酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

ちょっと変な話

2006年08月10日 | コミュニケーション
神奈川県Y市の係長研修でした



                     ( 研修所の前です )

受講者のS係長が”ちょっと変な話”を紹介しました

スピーチ訓練のなかでの話です


昨年の夏休みの8月でした

係長は 小学3年の息子さんとA市の歩道を歩いていたそうです

アスファルトも溶けそうな暑い日でした 親子でプールの帰りです

少し 俯き加減に歩いていた息子さんが大声をあげました

「あ お父さん お金が落ちている!」

「なに!」

なるほど 道路にお金 そばに寄って見ると500円玉でした

「お父さん 交番に届けよう」

「うん そうだな」

S係長は 我が息子ながら頼もしく 感心しました

”おれひとりだったら しまい込んだかな。。”

”イカン! これが教育だ 交番だ”


ふたりが届けた交番は 警察官が泊り込んでいる形式の交番だったそうです

初老の警官が話を聞きます

なんとも 面倒くさそうな横着な対応だったといいます

しばらくして 信じられないことを言いました

「う~ん 500円か 面倒だな 手続きに2ヶ月はかかるよ(?)

お父さん どうだね 息子の小遣いにしては?」

Sさんは絶句しました

そして 思わず警官を睨み付けていました

これはまずいとでも感じたのか 初老の警官

「わはは 冗談だよ 冗談。。 さ 手続きをしようかね」


みなの前でスピーチ訓練を続けたSさんの結びの言葉です

「この警官 決して冗談ではなかったですね 住民の信頼を裏切る行為です

われわれ公務員は いつでもどこでも見られています 子どもの前でも恥ずかしくない仕事をしていきましょう!」


とき あたかもG県の不祥事が大々的に取り上げられています

研修生一同 心に期してS係長の話に共感していました



           「畑の農夫」 変身しての「講師」の図です(笑)


昨年 やはり受講者の方から伺った「ちょっといい話」の対極の内容でした


根岸の里  その2

2006年08月07日 | オヤジのつぶやき
昨日は暑い日曜日になりました

前夜の土曜日は 会合でお酒を飲み過ぎた気配のため 午前中は休養

涼しい場所を求めて 午後から自転車ででかけましたね またもや根岸の里へ。。



「三平堂」です  入館料600円でした  

2階へ上がる階段で三平さんの声に出会います

「よくいらっしゃいました~」

そして 迎えてくれたのが。。



「よし子さ~ん」と唄う等身大の師匠

思わず 抱きしめたくなる三平さんの笑顔です



先客は 川口市からみえたというご夫婦が一組

浅草から 歩いてきたそうです



熱心に見学されていました


以下は 展示資料の数々です  大きな壜の中には小銭がいっぱい 印籠が架っています




                                                                    



             大学ノートのネタ帳と テレビ ラジオの台本です


  ともかく 人の面倒見がよかった三平師匠  交友関係もさすがに多岐にわたっていました



            いまをときめく 伊東四朗さんの仲人さんを勤めていました



          コロンビア・トップライト  獅子てんや 瀬戸わんやさんと。。


                次の写真の説明文には 感激しました



大先輩の 古今亭志ん生さんの家です  出された座布団を脇においての歓談でした

そんな三平さんの謙虚さを 志ん生さんがこよなく愛したようです



                        座右銘と。。



                       福沢諭吉の”心訓”

                三平さんの 人柄が偲ばれる展示物ですね


         次の写真には 川口のご夫婦ともども声をだして笑ってしまいました




              現在 闘病中のこん平さんの弟子入り志願の手紙です

             米一俵持参しての弟子入りは 本当の話だったんですね

           同封された写真は こん平さんの女装姿 高校の余興?のようでした



            昭和20年代 海老名家で使用していた 日用品です



                      三平さん愛用の品々



               懐かしのコマーシャル特集

      そして 定刻の2時30分 はじまりました「源平盛衰記」の一席です




       昭和54年 イイノホールの満員のお客さんを巻き込んでの大熱演でした

                久し振りに三平落語に堪能しました


       三平さんはデビュー当時 酷評されました 「落語じゃない」「客に阿ってる」

                      「ゲテもの」。。

              マスコミ人気をねたんでの中傷の嵐でしたね

             耐えてこられたのは 家族をはじめ人間の絆でした

                いつの世も改革者は苦労するものです

                   


            川口のご夫婦と写真を撮りあってのお開きです

               眉の下がってるところが似ている?

