棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

3--模写・・明治の少女の絵

2019-12-21 12:04:58 | 山郷の暮し
3 模写

お絵描きの技術的なことを延々と記とても面白くはないのですが、今少し参考までにおつきあいください。
仕上がった色(表面の色)に至るまで思わぬ色から始まっています。
画家は最後の仕上げの色をイメージして重ね塗りをしてゆくのです。

筆塗りの厚みは0.1-0.2ミクロンくらいだそうです。
下の色が透けてゆくことにより、深い色合いになってゆくのですがこれが難しい。
色付きセロファンを重ねると色が変わっていきます。これとおなじで、実際にセロファンを参考に使うこともあります。
また、溶油との関係や絵の具の軟度などもあり、とても書ききれませんが、画家の技量が問われるものです。

さてこの絵の場合ですが、顔の部分はかなりジンクホワイトを塗り重ねたと思われる。
ヨーロッパの肖像画に見られるつややかな肌の技巧です。
そして、水色系で影などを地塗りとして描いているようだ。
私はこの下地塗はしたことがなく、戸惑いながらの制作となった。
また黒色は使われておらず、おそらく濃いインディゴをベースにした混色であろう。
それゆえにどことなくぼけた感じがする。
それが不思議な効果を生み出しているのかもしれない。
少女の何とも言えない穏やかな情緒ある顔は、現代の美少女とはかなり異なる輝きだ。

3

2-模写

2019-12-15 09:56:36 | 山郷の暮し
2 模写
絵を描く者にとって模写は若いころばかりでなく、生涯続く勉強だ。
私も20歳代から多くの名画を写し取ってきた。
しかし、ヨーロッパの美術館でよく見られるように、天下の名画を目の当たりにして描いたことはない。
40歳代の記憶の中で、ドイツの美術館でそんなチャンスがあったが、正直かの地の画家に気後れをしてしまい辞退したことがあった。

美術書を参考に描いてきたのであるが、なんとしてもわからないのが地塗りの色やタッチである。
それでも多くのことを学び取って来たのである。


話を落札をした明治の少女の絵に戻ろう。
経年の汚れを取らなくてはならないが、その本格的な技術は知らない。
なんとなく全面に薄茶色がかっており、仕上げニスの黄変なのか汚れなのか定かではない。
隅を綿棒にてアルコールや水でこすってみたが汚れらきものはない。
ひび割れた箇所を拡大すれば地塗りの白が鮮やかだ。
また、描かれていない木枠の部分を見ると茶色のニスらしきものも認められる。
使用されている油絵の具だが、よく練りこまれた上質のものと思われる。
明治晩期に日本製の絵の具があったのかわからないが、輸入されたものかもしれない。
色合いが混色をして作り上げた色でもないような・・、私は持っていないものだ。


余談だが、フランスの画材店ではオリジナルの色を作り上げてくれるのだ。
ともかく、使ったことがない色調に少々戸惑ってしまった。
今回、始めて原画を前によくよく研究をしながらの制作であった。
当たり前のことではあるが、描く手順が私とはかなり異なる。
仕上がった色彩と無関係と思われる筆跡があったりし、もしかしたら重ね描きされているのかもしれない・・・。

長らくさぼっていました--模写

2019-12-12 10:52:27 | 山郷の暮し
先日3年ぶりに友と大酒を飲んだ。
とりとめのない話の中でブログの投稿がないので心配をしていた、というのであった。
その彼も、メールなどめったによこさない不精加減は私と同じこと。
しかし、気を付けてくれている友がいると思うと嬉しくなってしまった。
何もしていなかったわけでもなく、それなりに新作に取り組んでいたが、年賀状と同じでブログがめんどくさくなっていたのである。
これは老化現象かもしれぬ。
ということで、目新しい制作で、明治41年作 明治の少女 模写の取り組みをお話しいたします。

暇つぶしにヤフオクを特に目的のものもなく検索していると、自然に絵画になってしまった。
超有名な物故画家の作品が「本当かッ。」と思うような値段で落札されていたりする。真贋の確かめようもないのだが、明らかに偽物または研究のために模写をされたものなどがあったりて
面白い。なかにわが師の作品が往年と一桁違いの安値であったりする。なんだか物凄くがっかりした気分になってしまった。
検索をしているうちに明治晩年の少女の絵があった。
作者は「すさび良一」とあり全く未知の画家ではあるが「いいなーー」と感じた。
全く知らない名前で検索したが不明。「すさび」とは遊びという意味の古語で何とも粋な名前をつけたものだ。

明治・大正時代のポスターやイラスト的な作風であるが、経年からくるひび割れや黄変は当然だがわたくしの好きな赤系の色合いが誠に良い。
この明治の少女の絵も当初は私のみで、注目もされまいと思っていたが、最終日にはぽつぽつと現れたのである。
欲しいと思ってもイクラでもいいというわけにもいかず、上限を決めて夜中の10時頃まで頑張る。
入札者の対抗馬が現れると「欲しいなーー」程度の思いは「」どうしても落とすぞッ」と決意に代わるものだ。
オークションの体験者は誰しもが自分が高揚してゆくを感じるものですが、楽しいひと時でもあるし後から馬鹿をしたと思うこともしばしある。

