棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

チベットの空

2020-01-27 15:46:20 | 山郷の暮し
3創作の根底

創作意図の根底をなしているヒマラヤの体験ですが、ヒマラヤのトレッキングは1970年後半の30代半ばだった。
それまでは、お釈迦様の生まれ育ったインドでどうして仏教が衰退してしまったのか、という疑問解決の糸口を見出さんとインドの仏跡を中心に旅をつづけていた。
論理的ではないがヒンドゥ教に飲み込まれてしまった要因として、仏教の寛容精神が彼の地の過酷な自然環境に適用できなかったのではないかとかんじた。
つまり、人々は絶対神てきな強力性を求めているのではなかろうか。
浅学な私がのたまわれる問題ではないが、現場を踏んで感じたことだ。

そのインドの放浪からネパール・ヒマラヤに興味を持ったのはヒマラヤ山脈ではない。
知人のヒマラヤ遠征の記録写真を見た折、何ともおどろおどろした仏教壁画をバックにした記念写真にビックリしてしまった。
それが何処にどのような環境にあったのか聞き及び、わたしもチベット仏教圏に行こうとおもたのだ。
それまでのチベット仏教の知識はチベットであり、当時の中国では入域禁止であった。
それが、ヒマラヤの寒村に点在していると知ったのだ。

1970年代はネパールも半鎖国的で、ヒマラヤの寒村に入るには個人的には許可が出なかった。
遠征隊の学術調査員として参加をし、朽ち果てた寺院{ゴンパ}などを踏査してきたのだった。
蛇足ですが遠征隊にはリーゾンオフィシャーという目付け役人が同行していた。
ヒマラヤは中国との国境地帯で、決して自由に歩ける地域ではありません。

私のヒマラヤは山登りではなく、チベット寺院を訪ねることであり、必然的に5000メートルの峠をヒーヒーながら越えることになってしまっただけだ。
面白いことに、記録写真にヒマラヤの高峰写真は誠に少ない。

3-40歳代のエネルギーがあったゆえに、今から思えば危険な体験もあった。

写真は朽ち果てたチベット寺院内の曼荼羅壁画をイメージし、牛乳パックのパルプに曼荼羅を印刻した「チベットの空」
2010年 幅91--高さ130センチ

りゅう王丸曼荼羅

2020-01-21 18:15:40 | 山郷の暮し
昨年珍しく本格的に花の絵を制作したのですが、その一つに我が家の花畑に雑然と咲くアイリスがありました。
散歩コースにも田んぼのあぜ道に様々なアイリスが咲き、写真を撮ったり、スケッチをしているうちに、ヒマラヤで見た花の谷がよみがえってきたのです。
年代的には30歳から50歳中ごろまでですが、20年前になってしまいました。
そもそもこの投稿は「極楽をえがくとしたら・・・」のつもりが、いつの間にかヒマラヤで体感した「破壊と再生」の光景の話になってしまいました。

「破壊と再生 りゅう王丸曼荼羅」として表現してきたと書きましたが、作品を紹介しましょう。


土石流 450-180cm

東日本大震災を描く  820-180cm  2012-2-4
2011-3-11 の東日本大震災を涙を流しながら制作をしました。
You Tube動画編集  Dtaw the TOUHOKU Eatthqake ぜひご覧ください。



2012年 我が家からのみ眼下 「女鳥羽川の濁流・・嵐の後 望月が見える」 130-90cm



破壊と再生--りゅう王丸曼荼羅

2020-01-20 17:47:51 | 山郷の暮し
私の創作の根底をなしているのがヒマラヤでの体験が影響している、と書きました。
巨岩が砕け、水に押し流されて微粒子になり、土や石にかわり、動植物を生み育て全く異なるものへと変わってゆく。
それは生命の循環ばかりではなく、宇宙全体の躍動ともいえます。
ヒマラヤは激変する過酷な自然環境だけに、前記した宇宙的な変容を体感できる気がします。

ヒンドゥー教の最高神であるシバ神は「破壊と再生の神」だといわれます。
新たに生まれ出る時は天地雷鳴炸裂しナニカが・・。
もし極楽世界だとしたら、ふわりと蝶々が生まれ、あざやかな花々が咲き誇る。

写真の作品は数年前に制作をしたものですが、何か物足りなく、完成しきっていませんでした。
アイリスの制作をしている最中にフッと思い出し修正をしたものです。
ヒマラヤの雪解けを体験したことをベースにしたもので、現実にある場所ではありません。

ポコッと浮かんだお天道様。まるで風船みたいだと言われてもかまいません。
現実ではヒマラヤの谷から、お天道様の登るさまを見ることは方位的に難しい。
私の創り上げた空間です。

