おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

意外と正しいのかも

2024-09-17 11:11:45 | 日記
 最近気になる言葉遣いに、大したことがないのに大袈裟に「神」を付けたがるということがある。ちょっと面白いドラマの回に「神回」と言ってみたり、お客の対応が良かった時に「神対応」みたいに、神様の大安売りみたいなところがあって、今時の神様の地位は落ちたなと感じていた。

 ちょっと前は「神」ではなく「鬼」だった。「鬼」では物足りなくなり「神」へとランクアップさせたのだろうが、どちらかというと「神」をこちら側にランクダウンさせたというのが正解だろう。

 と思っていたら、今読んでいる「本居宣長」に面白いことが書いてあった。宣長さんは大昔の日本人や日本語のことをずっと考えていた人だが、日本には神代(神世)の時代というのがあったという。それだけ聞けば、ギリシャ神話のようにポセイドンやらヴィーナスやらといった神様の存在を想像してしまうのだが、宣長さんのいう「神代」というのは、現在の人間が存在する以前の世界のことだという(僕が間違って解釈しているかもしれないが)。

 日本の神代とは、そういった人格神の活躍していた時代のことではなく、昔は山にも大きな木にも巨石にも、ありとあらゆるものが神だった世があるというのである。「八百万(やおよろず)の神」という言い方をすることもあるが、800万の神様がいたというのではなく、ありとあらゆるものが「神」だという意味である。神代の時代とは、苔だって狐だって風だってすべて神だったということだ。

 で、宣長さんが注意を促すのは、もともと大昔の日本人はそういったものを「かみ」と発音していた。そこに中国から文字が伝わってきて、「かみ」にどの字を当てるかというので、なんとなく畏れ多い人智を超えた存在としての「神」という文字を採用したのである。

 が、一度「神」という字が採用されてしまうと、それまで日本人が口にしていた「かみ」という言葉に、中国語としての「神」という意味合いが加わってしまったのだ。だから、本来「かみ」という日本語には、中国語としての「神」という意味合いはないし、ましてやキリスト教やイスラム教の「神」という概念も含まれてはいなかったのである。

 そう思うと、もともと日本人が口にしていた「かみ」という言葉は、畏れ多い唯一無二の存在のことでも創造神なんかでもなく、なんとなく優れているなあとか、僕らのうかがい知れないものだなあ、という時に使っていたということになる。つまり「神回」だとか「神対応」だとか、普通よりちょっとすごいという「かみ」だったということなる。

 大袈裟な表現だと思っていた「神」という言葉だったが、案外今の人は、大昔の人が使っていたように「かみ」という言葉の使用法をしているのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする