松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

誰にも分からない、三重の女子高生の脳細胞。

2015-10-01 16:47:28 | 日記・エッセイ・コラム

 三重の高校生。嘱託殺人が本当に起こったとして。コメンテーターは、若いから判断を誤ったのだと、考えているらしい。あとで考えると、大人になって、価値観が変わるだろう、と考えている。亡くなった女の子の判断も、同意した男の子の判断も、間違いだとその人は考えるだろう。それは浅はかな考えだと、私は思う。

 自分は、うつ状態を経験したことがある。んー、うつかどうかは分からないが、他人には絶対分からない感覚だった。それは薬をやめようとして、3日間にわたって我慢した時、起こった。寂しくて、寂しくて、どうしようもなく寂しい、という感覚だった。そばに家族がいるのに、関係なく寂しい。息子が大学へ戻る時、その感覚は頂点に達した。玄関で見送りして、足りなくて、家の前を行く電車の窓に息子の姿を見つけて見送ろうと思った。「さびしい」と声に出した気がする。家族は、その言葉に反応するはずがない。当たり前の寂しさだと考えるだろう。家族に囲まれていても、どうしようもなく「寂しい」のだ。

 この感覚と似たような気持が、彼女の言う「私は生きる価値もない人間だ」という結論なのだと思う。それは間違っていると、私も思いますよ。でもそれは若いからじゃない。何かが欠けているんだと思う。それは親の愛情かも知れないし、何かの栄養素かも知れない。何かの神経回路かも知れない。いずれ正常な人間が持っている、当たり前のものが、彼女には欠けていたんだと思う。或はもしかしたらマインドコントロールの結果かも知れない。人類はネパールの山々から、深海底まで、地球を離れて月の裏側まで、見て来たが、脳細胞の奥深さには到底及ばない。そんな気がする。

コメント
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