おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

嘘も方便

2018-05-23 11:28:47 | 日記

 小さい頃は嘘をついてはいけないと教えられる。嘘つきは泥棒の始まりとも言う。嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれると告げられる。子供はそのことに震え上がり、嘘はいけないことだと肝に銘じる。が、何が何でも正直でなければならないかと言うと、大きくなるに従ってそうではないことを学ばなければならない。

 例えば、家族で出かけたレストランで、子供が便意をもよおし、「ママ、ウンコ」と大声をあげれば、ほとんどの場合、大きな声を出すんじゃないとたしなめられるだろう。嘘をついてはいけないと教えられた子供にすれば、ウンコがしたいのにしたいと言えないのはおかしいと考える。そこには他人への共感性というものがあり、食事中に横で「ウンコ」と言われたほかのお客さんが気分を害することを察しなければならない。どんなにウンコがしたくても、自分を抑え母親の耳元でそっと囁かなければならないのである。

 こうした共感性を学ばなかった子供はどういう大人になるかというと、「セクハラ罪って罪は存在するんですか」と開き直る政治家みたいになる。「ボクちゃん、法律に則って間違ったこと言ってないからね」と堂々としている。聞いた人がどういう気持ちになるか、共感性を育てることがないままに育ったいい例である。

 嘘も方便という。が、これも共感性がなければただのデタラメになってしまう。相手のことをおもんばかって本当のことを言わないでいる、というのは大人の態度だが、自分の保身ばかりを考えて自分に都合のいい嘘ばかりをつくのは、ただの言い逃れであり、この場合は嘘も方便とは言わない。

 共感性というのを育てるのは難しいようだ。その証拠に、官僚とか総理大臣とか、学長とか監督と呼ばれるようになったような人たちでも、その発言はそれを聞く人たちの気持ちを忖度することがないのだから。

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