おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

個性とイチロー選手

2016-08-09 11:06:42 | 福島

 最近は、会社でも学校でも「個性」を大切になどと言われる。が、「個性」「個性」というわりに、「じゃあ、個性って何」という話になると、突然歯切れが悪くなる。他人と違うことが「個性」だというのなら、この世には同じ人間はひとりとしていないと言っておけばいいのであって、わざわざ「個性」などとありがたがることはない。赤ん坊にだって犬にだって個性はあるのだから、大切にするまでもないのである。

 イチロー選手が大リーグで3000本のヒットを記録した。人はイチロー選手のことを「天才」と呼ぶ。もし、イチロー選手がゴジラ松井以上の体格をしていたら、人は「大打者」とは呼んでも「天才」とは呼ばないだろう。イチロー選手の個性とは、まさしくそこにある。野球選手としては華奢な、まるで陸上選手のような体格で、大記録を作ったことによるのである。

 イチロー選手の体格では、ホームランを量産するのは期待できないだろう。そこで、ヒットと呼べないような内野安打も含め、誰よりもヒットを打つことを実践した。野球をした人なら内野安打と言えば誰でもめっけもんの、ヒットとしてはショボイヒットだと感じるだろうが、イチロー選手は誰よりも内野安打を足で稼いだのである。そんなことが、野球の歴史に残るような大記録につながるなんて、誰ひとりとして考えたこともなかったろう。

 盲目のピアニストと呼ばれる人たちがいる。目が見えないというのは、ピアノの鍵盤を弾いたりスコアを読んだりするのに、とてつもないハンデとなる。が、それを克服しピアノを弾く彼らは、目が見えないということを強力な個性とした。

 ピカソが「青の時代」という青の絵の具ばかりで絵を描いた時期があるが、青という情感を表現したいという欲求もさることながら、貧乏のどん底にあって、最も安価な青の絵の具ばかりを使ったという話もある。

 弱点や欠点を克服すると、それは何よりも強烈な個性となる。逆に言うなら、個性というのはそういうところにしか存在しないということでもある。

イチロー選手が恵まれた体格をしていたら、もっと別の形の大打者になったかもしれないし、盲目のピアニストの目が見えたら、違う形の音楽家になったかもしれない。が、もしかしたら、ごくごく普通の人になっていたかもしれない。それは誰にもわからない。

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