偽はさだかでありません。
テレビでも活躍された杉浦さんは若くして亡くなりました。
彼女ならこの事件、どのような解説をされたでしょうね。
事件後の吉三郎の消息は伝えられていません。
どのような人生を送ったのでしょうね。
寺の和尚さん、江戸っ子たちとのかかわりが気になります。
吉村昭さんならどのように描いたでしょうね。
マッサージを受け腰痛と相談しながらの”歴史散策”です。
暖かくなったらもっと行動範囲を広げたいと思っていますが果たして?
100歳の現役サラリーマン、福井さんの毎日7000~8000歩を手本にしていますよ。