![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/93/36c964139fd58243501e0e953a260fde.jpg)
木にもたれ 農家を描く女性がいました
水彩画でした よく訪れるそうです
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八王子千人同心組頭の家です
信長に滅ぼされた戦国の雄 武田一族の子孫です
徳川の代になって 甲州街道の要所としての守りの役を果たしていました
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周辺の農家と比べても それほどの広さではなかったそうです
かまどには 火が入っていました
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江戸時代中期 多摩川を望む台地にあった「綱島家」です
広間型の間取りを持つ茅葺きの民家です
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押し板という古い形式の板などから 建物の歴史が感じられます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f6/bb93bf631c5ed6d95db2fa0b7c07263c.jpg)
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これは なんの道具でしょうかね
そして こちらが「天明家」です
前回コメントをいただいたダイアナ・シールズさんさんのご実家の近くにあった名主さんの家です
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環状8号線が開通するまで 大田区の鵜ノ木村にありました
正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます
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説明役のボランティアの女性
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囲炉裏からの煙は なんとも懐かしさ・郷愁を感じます
鉄瓶の熱い湯からの 桜湯
ごちそうになりました
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我々世代には 泣けるほどの嬉しい品の数々ですね
見学に来た小中学生には?? キョトンとしているそうです
外に出れば 大きな大砲
「午砲」と呼ばれていました
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明治4年(1871)から皇居の本丸で 正午の合図で空砲を放っていました
区部の大部分に聞こえたといいます
土曜のハンドンの語源にもなりました
昭和4年(1929)にサイレンに変わるまで続きました
きょうの おまけです
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一昨日 仲間たちと見学に行った 新橋・汐留地区の超高層ビル
明治5年 新橋~横浜間を走った鉄道の停車場があった場所です
日本の建物も変わりました
100年前が夢のようです
しかし 変わらないものがありました
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日本テレビ前の ミニ畑!
やはり 我々は「土」から離れられない民族のようです
ダッシュ村、訪れてきました。
面白そうです。
私の趣向にピタリ、ヒットしそうですよ。
http://www.ntv.co.jp/dash/village/
日本テレビ系で日曜日夜7時からやっている「鉄腕DASH!」という番組の中のコーナーで、ジャニーズ事務所のTOKIOというグループが農村の生活をくりひろげています。
古民家を再生したり、作物を作ったり。もう何年も継続しているコーナーで、私も楽しく見ています。
驚いています。
この近くでは、以前、脱線事故も起こしています。
油断なのでしょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
よく憶えていらっしゃいますね。
奥様の実家での様子はよくわかりました。
岳父の酒豪の方との語らいは緊張されてことでしょうね。
しっかりとお話を伺っているたぬき猫さんだったんでしょうね。
囲炉裏、自在鉤の光景も浮かんできます。
400年前につくられたせんばこき。
いまでも充分に利用されているというお話はいいですね。
昔の人はいいものを作っていました。
残念!見ていません。
茅葺の家が登場するのですか。
浜通りは、みなさんの地元ですね。
懐かしくご覧のことでしょうね。
pochikoさん宅も旧家ですね。
古い道具がおありのようです。
我が家も長火鉢があります。
子どものころ、銭形平次ゴッコをやったものです(笑)
大映映画、長谷川一夫の平次でした。
(古く懐かしの)
いつかは逆転される試合運びでしたね。
次を期待しましょうか。
しんみこさんも民族館、古い建物がお好きなようですね。
私も、つい想像癖がでてしまいます。
頭の中に登場人物が現れます。
セリフまで考えます(笑)
ま、退屈しない人生が送られそうです。
ほかの人からみれば、単なる変人でしょうが・・(汗)
湯飲みは3つもいただきました。
文字も諳んじてしまいました。
あとは実行だけですね。
時代もゆっくり、のんびりしていたのでしょうね。
製品と、その時代は比例するみたいですね。
こわいエレベーターもない時代でした。
農の血ですか、いいことをおっしゃいます。
なんだかんだと言ってみても我々は間違いなく農耕民族間違いなしです。
60年も農業に無縁だった私がこの嵌りようです。なによりの生きた証拠です。
昔の道具はいいですね。
作った人の息吹きを感じます。
ハンドンは面白いでしょう。
おやじ様の大好きな電車だと思い、悲しい気持ちになっていらっしゃるのでは・・・とお邪魔しました。怪我をされた方も沢山いるのですね・・・。
とても変なコメントですが、「お見舞い申しあげます。」
大きさは違いますが、結婚当時の老妻の実家も山村の茅葺建物でした。そこで生活をした当時を思い出します。
土間のくど(竈)で御飯を炊き、囲炉裏の上から下がっている自在鉤に吊るした鍋、釜、やかんで煮物や湯を沸かし、その炭火で焼き物を作っていました。
夕食では横座に座った豪酒の養父に酒を注ぎ、飲めない酒を受けながら長々話す話の聞き役を務めました。
「これは、何の道具でしょう」については皆さんのコメントで紹介済みですが、実家では動力脱穀機が使われるようになってからも、暫くは種もみをとるのには「せんばこき」を使用していました。種もみに傷のつくことを恐れたようです。
一度試みましたが、一握りの穂を挟んでもみをしごき落とすには相当の力と要領が必要で直ぐに諦めました。
今の町では、毎年神社の注連縄作りの時に、藁の根元の不要な藁の枯れ葉を除くのに使用しています。
約400年前のせんばこきは今もその機能を果たしているようです。
長くなり失礼しました。
研修です。
ご返事は後ほどいたしますね。
ありがとうございました。
今テレビで放送しているダッシュ村、オヤジさんご覧になられた事ありますか?
