明日から日曜日まで、郡山駅前にあるビッグアイ6階の市民プラザで、「平和美術展」が開催されるので、今日は絵を2点搬入してきた。隣接する立体駐車場に車を止めるのに、なるべく会場に近い方が楽だと思い6階に止めて会場に向かったら、立体駐車場の方が屋根が低いので、ビッグアイに入ったらまだ5階だった。仕方がないので、飲食店の並ぶロビーを、大きな絵を抱えて素通りした。
ネットで歴史の本を買って、昨日から読み始める。ちょうど幕末が終わり明治が始まるところなので、日本が一番変化するところで面白そうだ。数年前NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、同志社大学を作った新島襄の奥さん、八重を主人公にしていたが、日本が江戸から一気に近代化する時代というのは、信じられないほどダイナミックだ。
会津城での官軍との攻防では、スペンサー銃をぶっ放していた八重を見ていると、会津藩というのは自由な気風だったのかなと感じていたが、本を読んでいるとどうやらその反対だったようだ。なんとなくドラマを見ていると、結構勘違いしていることというのは多い。
織田信長が天下を取るのに、銃の重要性を感じて鉄砲隊を作ったのは有名だが、武士というのは鉄砲なんて飛び道具は卑怯な人間の持つものだと思っていた。会津藩などは特に武士としての誇りの高い地域だったため、幕末の戦乱の中でも鉄砲隊を作ることを拒んでいたのだ。八重が銃を持つことができたのは、早い話鉄砲なんて足軽か女子供の持つ道具だくらいの認識しかなかったことの裏返しにすぎない。
こういう話を聞くと、オリンピックの柔道が、組手ばかりにこだわる日本の柔道が、いつの間にか世界に通用しなくなっていたのを思い起こさせる。正々堂々だとか卑怯な真似はしないだとか言っている間に、敵はルールギリギリの攻防を仕掛けてくるのである。