おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

人間の形

2024-09-23 14:02:13 | 日記
 アメリカの優れたドラマに与えられるエミー賞を、日本を題材にした「将軍」が多数のジャンルで受賞したというニュースが流れていた。プロデューサーで、主演も演じた真田広之さんが、これからもどんどん時代劇を作っていきたいという話をしているのを聞き、なるほどなあと納得するところが多かった。

 ここ数年、昔は見なかった時代劇を、割合たくさん見ている。きっかけは真田広之さん主演の「たそがれ清兵衛」を見てからだ。それ以来、時々時代劇を見たくなっている。というのも、現代劇と違って時代劇という昔の日本を舞台にするドラマでは、登場する人物たちの姿がはっきりしているから、安心してドラマの内容に没頭できるからである。武士といえば、豪胆で肝がすわり、義に厚く意志を曲げないといった性格で描かれる。これが現代劇となると、あっちで悩みこっちで悩み、一体何を考えているのかよくわからない人物像で描かれることが多い。たまに時代劇に登場しそうな典型的な人物像が登場すると、「そんなやつ、今時いるか?」となってしまうのだ。

 そういうこともあって、きっと映画やドラマを作る人たちにとって、時代劇のようなひとつの人間の形が確立した世界を舞台にするというのは、作り甲斐があるんじゃないかと思う。そうした人間の形が世界で認められれば、いずれ時代劇は世界のスタンダードにもなっていくだろう。

 で、ふと思い出したのが、武士のような完成した人間像と反対の人間の形である。有名なのはシェークスピアの「ヘンリー4世」で登場するフォルスタッフという肥満の老騎士だ。シェークスピア作品の中では、ハムレットと同じようにファンが多い人物だ。「臆病者で大酒飲みで強欲、狡猾で好色だが、限りないウィット(機知)に恵まれ、時として深遠な警句を吐く。戦場には参加するのはビリッカス」という憎めない人物として描かれている。有名なセリフは、「名誉だと? そんなもので腹がふくれるか?」

 これによく似た人物像は、日本にもいる。漫画家の水木しげる作品に登場する「ねずみ男」で、自分の欲のためには平気で仲間を売り、身に危険が迫れば誰よりも逃げ足が早いという最低の人間(半妖怪)だが、もし水木作品にねずみ男がいなければ、今ほどの人気はなかったんじゃないかと言われている。

 どうして、こういう人間としては最低と思えるような人物像が昔から愛されるのかと考えてみると、人間が人間になるための努力に多くの人はストレスを感じているからかもしれない。人間の大脳新皮質の役割は、ものを知覚したり、運動を制御したり、計算や推理をしたりするなどまさに「知性」をつかさどる器官であり、この大脳新皮質が発達したことにより、人間は道具や言語を自由にあやつることができるようになった。赤ん坊は真っさらな大脳新皮質で生まれてくるし、大脳新皮質がほとんどないヘビやトカゲは悩むことはないというから、人間らしさとは、大脳新皮質に蓄積される経験や環境、知識によって作られているということになる。

 そういうことなら、僕たちというのは、武士などの確立された人間像とフォルスタッフやねずみ男のような大脳新皮質に支配されていない人間像の中間で、フラフラしている存在だということもできそうだ。
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