                     嬉しいですね

          ちなみに 三平師匠の末の息子さんの林家いっ平師匠

                我が息子と 高校が同クラスです


今月20日 奥さんの香葉子さんの原作「ことしの牡丹はよい牡丹」がテレビ放映されます

                「林家三平ものがたり」 楽しみですね


根岸の里  その1

2006年08月06日 | オヤジのつぶやき
○○や 根岸の里の 侘び住まい

落語の「雑俳」にも登場する 俳句の奥義?です

○○には どんな言葉を入れても なんとなく俳句らしくなりますね


江戸の昔 ここ根岸は優雅な地域だったようです

大店の主人たちは こぞって別荘を建て 愛する人を囲っていたらしい

また 大藩の御家人の長屋も そこここに散在していたと伝えられています

そんな歴史を持った 現在の根岸の一角でした




東京都指定史跡の「子規庵」です



建物の周囲は 鬼平犯科帳の「いろは茶屋」が 大挙して出現したかのような錯覚を憶えます


正岡子規は慶応3年(1867)松山で生まれました

政治家を志し16歳で上京しますが 明治22年の喀血後「子規」と号し俳句に熱中します

26年には 芭蕉を慕って東北にも旅行をしています

30年に松山で発刊された「ほととぎす」を翌31年には東京に移しました

「歌よみに与ふる書」を連載 短歌の革新も始めました


「子規庵」には明治27年に移り住み 母と妹を呼び寄せています



                     子規 終焉の間です



伸ばせなくなった左の膝を入れるため 板をくり抜き 特別に注文した愛用の机です



8畳間  かっての句会歌会等の場だったのでしょう

子規生前には 夏目漱石・森鴎外・高浜虚子・伊藤左千夫・与謝野鉄幹・島崎藤村等 友人知人が多く訪れています




明治35年(1902)病状はますます重く 友人等が交代で病床につめたが 9月18日 絶筆の句をかきました

翌19日 午前1時ころ死去

母の呼ぶ声に応えはなかったといいます

享年34歳 満35歳になる直前の若い死でした



絶筆三句のうちの一句です  



元気な頃の一句でしょうか


様変わりしたとはいえ 流石は歴史の街「根岸」でした

JR「鶯谷駅」から徒歩5分の子規庵です

向かいには「書道博物館」があります

豆腐料理で有名な「笹の雪」も近くです



                  文政年間に創業の「羽二重団子」


                そして「根岸の里」その2は ここですね



                        
それにしても 中学・高校の国語の時間で俳句を学んだ私です

当時の「子規」は かなりのオジサン いや失礼ながらオジイさんに思えたものでした

それが 享年34歳!

息子と同年輩ではないですか

さすれば私は。。。


   (ただ)歳重ね 根岸の里の 侘び住まい     どうもすいません










                     










お蔭さんの1日

2006年08月04日 | 無農薬野菜作り
八百屋さん スーパーの店頭で 野菜の姿が少なくなりました

長雨の影響でしょうか 値段も上がっているようです

神奈川県Y市の研修から帰った翌日の畑の様子です

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研修後の畑ほどいいものはありません  頭の中のモヤモヤ感がスッキリ消えてなくなります

