酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

犬も歩けば犬○○に当たる

2014年09月27日 | 酒の席


JR中央線 中野駅前に聳える「中野サンプラザ」です

夕方から強い雨が降ったこの日

今年の同期会忘年会の会場下見に訪れました

会場候補のひとつ サンプラザの20階も夜景が映えて なかなかの施設と料理でしたが

昨年が東京スカイツリー隣接の高層会場だったため 幹事3人の意見は今年は居酒屋がよかろう

意見が一致したため 中野サンモール商店街を歩き回り瀟洒な飲み屋さんを見つけました

試飲・試食の結果◎ 会費も手ごろな値段になりました


そこで 表題の「犬も歩けば・・」ですが

幹事のメンバーのひとり Iさんが地元中野区の住人でした

お酒を酌み交わしながらの雑談のなかで おっと膝を乗り出す話を聞きました


さきほど視察したサンプラザの周辺ですが戦前までは かの「陸軍中野学校」がありました

中野学校は 陸軍の諜報員養成機関でしたね

市川雷蔵主演の大映映画の強烈な印象が残っています

それは知っていましたが 実は江戸時代

5代将軍綱吉は”生類憐みの令”を制定した犬公方として後世に名を残しました

その綱吉が設置したのが野犬の収容所 その収容所がサンプラザ付近にあったというのです

Iさんの説明によると 住居表示改正前の町の名が「囲い町」

犬を囲っていたそのものズバリの町名ですね

幹事会は即 歴史談義に移行しました


それにしても思わぬ話題の習得でした

”かねやす”迄が江戸のうち 現在の文京区本郷3丁目までが江戸だったようですが

果たして 当時の中野は?

新宿(当時のにいじゅく宿場)から かなり離れていますからね

野犬たちは 住み慣れた江戸を離れ 甲州街道を運ばれてきたのでしょうか


それにしても やはり歩いてみるもんです

”犬も歩けば棒”ならぬ”犬も歩けば犬公方に当たる”

思わぬ収穫のあった忘年会幹事下見になりました



米 弥生といい 囲い町といい 歴史ある町名が消えかかったり消えたり まことに残念ではあります 米

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に歴史が好きなんですね (清遊人)
2014-09-27 20:43:33
この文章を読んでいて、アフリカの「ルーツ」キンタクンテを思い出しました。300年前の話を思い出し、思いを寄せるなんてすごいです。人の名前はあまり変えられませんが、地名はドンドン変わっていきますね。生類憐みの令は正しいのか悪法なのか判りませんが、動植物は可愛がらなければいけませんね。(可愛い過ぎは困りますが)
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Unknown ()
2014-09-27 21:43:36
陸軍中野学校のどろどろ?した話は知っていましたが、まさか綱吉が出てくるとは・・・
歴史って面白いですねー
「囲い町」はなくなっているのですか?
残念ですねー

お話にワクワクしています。
また教えてくださいませ。。
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清遊人さんへ (オヤジな私)
2014-09-28 08:56:31
おはようございます。
今日も快晴、どちらへお出かけでしょうか。
古い本が溜まりましたので、ブックオフで売ってきます。

テレビのキンタクンテは見ていました。
黒人のルーツを探る番組でしたね。重いテーマでしたが、グイグイ引き込まれるテーマでしたね。比較されるまでもない文章ですがありがとうございました。

生類憐みの令。
この令のお蔭かどうかは不明ですが、関ヶ原の役以来蔓延していた武士による殺伐とした事件は明らかに減少したと言われています。
ひょっとすると、綱吉は太平の江戸時代の基礎を作り上げた名君かもしれません。命の大切さを説いた?

歴史は解釈のしようによっては、いかようにも変わっていく不思議な「玉手箱」ですね。
だから好きなのです。
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mさんへ (オヤジな私)
2014-09-28 09:03:46
おはようございます。
快晴の朝ですが、カープの連続逆転負け!
2位のお尻に火が付きました。半分だけ爽快な秋晴れになりました(笑)

まさか中野で綱吉に「出会う」とは!
検索したら、犬の像があったり。
驚きました。

半藤一利さんには及ばずとも、歴史探偵を続けていけば、まだまだ不思議発見につながるかも・・ですね。

おまけでしが、新宿区はエライ!
町名は昔のまんまです。
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歴史ある (ぐり)
2014-09-28 15:33:43
町名が消えてしまうのは残念ですね

綱吉将軍の時代の犬の囲い町ですか

中野サンプラザって聞いたことがあるような気がします

新宿って江戸の時代は宿場町でしたよね

柳島町と言ったら古地図にも載っていなかったのに今ではすごい都会でしょうね
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ぐりさんへ (オヤジな私)
2014-09-28 19:47:10
柳島は、江戸時代には5つの町で構成されてたようです。
以前は都電の終点でしたが、今は聞かれない地名になりました。
さらに向島。昔は湿地に浮かぶような島でした。
明暦の大火後、土を盛って町になりました。ここも都電の終点でした。

サンプラザ中野さんはミュージシャンです。甲府出身で本名が中野。従ってサンプラア中野です(笑)

古地図に関心をお持ちのようですね。
私も地元の古地図を持っています。
江戸時代は村の戸数70軒ほど。
隔世の感です。名産は菜っ葉だったそうです。
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なかの (東京老人)
2014-09-29 07:56:33
中野といえば思い出すことがおおくて、
商店街も何度か散歩したことがあります、
ところが何のために中野に行ったか?
肝心のところがオモイダシマセン、

これはこまった。
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計画下見の副産物 (anikobe)
2014-09-29 10:21:12
楽しい計画がまた一つできましたね。
東京に残る旧地名は、本当にその一つ一つの持つ意味が、昔辿りに役立ってくれるものなのですね。

新しい地名で町が新しくなるというよりは、昔が壊れていくことがどこでもよくありますが、会場探しの散策では、探し当てたものが、歴史好きのオヤジな私さんの好奇心を多いに刺激してくれるものでしたね。
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中野 (オヤジな私)
2014-09-29 19:09:40
近くのわりには案外ご無沙汰している中のでした。
かなり変わりましたね。
早稲田・明治をはじめ、平成帝京大学などが進出して学園都市の様相を呈していました。

飲み屋街は健在で頑張っています。
二次会は軽く、ウナギの肝、カブトを提供するこじんまりした店になりました。
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anikobeさんへ (オヤジな私)
2014-09-29 19:18:23
新宿区に残る箪笥町は箪笥職人さんの町。
荒川区の三河島は、家康が三河の丘のようだと言ってつけられた地名でした。新宿以外はほとんど変えられてしまいました。

新しいものを作って古いものを壊していく。
逆に、古いものをそのまま残したのが、いま中高年はもとより、若い人たちにも大人気の「谷 根 千」(やねせん)です。
台東区の谷中、文京区の根津、千駄木を総称しての名称です。これに荒川区・台東区の谷中商店街を含めた界隈は平日でも混雑、賑わっています。

それほどお金もかからない街づくり。
手本になります。

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