この作品は自然の動きを宇宙的動きと同化でき、りゅう王丸曼荼羅 であると思えた時に完成に至ったものです。160-130cm

ねずみチョロチョローー鍔

2020-01-16 10:46:48 | 山郷の暮し
今日は本題のテーマから離れます。
写真データーを整理しておりましたら「ねずみチョロチョロ」の鍔写真がありました。
私の収蔵品ではいのですが面白い鍔だったので撮影をしたものです。
確かネズミは銀の被せがされた精巧なものでした。
改めて思うのですが、武器である刀剣に洒落を入れ込む日本人の粋な心意気を感じます。
いまこのような遊び゜「すさび」をあまりかんじませんねーーー。

1-破壊と再生

2020-01-15 14:51:50 | 山郷の暮し
1-破壊と再生
ヒマラヤ遠征のことを書くのが目的ではないのですが、前置き長く目的地は遠いのです。

厳寒が過ぎた2-4月あたりの乾期が登山シーズンで、当然であるが3千メートル以上は真冬である。
花の谷と称される標高3千メートルの谷は、横殴りの雪と氷漬けで色失せたところだった。
迫るV字の上部は7000メートル以上の高峰が覆いかぶさる。そんな斜面を一気に登り、4200メートルのBCに到着。
飲み屋も何にもない谷に一か月以上滞在する。

ドカ雪にテントがつぶされそうになったり、吹き飛ばされたりと大変だったがおもしろかった。
蛇足ですが私は登山家ではありませんから、登山隊の好意と多少の記録のお手伝いでの参加であった。
特に登山テクニックを要しないC1{5000Mくらい}まで登り、どでかてい氷壁には感動をした。

4月末日、登頂成功をしたころは腰まであったBCの雪も地肌を見せ、登ってきた巨岩が折り重なる急斜面は、雪解け水の濁流になっていた。
雪崩ばかりではなく大岩が砕け落ちる。いたるところから水が噴き出て、山登屋たちは「登山よりもやぺーー」と。

3500メートル以下になっると岩の間に「雪割草」を見たときは宝石を見た思いだった。
降るに従い花の種類が増え、中でも背の低いアイリスの群生が出現したのには驚いた。
一見岩だらけの斜面に咲く花々。まさに花の谷、花柄のじゅうたんがひろがっていた。
「極楽を描くとしたらこの光景、この感動だ」と日記に書いた。

昨年の春、我が家の花畑に咲くアイリスを描く中で、まざまざと浮かんだ光景なのです。
やっとアイリスの制作意図ににたどり着いたのですが、その前に「破壊と再生」100号について記しておきましょう。
この作品は昨年の制作ではなく数年前のもので未完でしたが、アイリスの制作の時に突然思い出し加筆をしたものです。

まさに、ひらめきは過去の凝縮の一瞬 と言えます。
前記したヒマラヤでの体験をベースに描いた作品は数多くあり、これからも制作意図の根底をなしていきます。

「満ち満ちる命」110-80センチ 2005年 油彩

きれいではない花の絵制作

2020-01-14 10:23:31 | 山郷の暮し
目を見張るような花柄模様のことを投稿したついでに、今日は昨年描いた花の絵をご紹介いたします。

私はあまり「きれいだ」という意図での花の絵を制作をしたことがなく、強いメッセージをたくせる画題だった。
それはもっぱら「ひまわり」で、それも花瓶に生けられた室内の花ではなく、真夏の日差しに毅然と力ずよく咲く「ひまわり」が主だった。
湧き上がる生命の表現として最大2M角の大作などから、小品までかなりの枚数を制作をした。
中央画壇に出品したおりなど委員から「ゴッホを研究しろよ・・。」などと言われ、内心この人は咲き誇る野の「ひまわり」を知らねーとおもったり・・。
折しもゴッホの「ひまわり」が購入されたころだった。
写真の整理がついていないので掲示することはできなのは残念です。
昔のことはこれくらいにしておきましょう。
2000年の制作 180-160-センチ

昨年は我が家の花畑に雑然と咲くアイリスを描く。
初めてではなく今までにかなり描いてはきたが、自作のひまわりの作品ほど思い浮かぶ秀作は少ない。

アイリスといえばいの一番に思い浮かぶのは、尾形光琳の屏風絵だろう。
展示会ではガラスケース内であったが、屏風のつづれ織りが創り出す不思議な空間が日本美術の独自性を感じた。
そんな空間を生み出せないものかと、何枚も描いてきたのである。