オクラ・赤紫蘇・茄子・ミニトマト。。

お蔭さんで まぁまぁの出来具合  梅雨明けのお陰でしょう

さらに。。。



                      中玉トマトに。。




                      かぼちゃにきゅうり。。



恐る恐る掘り起こした キタアカリです (訂正・メイクイーンです コメントありがとうございます

これも お陰さまで全て無事でした


畑10年の歴史を誇る(?)私ですが まだまだ「マグレの収獲」のようですね

ここ O町の農家の大半が 収獲減でした

最大の理由は 今年の長雨です

ふんだんに降り続いた雨のため 苗の根が充分に伸びなかった

渇水時には 死にものぐるいで根を伸ばす苗たち。。 60年前の我々の食料事情と同じです

今回は この”飽食の時代”のため苗も「横着」をしてしまったのでしょう

さらに 大量の雨は 土の中の「養分」をきれいサッパリ洗い流してしまいました

カメ虫・ダニの発生も 無視できません


こんなとき ものを言うのが小まめな「追肥」でした

マグレながら「お蔭さんで。。」と言えるのも 暑さの中でも頑張った 追肥のお陰でしょう


素晴らしい出来具合のスイカ 「縞王」と「タヒチ」です  (Yさんの作品)



11キロの重さがあった「タヒチ」  充分な管理の賜物でしょう



スイカは冷やさず 常温でカブリつくのが 一番ですね

果肉がビッシリ! 甘いタヒチでした



”畑を 続けていて良かった”

ガブリとカブリついて つくづく思う瞬間ですね


そして 良かった~と さらに思ったのが 帰路に寄った孫宅です




譲っていただいた”貴重品”のスイカです

秘かに 割らずにすませる 形だけのスイカ割りでした


彼らと計画中の 夏のキャンプが近づいています

そのときは 思い切りスイカを叩いてやるつもりです

そして 収獲した新鮮野菜をタップリと食べてもらいます


孫たちにも 大きな顔ができました

”お蔭さん お蔭さん”の夏の1日になりました

畑をやっててホントによかったと思ってます

野菜も 人間も似通っている  この発見も嬉しい副産物でした


* ユージローたちは しばらく じじばば宅に滞在することになりました






 
















古豪の風格

2006年08月01日 | 都電 荒川線を誉める
例年になく涼しかった8月1日です

所用ででかけた都電の「梶原」でした

老舗の店の中に掲げられていた1枚の写真です



昭和10年当時の「都電荒川線」でした

荒川線は元々は都営電車・都電ではありません

前身は 明治43年に「王子電気軌道株式会社」が所有していた 私鉄の郊外電車だったのです

王子電車を 略して王電! 近年でも カブト虫にも似た風格ある車体を誇っていました

屋根にポール1本 颯爽とかかげ専用軌道を疾走していましたね~

ポールが 野武士の刀のようでした


この写真のすぐ後からでしょうか

日本は より戦時色を深めていきました

2:26事件は 翌年です

戦時下ではB29の空襲にも遭遇しました

それでも ドッコイしぶとく生き抜いた「王電」でした


下町の 驚異的な戦後復興に果たした 都電の27番線の役割は計り知れません



下町の中心地 繁華街ををゆく都電27番線

都民の「下駄」として愛されていました 

ポールが除去され 新たな集電装置のビューゲル

これは なんとなく”ちょん髷”に似ていて こどもたちの人気の的でしたね

まだまだ 武士の風格を保ってました


この野武士は運もよかったのでしょう

昭和40年代の「都電は車の邪魔だ」運動にも勝ち抜ききました

仲間の40路線は 全て廃止されています


    そして現在!



1枚目の古豪の写真と ほとんど同じ場所からの撮影です    71年後の変貌!

最新の8500型のスマートな車体



車庫で出番を待つ電車群です  近代化された設備と万全な安全対策

よくぞここまで。。の感しきりの私です

関東大震災 大空襲の大波をくぐり抜けてきました



人の生涯にも似た 荒川線のアルバムです

これからさき どのようなページが綴られていくのでしょうか


人の一生にも似た 波乱万丈の荒川線です

これからさきも 長く栄えてほしいものです



時代の流れです  古豪も「都電モナカ」になりました

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