酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

根岸の里  その1

2006年08月06日 | オヤジのつぶやき
○○や 根岸の里の 侘び住まい

落語の「雑俳」にも登場する 俳句の奥義?です

○○には どんな言葉を入れても なんとなく俳句らしくなりますね


江戸の昔 ここ根岸は優雅な地域だったようです

大店の主人たちは こぞって別荘を建て 愛する人を囲っていたらしい

また 大藩の御家人の長屋も そこここに散在していたと伝えられています

そんな歴史を持った 現在の根岸の一角でした




東京都指定史跡の「子規庵」です



建物の周囲は 鬼平犯科帳の「いろは茶屋」が 大挙して出現したかのような錯覚を憶えます


正岡子規は慶応3年(1867)松山で生まれました

政治家を志し16歳で上京しますが 明治22年の喀血後「子規」と号し俳句に熱中します

26年には 芭蕉を慕って東北にも旅行をしています

30年に松山で発刊された「ほととぎす」を翌31年には東京に移しました

「歌よみに与ふる書」を連載 短歌の革新も始めました


「子規庵」には明治27年に移り住み 母と妹を呼び寄せています



                     子規 終焉の間です



伸ばせなくなった左の膝を入れるため 板をくり抜き 特別に注文した愛用の机です



8畳間  かっての句会歌会等の場だったのでしょう

子規生前には 夏目漱石・森鴎外・高浜虚子・伊藤左千夫・与謝野鉄幹・島崎藤村等 友人知人が多く訪れています




明治35年(1902)病状はますます重く 友人等が交代で病床につめたが 9月18日 絶筆の句をかきました

翌19日 午前1時ころ死去

母の呼ぶ声に応えはなかったといいます

享年34歳 満35歳になる直前の若い死でした



絶筆三句のうちの一句です  



元気な頃の一句でしょうか


様変わりしたとはいえ 流石は歴史の街「根岸」でした

JR「鶯谷駅」から徒歩5分の子規庵です

向かいには「書道博物館」があります

豆腐料理で有名な「笹の雪」も近くです



                  文政年間に創業の「羽二重団子」


                そして「根岸の里」その2は ここですね



                        
それにしても 中学・高校の国語の時間で俳句を学んだ私です

当時の「子規」は かなりのオジサン いや失礼ながらオジイさんに思えたものでした

それが 享年34歳!

息子と同年輩ではないですか

さすれば私は。。。


   (ただ)歳重ね 根岸の里の 侘び住まい     どうもすいません