AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

4527:鎮魂

2018年08月05日 | ノンジャンル
 旅行の最終日になって、ようやくグアムの空にも太陽が顔を出すようになった。陽光が降り注ぐと海の色合いも明るいものとなった。

 そして、ホテルのプールに響く子供たちの歓声も明るく大きなものになったようである。ホテルでの朝食を済ませてから、ビーチをしばし散策した。

 今でこそ、グアム島は南の楽園という存在であり、日本や韓国から多くの観光客が訪れるが、第二次世界大戦の時には日米の激戦が繰り広げられた。

 その戦闘により18.000人の日本兵が死亡したとのことである。今眼前に広がる穏やかで美しい海の姿からは想像できないが、この海を数多くのアメリカの艦船や上陸用舟艇が埋め尽くしていた時があったのである。



 グアム島の所々には、そういった時代の名残が埋もれていることがある。ホテルの前のビーチにも、日本軍のトーチカの残骸がひっそりと埋もれていた。銃眼となる細長い開口部は左右に二つあり、かなり頑丈なものであった。

 部屋に戻って荷造りを済ませ、正午前にチェックアウトした。空港まで送ってくれるツアーのバスを待つ間、ホテルのラウンジで冷たいものを飲んだ。

 ホテルのラウンジのソファに座りながら、巨大なガラス窓の向こう側に見える椰子の木々や海を眺めていた。

 そのラウンジは空いていた。一人の老人がじっと海を眺めていた。その他には母親と娘と思われる2人連れが軽食を食べていた。

 その老人は姿勢を正して身動き一つしないで海に視線を向けていた。ふっと妄想した。その老人は若かりし日にこの海岸での戦闘を経験し、奇跡的に生き残った。そして、平和な時代になって、時折その地を訪れる。そして、はるか昔に激戦が行われた海をこうして鎮魂の思いで眺める・・・その可能性はいたって低いが、そんなことを思わせる風景であった。



 空港へ送ってくれるバスが着いた。荷物をバスに詰め込んで、座席に座った。数日の休暇は終わった。

 バスですぐに着くグアム国際空港に着いた。幾つかの手続きを経てから、空港のフードコートで昼食を食べながら、飛行機を待った。

 涼しかったグアムを離れて、暑い日本へ帰ることになる。成田空港に着いたならきっと「日本は暑いな・・・」という言葉が出るであろうと思われた。
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