AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

5747:CF-2580

2021年11月25日 | ノンジャンル
 週に1,2回ほどの頻度で足を運ぶ喫茶店がある。中野坂上にひっそりと佇む喫茶店「Mimizuku」である。

 とても古い5階建てのビルの1階にその店はある。同じビルの4階に「オーディオショップ・グレン」があり、「オーディオショップ・グレン」に立ち寄った際にふらっと入ったのが、この喫茶店に通うようになったきっかけである。

 もともとは夫婦で営まれていたようであるが、私が通うようになった頃にはすでにご主人は亡くなっていて、奥さんが一人で切り盛りしていた。

 カウンター席が4席、4人掛けのテーブル席が二つ、そして2人掛けのテーブル席が一つのみという小さなお店である。

 いつもカウンター席に座るが、女主人は寡黙であり、季節の挨拶をするぐらいで長く会話するということはない。珈琲を飲んで30分ほどで店を出ることが多い。

 時代に取り残された感のある小さな喫茶店であるが、ここのカウンター席に座って珈琲を飲んでいると不思議と心が落ち着く。

 時代の先端を行くお洒落な喫茶店とは全く違い、「取り残された」あるいは「誰からも顧みられることがない」といった斜陽感が、人生の最終楽章を迎えつつある私には、妙に心地いいものがあるのであろうか・・・

 一般的な喫茶店のようにBGMは流されていない。カウンターにはSONY製の古いラジカセが置かれていて、その脇にはミュージックテープが入ったのボックスが置かれている。カウンター席に座った客がそのなかから選んで、ラジカセに入れて再生すると、約20分間音楽が静かに流れる。テープの片面が終わると、音楽も止む。

 ラジカセもミュージックテープも亡くなったご主人の遺品のようである。ラジカセは3台あるようで、いずれもSONY製で1970年代の製品である。時折入れ替わる。今日は、「CF-2580」が置かれていた。

 「CF-2580」は1974年に発売された。ステレオラジカセとしては初期のモデルで、この時代のSONYらしくバランスの取れたシンプルデザインである。

 この「CF-2580」の特徴としては、「4スピーカ MATRIX SOUND ONE POINT STEREO」という機能がついていることがあげられる。STEREO/MONO切り替えスイッチをSTEREO側に切り替えると普通のステレオで聴くより音が広がり、サラウンド効果が増すという機能である。

 1970年代、ラジカセは電気製品の花形であった。1974年というと私は小学5年生、地元の上新電機の2階で買えるはずもない、こういったラジカセを飽きることなく眺めていた。煌びやかラジカセは見ているだけで、小さな男の子にひと時の夢を見させてくれたのである。

 コーヒーを飲みながら、ミュージックテープが入ったボックスを手元に引き寄せて、その中身を確認した。

 亡くなったご主人のミュージックテープのコレクションは数百本あるようで、ボックスの中は毎回違う。ジャンルは様々、クラシック、ジャズ、ロック、ポピュラーから歌謡曲まである。

 そういえば、昭和の時代、駅前にあった小さなレコード屋さんにはレコード棚とは別の場所にミュージックテープの棚があった記憶がある。

 ボックスのなかから1本のミュージックテープを取り出した。モーツァルトのピアノ協奏曲第23番と第19番が収録されているものであった。ピアノはマウリツィオ・ポリーニで共演はカール・ベーム指揮ウィーン・フィルである。

 そのA面を「CF-2580」にセットした。A面にはピアノ協奏曲第23番が入っている。ピアノ協奏曲第23番は、第24番とともに、1786年に3回開かれたモーツァルトの予約音楽会のために作曲された。モーツァルトのピアノ協奏曲には名曲が多いが、個人的にはこの23番が一番好きである。

 「CF-2580」の四角いPLAYボタンを下に押し込んだ。かちっという硬質感のある音がしてから、カセットテープがするすると回転し始める音が静かに響いた。


コメント

5746:予想CG

2021年11月24日 | ノンジャンル
 BMW 4シリーズの極端な縦長キドニーグリルは、やはり物議を醸した。声を上げる人の多くは批判的である。

 この縦長キドニーグリルは、3シリーズベースのクーペモデルを展開する4シリーズだから、敢えて冒険をして採用されたものであり、販売数の多い基幹モデルには採用されない可能性が高いであろう。

