おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

価値の置き方

2022-08-16 08:14:58 | 日記
 日高敏隆さんの「犬とぼくの微妙な関係」は3部に分けられていて、第1部は「動物は何をめざすのか」のタイトルがつけられている。内容はドーキンスによって提唱された「利己的な遺伝子」から始まった新たな生物についての考え方の紹介なのだが、今まで当たり前に信じていたことが、簡単にひっくり返されてしまうことに、色々と考えさせられてしまった。

 昔から「動物は種族維持のために生きている」と言われていたことが、どうやら幻想らしいということが最近の研究でわかって来た。動物の持つ中でも最も美しい「母性愛」もどうやら人間が勝手に抱いた幻想のひとつであるようだ。自然界では同類同士の殺し合いもあれば、子殺しもある程度の頻度で行われている。種の保存のために生きているとしたら、我が子だろうが他人の子だろうが、殺すことは最も避けたいことである。

 もし、個が集団のために生きているのだとしたら、その種全体に維持していくためのシステムが存在することになる。ところが、その体系が大きく複雑になるほど、そんな全体を維持するためのシステムを作ることは難しくなってくる。

 そこで日高さんはシステム工学の専門家と動物行動学者の共同で、「自律分散システム」というものの研究会を立ち上げる。それは全体を管理するセンターのような包括的なシステムを想定するのではなく、個がそれぞれに自律的に動くていくことで、センターがなくてもシステム全体がひとつのまとまったものとして機能して行くというものである。

 で、研究は最終的な結論には至らなかった。動物にはそれぞれの個体に、それぞれの遺伝子がプログラミングされている。個体は常に環境への適応度を最大化しようと行動する。コストも計算し、時は遠回りしながらも最善の道を探って行く。そこには全体が維持、統合、存続させて行くような原則はない。それでも、世界はうまく行く。なぜ、それでうまく行くのかが研究の目的であったが、数式に表すことができなかったのである。

 ただ、この研究は画期的で、動物の世界が中央集中的システムではなく、自律分散型のシステムで動いていることは疑いようがないように見えることである。動物は種のために何かを目指しているのではなく、自分の適応度を上げようと、つまりは少しでもより良く生きようと努力しているだけなのである。

 日高さんは書く。「人間もまた同じである。世界の平和をめざすなどといっても、平和はどこにも実現されてこなかった。人類もまた自律分散システムであるとすれば、それは当然のことなのであろう。われわれは価値のおき方を変えねばならないのかもしれない」
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