研修が続きました
9日は川口市に出向しました
埼玉県川口市
かっては 鋳物の街でした
キューポラ・・・ 鋳物をつくるために鉄を溶かす溶解炉のことです
鋳物工場から飛び出したエントツが あちらこちらで煙をたなびかせていました
昭和37年でした
私が社会人にスタートした年です
日活映画「キューポラのある街」が公開されました
まだまだ日本が貧しかったこの時代
吉永小百合 浜田光彦 東野英二郎 菅井きん等が出演していました
中学生に扮した吉永小百合は この一作で多くの「サユリスト」を生み出しました
現在の川口市は人口49万人
完全に都市化されました
鋳物工場のエントツは見当たりません
当時の面影は 庁舎内で展示されていた鋳物の”ベーゴマ”だけです
あまりの懐かしさに しばしショーケースを眺める私でした
30人参加の研修テーマ 今回はディベートです
事前に準備した「テーマ」を各自に発表してもらいます
ディベートは いろいろな約束ごとが設定された討論の「ゲーム」です
30人が発表したテーマから 全員の投票で2つ選ばれました
1 死刑廃止を推進すべし
2 NHK受信料を制度化すべし
このテーマは あくまでもゲームのための課題です
当日は 賛成派が反対の立場になることもありえます
ものごとを 多面的に考える訓練がディベートの長所でしょう
この2題をもって 次回はチーム対抗のディベート試合を行います
いかに主張して 試合に勝つか
説明能力 説得能力を培う研修の成果が問われる2日目になります
キューポラの街の余韻に浸りながら 成果を期待しながらの帰路でした
受信料について不公平さを感じております。
NHK側「払うのが当たり前」と主張しますが、
払わない人がいるのは、やはりおかしいですよね
結果教えて下さいね。
37年から社会人でしたか~
私の生まれた年です(あ~ぁばらしてしまった)
主人はベーゴマで遊んだ年代です
テレビで、昔系が映ると話が止まりません
(お酒の勢いも有りです)
私は多感な中学生でしたが、「キューポラのある街」は残念ながら見れませんでした。
吉永小百合と浜田光夫のコンビで忘れられないのは「愛と死をみつめて」の方です。
あのマコさんも今は本業の傍ら野菜つくりもされているようですよ。
さて、肝心のディベート研修ですが、これは確か前にもお聞きしましたが、自分の考えとは別な立場で意見を述べ合うんでしたよね。
そうすることにより、相手の気持ちを充分に汲み取る力を養うことが出来ると。
しかし、なかなか難しいですね。
どのような流れになるのか次回が楽しみです。
物事を 多面的に捉える! 相手の気持になる。
人間としても 必要なことですね。
こういうことからでも 人は やさしく・・
総てに通じる ことでは・・・。
彼は結局最終を通り、現在地方公務員です。
ディベートは自分の意見を通すばかりではないけれど、持論を勝たせるのがゲームの目的なのですね。奥が深いなぁ…
第2子誕生の後、産休も今ほどなくて、子育てと仕事の大変な最中で、映画どころではなかったのです。
必死で持ち帰った仕事を家でもやっていました。
だから、キューポラは、当時は見なくて、リバイバルで見たような気がします。
ディベートは実際したのでなく、研修で、パネリストが壇上で二つに分かれて討論するのを見る形でした。
面白い試みだと感心しながら学びました。
自分の意見は出さずいかにテーマに沿った考えを述べるか、興味のある形の学習ですね。
そうなんですね。。。
どんな結果になるのでしょう。
明日の報告が楽しみです。
「キューポラ」聞いたことがあります。
映画を見る機会はありませんでしたが、なつかしい言葉ですね。
討論のゲーム。。。
多分私はムキになるタイプだから苦手な研修ですね(笑)
どうのような結果だったか気になります。
私自身、またたくさんの生きるヒント
コミュニケーションのヒントを頂く事になると思います。
楽しみです。
きっと私には難しいものだと思います。
ポンポンと答えが出てこないからです。
私にとって、泣きたいような厳しい研修です。
評価を付けられたら「0点」だと思います。
出来ない人もみえるのでは・・・と思ってしまいますが、
どうだったのでしょう?
相手の言葉をじっくり聴いて答えるのは、
ブログのコメントのようには参りません。
私には不向きですが、どんな会話になったのか
関心があり、楽しみです。
田舎でも変わらない所は野山と農家の並ぶ集落内の狭い道路だけになりました。その狭い道を歩くとほっとするものを感じます。
ディベートのゲームは経験がありません。頭の硬いような自分にはどんな発言が出来るのか、心配なゲームですね。
また,機会があれば様子を知らせてください。
違っていたようです。場違いなコメントを
差し上げてすみませんでした。
誤りもありました。
主人はベーゴマで遊んだのではなく
メンコ、パッチの世代でした。
重ね重ねお詫び致します。