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随筆  「逃げ専門ドッジ」   文科系

2024年07月22日 17時00分26秒 | 文芸作品
 今月の毎日新聞投書欄などで、標記のことが話題になった。「私はドッジが嫌いです」で始まる某記者のコラム「堂々と『ドッジ』しよう」が、その出発点だったという。どういう意味、内容なのか。僕も最近孫のドッジに関わってある体験をしたから、すぐに分かったし、興味深い論議と思った。まず、僕の体験はこうだ。
 四年生になる男の孫、セイちゃんが妙なことを僕に報告してきた。「今日(小学校区の)町内対抗ドッジがあったが、僕は最後まで死なないで残ったよ!」。最近のドッジは四年生ともなると全身を使ってすごい球を投げるまで訓練を積んだ子が居る事を知っているし、ドッジのキャッチボールを頼まれてやったこともあったから、ちょっと驚いたもの。そこで母親である娘に観戦した様子を質問してみた。すると返ってきた返事に、また驚いた。
「全てのボールから上手く逃げるので、周りの大人からこんな声も聞こえてきたりして、にんまりだった。『あの背番号二八番は、いくら投げても当たらないから、狙うのは無駄、効率が悪い。』」
 ドッジが嫌いな子のその気持ちは、よく分かる。野球など特別に訓練を積んだ子の剛速球など受けられないからただ逃げるだけ。自分は相手を殺せないし、ただ死ぬために参加しているだけのスポーツなどちょっと残酷と言えて、楽しいわけなどないのである。そこでセイちゃんは、逃げに徹する作戦に彼なりの楽しさを求めていったようだ。僕がせっかくキャッチの仕方を教えてけっこう上手くもなったのに、その道ははなから放棄して。それにしても、逃げ専門でいつも最後まで生き延びるって、それなりに凄い! でも思えば、このセイちゃん、瞬発力に秀でているのである。立ち幅跳びがほぼ二メートルもあると告げて、「学年一位だよ」と威張っていたから、さぞ素早いステップで逃げるのだろう。
 さて先の毎日新聞コラムおよび投書欄論争によれば、ドッジとはdodgeであり、日本語に訳すと「身をかわす」なのだそうだ。だからこそ先の新聞コラムでは、「堂々と『ドッジ』しよう」と、これが嫌いな子などに手を差し伸べているのである。「ラグビーバックスの走り」のように、一つの立派な個人戦略の勧めというわけだ。

コメント
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