蛇足ですがゴッホにもアイリスの作品があり、おそらく光琳に刺激を受けたりではないかとおもいます。

さて、私のアイリスの作品は制作をしながら思いが煮詰まっていき、思いは20年ほど以前にヒマラヤ遠征に同行したときに遡った。
横殴りの雪と氷から解放された4月下旬、下りついた標高3000mのV字谷は様々な花が咲き乱れ、まさに花の谷であった。
その日の日記には「極楽を描くとしたらこの光景、この感動だ」とある。

ビックリ 布団柄

2020-01-11 16:59:53 | 山郷の暮し
お天道様がピカピカで寝正月の布団が日光浴。
布団干しは暖かさの象徴ともいえる日本的な光景。
ボケーーと観ていると「アレ!!! ミュシャではないか。」と気が付いた。
ご存じの通りミュシャは優れた装飾美術から絵画・彫刻等多彩な芸術家である。
私の制作にも多大な影響を受けている。


{ミュシャとはぜんぜん違うぞ}という声が聞こえそうですが、見た瞬間にそうひらめいたことで詰められてもこまってしまう。
布団柄をよく見ると花の輪郭の色、赤と色の調子が実にいい感じだ。
輪郭線が多彩な色どり、影を付けずに色の濃さで決めている。
言い換えれば単純なプリント柄なのではあるが・・・。



その布団はずっと以前からあったのであるが、シーツに隠れていたりしてわからなかった。
幸い羽毛の布団カバーだったので剥がしとってしまった。
まずは洗濯機に放り込み、物干にかけてさらにびっくりした。
光が透けてさらに美しさがました。
これをどう料理をしたらと乾いてから算段をしょう。

ついでですが30年以前に西ドイツで曼荼羅展をしたことがある。
その応援者の一人に「フトン」という寝具店があった。
ドイツの方だが日本に来た折に布団柄のダイナミックなデザインに見せられ、輸入販売を始めたとか。

その店に行けば、低いベット式に大胆なデザインの布団がかかっている。
室内装飾も兼ねた感じで実に良かった。
すっかり忘れていたことを思い出しました。

令和--年賀状

2020-01-09 10:59:19 | 山郷の暮し
令和最初の投稿です。
正月も終わり通常の動きになっていることでしょうが。年賀状と格闘をしている方も少なくはないとおもいます。
各いう私は一年中お正月気分ですが、中でも一月いっぱいはお正月と決め込んでおります。
とわ申してもそんな気分も薄れ、淡々とした日々になっています。
当然 年賀状の返信もこれからの仕事になりますが、年々おざなりになっていき、枚数も減りました。
当然 いただく年賀状も減ってしまいましたが、勝手なもので少し寂しい気分ですね。

今年も長いながーーい交信の方からいただいておりますが、中で「ブログ心配していました」という書き込みの年賀がありました。
ありがたいですねーー。
心にとめている方がいると思うと、今少し気合を入れて投稿をしなくてはいけないと思いました。

明治の少女の絵--模写

2019-12-23 12:34:19 | 山郷の暮し
 原画のアップ
この絵を画像で見たときパッと浮かんだのはあのポスターだ。
そうです、朝ドラで蘇った「赤玉ポートワイン」の写真である。
さらに、大正ロマンの美少女絵の旗手ともいえる竹下夢二の作品。
そのほか名前は出てこないが、少女雑誌の挿絵など数々浮かぶ。
当たり前ですがそんな時代に育ったわけではないが、昭和半ばまではどことなく明治大正が漂っていたと思います。

手に入れたこの油彩画の作者「すさび良一」も、資料としてみてきた中の一人ではないだろうか。
描きなれた筆の運びに、今でいうイラストレーターではなかったのかと思うのです。
本業の制作からチョットはなれ、遊び(すさび)で描いたかもしれません。

模写をしていて「描きなれているナーー」と特に感じたのは背景の浮世絵です。
塗重ねはあまりなく、さらりとした筆の運びはのびやかである。

情景を想像するのに、明治・大正期には浮世絵などが自然に室内に貼られていたのであろうか。
画面を演出すお膳立てとは思えない背景に、言い難い良き空気、空間を感じる。

私がこの絵の模写を制作したいと、さりげなく始めてしまったが、少し注意不足があった。
それは、キャンバスのサイズが元絵は細長のP-8型であるのに対し、私は手元にあったM-8と幅広である。
それゆえに空間が異なり、少し変えざるを得なかった。

制作中はたいして気にも留めなかったが、完成をし見比べると多少は気になっている。
正直、何とも優しい目つきは描き切れない・・。降参である。
それはともかく、楽しい制作ができました。


17年に制作した「華華成人」F50





ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本