 その4シリーズの縦長キドニーグリル、私もインターネットで最初にその写真を見かけた時には「こうくるか・・・どうなんだろう・・・」と、やはり当初は拒否反応の方が大きかったが、先日ディーラーの展示車を見た時には、「これはこれで良いかも・・・実車は意外とかっこいいな・・・」と意見を改めた。

 どちらかいうと保守的なイメージの強いBMWであるが、時にアグレッシブなフルモデルチェンジを行う。

 過去にはクリス・バングルがデザイン責任者になっての初めての作品となった第4世代の7シリーズも物議を醸したモデルであった。



 今改めて見てみると、それほどアバンギャルドには見えないが、その当時は「美は乱調にあり・・・」といったその造形に結構驚いた。

 そのアバンギャルドさは物議を醸し、やはり批判的な意見の方が多かった。私も当初は「これはないんじゃない・・・」と思ったが、時間の経過とともに「この灰汁っぽさが、病みつきになるかも・・・」と意見を改め、支持派に回った。

 さて、かつて物議を醸したこともあるBMWの旗艦である7シリーズの次なるモデルの予想CGがインターネットに載っていた。



 この予想CGを見る限り、4シリーズで採用された縦長のキドニーグリルは採用されないようであるが、ヘッドライトの形状が大きく変化している。

 7シリーズは、1977年から発売されている。現行型は第6世代であり、予想CGが伝える次期型は第7世代となる。

 第7世代の7シリーズの注目ポイントは、上下二段スプリットヘッドライトである。上部LEDストライプはデイタイムランニングライトとインジケーターの組み合わせとして機能し、下部はメインヘッドライトユニットとなる。

 あくまで予想CGであるので、実際のデザインがどうなるのかは、まだ未確定ではあるが、これに近いデザインで発売されたなら、やはり物議を醸すであろう。

 私の第一印象は「う~ん・・・かっこいいとは思えないけど・・・」といったものであった。これもまた、過去の例のように時間の経過とともに受け入れる心境になるのであろうか・・・
コメント

5745:考える葦

2021年11月23日 | ノンジャンル
 「Reed」は「リード」と読む。綴りは「Reed」であって、「Read」(読む)ではない。「Reed」を辞書でひいてみると「葦」とあった。別に「楽器のリード(舌)」ともあった。

 「葦」という言葉を見て、反射的に「人間は考える葦である・・・」というパスカルの「パンセ」の中の言葉を思い出した。

 「Reed」はリトアニアのメーカーである。リトアニアは第2次世界大戦後ソビエト連邦に組み込まれ、ソビエト連邦崩壊後の1990年に独立を獲得した国である。

 リトアニアという国も「Reed」というメーカーについても、私は全く知識がなかった。しかし、そのメーカー作る精緻を極めたレコードプレーヤーとトーンアームは、その存在感が半端なかった。
 
 Hさんのリスニングルームに鎮座するレコードプレーヤーは「Muse 3C」。ベルトドライブとフリクションドライブを簡単に変えることができる画期的な構造を持ち、ダブルアーム仕様である。

 2本のアームはどちらも「5T」。「ターレスの原理」に基づいた構造を持ち、アームの位置と動きをレーザー光とその専用の受光部によって制御、駆動するという革新的な特徴を持つ高精度アームである。

 片方の「5T」にはDSオーディオのグランドマスターが、もう片方のアームにはEMTのXSD15LZが装着されていた。



 ReedのレコードプレーヤはPSDの大山さんが製作したH鋼と美しい表面仕上げの木材とががっしりと組み合わされた専用のラックにセットされていた。このラックの2段目と3段目には、EMM LabsとMola Molaのフォノイコライザーアンプが設置されている。

 「もうなんだか眺めているだけでいい・・・」と思ってしまう。下世話な話になるが、このアナログセットだけで1,000万円をはるかにに超える価格である。

 「German Physiks ミニ例会」の後半はアナログタイムとなった。まずかかったのが、デュプレのチェロによるドボルザークのチェロ協奏曲であった。

 グランドマスターで聴き、さらにXSD15LZでも聴いた。どちらも4WDでなおかつサスペンションの設定を「SPORTS」モードに設定したAudiのように、ガシッと路面を捉える力を持ち、エンジンのパワーも余裕綽綽という印象であった。

