九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

和人の平和ボケは、歴史的なんです。

2005年11月20日 23時33分43秒 | Weblog
憲法といわれる有名なのが、聖徳太子の17条憲法ですね。この17条(日本書紀)を作ったの聖徳太子かどうかわからないのですが、まあこれを読んでも、軍事のことは何処にも書いてありません。でも紀元前4世頃に神功皇后の高句麗遠征があります。これが日本の初めての半島への武力進出の始めでしょう。これでも何も自らが行ったのではなく、朝鮮の百済救援というものでした。また百済の要請で唐と新羅の連合軍と戦って、白村江の戦いで負けてしまって、びっくりして大津天智天皇は都を持っていってしまいます。思っても見て下さい、紀元前からエジプト王朝・ギリシャ・ローマ帝国・シナ大陸では、戦争というか侵略のしあっこの歴史です。そして平安時代には、穢れというのを畏れて死刑制度はなくなるのです。
とにかく日本は、まあ概ね国内の国家統一の為の戦争です。基本的に外国との戦争は、仕掛けられたモンゴル・高麗・南宋連合軍(正確にいうと朝鮮やシナが初めて日本に攻めてきたのです。)との戦いしかないのです。それから340年位たってから、やっと豊臣秀吉の朝鮮侵略が始ります。でもあれも結果、明と李氏朝鮮との連合軍に負けてしまいます。長い長い平和な江戸時代を迎えます。その間に、正確にいうと、16世後半からポルトガル・スペインなどの西欧の侵略が始り、植民地の争奪戦が始ります。カソリックもそれに加担します。日本の西(イギリス・オランダ・フランス)から東(アメリカ)から極東へやってきたのです。北からはロシアが・・。
明治維新前後はまさに東アジアは危機的な状況に置かれていました。その危機を敏感に感じたのが、幕府であり、薩摩・長州・土佐藩の武士であり、豪農・豪商などほぼ全国民がその危機感を持ったのです。でもぼーっとしていたのが清であり、李氏朝鮮だったのです。是非せめてこの明治維新までの世界の歴史を(推薦吉川弘文館の世界史年表・地図)眺めて下さい。さあ明治維新が始ります。白人列強への有色人の日本の孤独な戦いが始まります。(続く)



コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴史年表と「ゆでがえる」 ... | トップ | 和人・・の続き »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あなたは、どなた。 (まもるの妻)
2005-11-21 09:50:50
 あなた新顔じゃないですね。尊王攘夷みたいな論調だから「のぶちゃん」かな。

 いよいよ、あなたの得意な日本史講座のはじまりですね。しかし、聖徳太子から明治維新まで「ゆで蛙」

日本人論で一括りはたいしたものだと主人も感心してました。

 これから 日清・日露・韓国併合と目覚めたかえるの暴走が語られるわけですね。 次回が楽しみ。

 体調を崩したらいつでも代筆出来ますから。                     
返信する
歴史は玉手箱 (遅足)
2005-11-21 20:08:57
私の尊敬していた先輩、歴史を勉強した人。

その人の言葉です。

歴史からは、なんでも引き出すことが

出来る。全く逆の結論を出すための歴史の

利用もあるそうです。

歴史を語ることは、今を語ることですから。

さて、なにを出して見せてくれます?

返信する
気になる言葉 (まもるの妻)
2005-11-24 23:12:51
 和人さま 論文の中で気になったのは、列強の東アジアに対応する朝鮮・中国の対応について書かれた

「ぼーとしていたのが、清であり、李氏朝鮮だった

のです。」の一文です。

 わたくしが気になるのは「内容」ではなく「表現」に含まれる蔑視の感情と思想です。

 「新しい教科書を作る会」の目指す教科書にはこん風なんですよね。

          
返信する
8月6・9・15日 (九条)
2006-08-02 12:10:16
8月を迎え・発信を読み返しています。今なお新鮮です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。