岩波ブックレット「福島 原発震災のまち」を読んだ。豊田直巳というフォトジャーナリスト、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員のフォト・ルポルタージュである。合計77ページに40枚ほどのカラー写真も入っている。あの3・11の翌日12日午前から福島に向かい、その日は郡山市に泊まって翌日大熊町に入ってから、何回も現地を訪れたその産物、労作であって、一年ほど前に出た本だ。こういう時の写真は、どんな文章よりも印象が強いが、その例を挙げてみよう。
「地震で崩れ落ちた常磐線を取材するJVJAの野田雅也氏 3月13日 双葉町」
「双葉厚生病院前で毎時150マイクロシーベルトを計測 3月22日 双葉町」。この映像は病院を背景にして、正面に数値を示すガイガーカウンターを据えている。
6月13日、相馬市のがらんどうの牛舎に、4月18日には死んだ牛、死にかけた牛の牛舎は南相馬だ。そして何よりも僕の目が引き寄せられたこれ。「自殺した菅沢茂樹さん(仮名)が、堆肥舎の壁に遺した言葉 6月13日 相馬市」
「突然に人々が消えた常磐線・浪江駅近くの商店街 4月1日 浪江町」にはなにか呆然としたし、3月19日さいたま市の避難者炊き出し行列や、同日同市の避難者「老母を挟んだ夫婦」は、連れ合いが涙を誘われたと述べたものだ。子どもらの映像が3枚と少ないが、彼らの表情を見ながら、今後を考え込真ざるを得なかった。
こういう労作を広めることは、脱原発のエネルギーを己自身にも蓄積していくことになるだろうなどと、考えていた。僕は一夜で読んでしまったが、今は連れ合いがちょっと興奮しつつ読んでいる。大変引きつけられたらしい。
「地震で崩れ落ちた常磐線を取材するJVJAの野田雅也氏 3月13日 双葉町」
「双葉厚生病院前で毎時150マイクロシーベルトを計測 3月22日 双葉町」。この映像は病院を背景にして、正面に数値を示すガイガーカウンターを据えている。
6月13日、相馬市のがらんどうの牛舎に、4月18日には死んだ牛、死にかけた牛の牛舎は南相馬だ。そして何よりも僕の目が引き寄せられたこれ。「自殺した菅沢茂樹さん(仮名)が、堆肥舎の壁に遺した言葉 6月13日 相馬市」
「突然に人々が消えた常磐線・浪江駅近くの商店街 4月1日 浪江町」にはなにか呆然としたし、3月19日さいたま市の避難者炊き出し行列や、同日同市の避難者「老母を挟んだ夫婦」は、連れ合いが涙を誘われたと述べたものだ。子どもらの映像が3枚と少ないが、彼らの表情を見ながら、今後を考え込真ざるを得なかった。
こういう労作を広めることは、脱原発のエネルギーを己自身にも蓄積していくことになるだろうなどと、考えていた。僕は一夜で読んでしまったが、今は連れ合いがちょっと興奮しつつ読んでいる。大変引きつけられたらしい。
オスプレイ反対集会ではあっても、やはりこれは原発問題に繋がることありとの思いの、「フクシマ返せ」「忘れないぞ、福島」といったプラカードもみられました。
IWJの中継を見ての報告です。
Yes側論者としての出席者は、温厚顔の奈良林直氏とちょび髭の澤田哲生さん。
奈良林氏曰く、「原発には五層の防禦があったが、例えばICに水を足すことを忘れた係員のミスなどがこのような結果をもたらした」
これに対して、「各事故調の調査もそのことはまだ不明、としているのに、どうして1人の操作員のミスが原因と言えるのですか」という後藤さんの質問に対して、「原発に携る者はもっと真面目に真剣に取り組まなければならない、そのことを肝に銘じて今後は云々」との答え。
後藤、小倉のご両人は呆れ果て、殆ど語らず。澤田氏も「説明には2時間、3時間必要なので」と黙すこと多く、会場からの質問には、奈良林氏が「フランスはこうした場合には、軍隊が直ちに出動して鎮火させ」といった具合に1人で応対。この奈良林氏の忠誠心に感銘を受けました。
ようするに、原発はたったひとりのケアレスミスで大惨事になることを証明していること、そして事故のどさくさ紛れに強力な軍備を持てば事故は大事に至らないということですね。
Unknown さん、あなたどう思います?