あれは福島県の浜通りに近い場所で撮影されているようです。
家の中へ入ると、懐かしいもの達。
長火鉢や火鉢も懐かしいです。
たしか…長火鉢、壊れてるかもしれませんが我が家の小屋の2階にあったような気がします。
1点取ってたけど、最初っから勝てそうに見えなかったのはわたしだけでしょうか・・・
さて、気を取り直して・・・、
民俗館めぐりは大好きなおでかけ!おやじ様のおかげで、初めての場所もいっぱいめぐれます。
東北にも、随所に田舎屋や小京都の町並みがありますよ。何度出かけても、楽しいですね。
健康十訓!小粋なお湯のみですね!とってもかわいい!親父様の動く写真もナイスです
騒々しい現代から逃れゆったりとした気分になりますね。
火鉢、懐かしいです。
こういうものを見ると落ち着く年代になりました。
にわか百姓の私の中にも、農の血が秘かに息づいてきてるようです。
ボランティアの方がいらっしゃるってのはいいですね。
囲炉裏のある家は私の憧れでもあります。
火鉢は懐かしいですね。
今は亡き祖母のいい相棒でした(笑)
牛砲というのは見た事ないですが、ハンドンの語源となったってのを聞いて、なるほど~って感心しました。
冷蔵庫も氷を一貫目入れていた木造品でした。
母が嬉しそうに使っていたのをよく憶えています。
新品に飛びついてそのまま捨ててしまったのでしょうね。
実に惜しい気がします。
手作りの道具には人の温もりが感じられました。
子供の頃もそうですが、山のお寺に嫁ぎましたので、そこでは、ここで拝見した道具の数々が使われていたのですよ。
そのとおり、米の脱穀に使用したようです。
当時としては、かなりの省力化に貢献した道具なのでしょうね。
機械の進歩には目を見張りますね。
ありがとうございました。
おこげも嬉しく競って食べたものでした。
会津ご出身の母上を思いだされましたか。
私も新潟出身の母を思い出しました。
洗い張りの細長い板もありましたね。
のりをはって、ゴワゴワ、パリパリになっていました。
障子張りもいまでは懐かしい思い出になりましたね。
昔はモノを大切に扱ったものでした。
申し訳ありませんでした。
一昨日お会いしたO区出身のK氏もよく憶えていた天明家でした。
環八といえば、つい最近ですよね。
実によく長持ちのする家です。
千歯こきのリンク、拝見しました。
詳しい説明がなされていました。
ありがとうございました。
私の家も戦火を免れました。
18年前までは木造の平屋でした。
改築のとき、めずらしいものが沢山でてきました。
ほとんどは、区役所に寄贈しました。
汐留の変化には仰天しましたよ。
おそらく、たぶん、稲の穂をあれですいてモミにしてたんだと思うのですが。
間違ってたらごめんなさい。
子供の頃田舎にあんな風なのがあったと思います。
中学生頃まで、亡母が会津の農家出だったのでご飯を薪で炊いていました。
煮物、焼物は七輪で炭を使っていました。
火鉢、鉄瓶、炭籠、十能、火消し壷と皆懐かしい道具です。
冬は木の樽に白菜漬けを沢山作り、洗濯は井戸端で盥と洗濯板でした。
50年前の生活ですが振り返ると衣食住とも変化したと感じます。
ちょっと母を思い出しました。
天明家、こんなに立派だったのですね。高校がこの近くにあったのですが、時々部活のOBに車に乗せてもらう機会があっても環八が開通していなくて、細道をくねくね通ったのを思い出します。
農具は「千歯こき」ですね。脱穀時に使うものです。
http://www.mus.city.kasugai.aichi.jp/imple_detail.php?id=3095&nu=11&page=1
天明家にある火鉢は実家にあるものとよく似ています(笑)。実家は昭和初期の建物で戦火を逃れた家です。単なるボロ家ですが。
最後の汐留のマンション、知人の家があり訪れたことがあります。別世界です