 透明感ではグランドマスター、情感に訴える力ではXSD15LZが勝っているという感じで、二つのカートリッジがある意味合いが深く感じられた。

 その後も魅力的なレコード演奏が続いた。その中に同じくデュプレのチェロによるベートーベンのチェロソナタのレコードがあった。ピアノ伴奏はバレンボイムである。

 叙情性が豊かで流麗な美しさ溢れる音楽が壮麗と言えるほどに響いた。その俊敏さ、力強さ、そして繊細さは目を見張らせるものがあった。

 アナログタイムの白眉は間違いなくこの1枚であった。その後デュプレを襲う病魔の予言とも思えてしまう悲劇的なピアノとチェロの響きは、真に胸を打つ。



 私も思わず頭の中で「来年BMWの5シリーズを買い替えるつもりだったけど、それをあきらめたらReedのレコードプレーヤーとアームが買えるな・・・」そんな妄想で頭のなかを一杯にしながら、「German Physiks ミニ例会」の終わりを迎えた。
コメント

5744:システム400

2021年11月22日 | ノンジャンル
 コロナ禍が始まるまでは毎年1回開催されていた「German Physiks 友の会」は、昨年と今年は中止となった。

 ワクチンの効果か、日本では新型コロナの感染者数が最近大きく減少した。東京都でも1日の新規感染者数が20名ほどまでに減ってきた。

 そこで大人数を集める「友の会」ではなく、参加者をぐっと減らし「German Physiks ミニ例会」が10月、11月、12月の3回に分けて行われることになった。

 第1回の「ミニ例会」はすでに先月執り行われた。そして今日第2回の「ミニ例会」が行われた。その「ミニ例会」に参加させてもらった。参加者は全員で6名であった。

 場所は、広さが50畳ほどはあろうかと推測される広く豪華なHさんのリスニングルームである。その広さ、構造、内装、どれをとっても非日常というべきか、現実的な枠を一切取り払った豪華さに溢れている。

 リスニングルームの製作は2年ほど前とのこと、GRFさんの部屋を参考にして、PSDの大山さんが施工管理をしたもので、その徹底したこだわりに真のマニア魂を感じた。



 そして、この広く豪華なリスニングルームの空間を埋めるようにジャーマンフィジックスのDDDユニットやPSDのサブウーファーが、複雑に陣形を組んでいた。

 特に目を引くのが、前方のスピーカーシステムである。PSDのサブウーファーの上にDDDユニットが三つ連なっているのである。トルバドール80とトロバドール40が合体したそれは「120」と命名されていた。

 この「120」・・・単に80+40ではないことは、後ほど聴いた音で証明された。後方にはさらに巨大なPSDのサブウーファーの上に「80」がそれぞれ乗っている。

 つまりDDDユニットの数は全部で10個ということになる。「120+120+80+80=400・・・『システム400』ということになるのであろうか・・・」頭の中に数字が飛び交った。

 「システム400」を駆動するのは是枝重治氏が設計製造した数多くの真空管アンプである。デジタルの送り出しはメトロノームのセパレート。そしてアナログはReedというリトアニアのメーカーの高精度なレコードプレーヤー。ダブルアーム使用でアームもReed製。

 リトアニアという国のことも、Reedというメーカのことも、残念ながら私は全く知らない。しかし、その製品が持つただならぬ存在感は視線を惹きつけるのに十二分であった。



 部屋の豪華さと、その部屋に居並ぶオーディオ機器の精悍なオーラに圧倒されながら椅子に座った。第2回「German Physiks ミニ例会」は、ショスタコーヴィチの交響曲第15番で始まった。

 音に集中しようと目を閉じた。少し経過したところでGRFさんがおもむろに立ち上がって一旦CDの演奏を止めて、リタ・シュトライヒのソプラノによるモーツァルトの「すみれ」に曲を変えた。

 そして「システム400」のただなかに入っていき、その音に耳を傾けながらDDDユニットの位置を微調整した。とんとんと手で軽く叩いた。動いたのは1,2ミリ程度であろうか・・・

 音の焦点が定まった。すっと何かが静かになった。音を遮るものが消え去ったかのように音にストレスが全くかからなくなった。

 再度、ショスタコーヴィチの交響曲第15番がかかった。先ほどとは別の世界が広がった。「システム400」の後方はイタリア製の美しい石材が壁一面に複雑に組み合わされている。その石材に複雑に反響した音のいでたちは、有機的で自然である。時に繊細で時に雄大・・・こんこんと湧き出る泉のように絶え間なく動き変化する。

 交響曲第15番はショスタコーヴィチが最後に書き上げた交響曲である。ロッシーニの「ウィリアム・テル」や自身の過去の交響曲からの引用が多用されるこの交響曲は、ショスタコービッチの人生の結晶そのものであるかのように、時に輝き、時に陰鬱にねじれ、そして軽妙にステップを踏む。

 ピントがぴったりと合って、時の自然な流れと完全に融合したかのような音楽は6名のそれぞれ2つの耳を魅了した。全楽章を通して交響曲第15番を聴いた。40分を越える時間、この交響曲が描き出す風景を全員が堪能した。

 その後も数枚のCDがメトロノームのトップローディング式のトランスポートにセットされた。「システム400」は音の裏側に潜む情念のようなものもすっと提示する。その質と量は豊富で潤沢である。

 私はフロントがまだ「80」であった頃の音を聴いてはいないが、「120になって格段にCDの音が良くなった・・・」とその経過を知っている方々は話されていた。「120」は単なる足し算の「解」ではなかったようである。

 「German Physiks ミニ例会」の前半は終了した。後半はアナログである。Hさんのリスニングルームのアナログは、リトアニアのReedである。それにスポットライトを当てるのは自身が発光する光カートリッジである。
コメント

5743:提言

2021年11月21日 | ノンジャンル
 小暮さんがまずNAGRA CDCにセットしたCDは、Lisa Batiashviliのヴァオリンによるショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第1番であった。

 才色兼備のヴァイオリニスト、Lisa Batiashviliはグルジアの首都トビリシ生まれである。彼女は、1991年のグルジア動乱により家族とともにドイツに亡命している。

 俊敏闊達なヴァイオリンソロ、オーケストラの豊かな響き、そして録音の素晴らしさが三位一体となって表現されている名演であった。

 Lisa Batiashviliの表現能力はとても高い。協演しているサロネン指揮のバイエルン放送交響楽団も素晴らしい。

 Balanced Audio TechnologyのVK-300Xは、プリメインアンプであるが、その表現能力にはしっかりとしたものを感じた。

 真空管とトランジスターのハイブリッド構造である。それゆえか、温度感は比較的高めであり、ハイエンドオーディオ機器にありがちな高精度ではあるが冷淡な表現では決してなかった。

 「少し濃い目の味付けですね・・・ショスタコーヴィッチの怨念というか暗い精神局面が濃厚に感じられます・・・ソビエト連邦の特に厳しいスターリン時代を生き抜いてきた彼の屈折した精神の暗部がより色濃く感じられる気がしました・・・」と感想を述べた。

 小暮さんは「結構好きかも・・・悪くないよね・・・今日の昼は簡単にカップ焼きそばで済ませたんだ。『マルちゃん 富士宮やきそば』という商品だったけど、その味わいをついつい思い出したよ・・・結構おいしいよ・・・今度試してみて・・・」となんだか話題がすり替わった。

 続いてかかったのは、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番であった。ピアノはクラウディオ・アラウである。このCDは、1989年のレコード・アカデミー賞を受賞している。

 この演奏の時にはアラウは80歳を超えている。しかし、技術的な衰えが気になる訳ではなく、むしろ年輪を重ねた末に生まれた静かで動じない心境を感じさせてくれる演奏である。

 堂々としていて風格を感じる。落ち着いたテンポと確実なタッチがじっくりと音楽に浸らせてくれる。協演のコリン.デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン管弦楽団のポイントを見事に押さえた演奏も素晴らしい。

 「1989年というと、私が結婚した年です。バブル経済の頂点となった年ですが、そんな浮かれ切った日本とは違い、実に落ち着いた名演ですね・・・1989年というと32年も前です・・・結婚して32年・・・我が家の夫婦仲も実に落ち着いたものです・・・32年も経つとね・・・」と私も話題をちゃっかりとすり替えていた。

 「Balanced Audio TechnologyのVK-300X・・・良いアンプですね・・・人気がなくて高く売れないのなら、ショップの常設機器にしたらどうですか・・・セパレートでなくても充分にオーディオは楽しめるというメッセージにもなりますよ・・・このどこかしらバランスの悪いデザインも愛嬌があって良いですから・・・」と私は小暮さんに提案した。

 Balanced Audio TechnologyのVK-300Xが「オーディオショップ・グレン」の常設機器になれば、いつでも懐かしい気分に浸れるという「下心」があっての提言であった。


コメント