予算より安く競り勝つことができ、その夜は再び晩酌を始めた。

オークション購入は一種の賭けみたいなもので、品物が届いてがっかりすることがあったりする。
何よりも事前にしっかりとチェックしなくてはならないのが送料だ。
中には頭にくるような送料だったりするので落札前にチェックをしなくてはならないが、絵画となるとべらぽーに高くなってしまうので当方の要望をメール。
幸いに出品者も了承をしてくれ、金のかからない梱包で送られてきた。
オークションで日本人画家の作品を購入したのは初めてで、ワクワクしながら開梱した。
現物を見た瞬間 [この一瞬が肝要で全てが決まってしまうものだ] 明治の可憐な少女に行き会った気がした。
そして、この作品を模写してみようと思い立った。

マムシ

2019-05-12 16:46:49 | 山郷の暮し
犬のハナがけたたましく吠え続けている。
怪しき人間に対した吠え方と違う感じがしたので、覗き見るといつも出入りをしている縁側の土台に向かい飛び跳ねている。
「もしかしたら」という予感があり、鍬を手にする。
いました。でっかいマムシがとぐろを巻いて威嚇をしている。

バシッと頭をめがけて鍬を打つ。
首か吹っ飛ぶ。・・とはいかないのだが、ともかく首の辺りは切れた。
マムシは逃げ隠れしないから、退治はしやすいのだと今までの経験でわかっているが、それでも怖いものだ。
ハナが負けずと吠え立て、噛み付こうとするがまだまだ危険である。


以前にYUO Tub e 「マムシ退治」で投稿しているが、今回はカメラを持っていなかった。

太い胴にもしかしたら子供が居るかもしれない。
と言うのは以前に殺したマムシから7匹も子供が生まれ出た。さらに威嚇のポーズをしたのには驚いた。
というよりも恐ろしくさえあったことを思い出し、水に浸ける。

一時間ほどして「あのまま殺すのももったいないなーー。食ってみるか」と、またまた妙な思いが。
頭を切り落としても、モソッと動き、ギョッとしてしまった。
皮は簡単に引張り剥がせる、と聞いたことがあったので挑戦したが、現実はなかなかうまくいかなかったがともかく剥がした。
それでもモソッと動くのはあまりいい気分ではなかった。


本体は透き通った筋肉質で硬い。
コレはどのように調理したらよいのかわからない。
発想としては蒲焼だが、それもワカラナイ。
ハンマーで叩きやわらかくしなくてはいけないかも・・。
ともかく、乾かしてみることにした。
それ故にまだ食ってはいない。
食えば精力モリモリになったとしても、その性力を使う相手なし。お粗末。



ケッタイなキノコ

2019-05-10 11:30:57 | 山郷の暮し
1週間ほど前になりますが、外の宴会テーブルの下にケッタイなキノコがニョコリ。
そのままで3-4日後のことですが、キノコがごっそりとした感じに増えている。
けっして食ってみようという気にはならぬ風体ですが、何者か図鑑で調べてみた。

抜粋してみますと、春から初夏にかけ、腐食質の多い庭地や空き地、あるいは林内に発生する。
ヨーロッパでは春に取れる最高の食菌としてモレルの名で親しまれるが、日本ではかなりの茸通でも食用になると試していない。
ということから始まっています。

 食えるものなら試してみようと思いたつ。
茎の内は空洞で、全体にもろい感じだ。
油いためによさそうなので、昼飯に野菜たっぷりの炒め物にする。

香りも・味もたいしたことがなく、存在感がないので全部入れる。
正直、多少不安があったので少なめにしておいたのだ。
ヨーロッパでは春一番の珍味らしいが、それらしき味わいはなかった。

さて・・・、この茸の名前は「アミガサタケ」といいます。
編み笠というよりも虚無僧の被るざるの様なものに似ています。
たしかコムソウタケという茸があった気がしますが、図鑑にはのっていません。
老婆心かもしれませんが、コムソウとはチャンバラ映画に登場する、尺八を奏でて諸国を行脚する怪しい存在。
おそまつさま・・・。

食べる気になりますか・・・。

令和元年

2019-05-01 17:32:38 | 山郷の暮し
始まりました。
私も3代目の年号を迎えることになりました。
「令和」と称する商品も賑わしていますが、中国でさっそく登録がされているとは・・。
漢字の生みの国ですからしかたがないとしても、その商魂というかエグサには・・。
さすがに、韓国では意地でも無さそうですね。

お習字をしてみました。
日本中でいっぱい書かれていることでしょう。


白日夢 1945-広島 続き

2019-04-30 16:42:57 | 山郷の暮し
平成最後の日となりました。
政治的には割合と穏やかでしたが、天変災害が続きました。
なんといっても2011-3-11の東日本大震災でしょう。それに続き熊本大地震。
いやいや、忘れたわけではありませんが、阪神淡路大地震が・・。

その度に、両陛下が現地に赴き、被害者の方々と相対したお姿は、感動的でした。
一部の右翼系の勢力が、「膝をつくなどと、あまりにも軽すぎる。もっと権威ある対応で」というような強力な意見があるとか。
私は平成天皇さんは、類まれな人徳者であると思っています。
次の令和天皇も父上をよくよく見習っていただきたいと切に願います。


さて、昨日に続き「白日夢-1945広島」の制作について。
18年の夏になると、この絵が気になりイーゼルにかける。
眺めているうちに、私の作品に時々登場する分身ともいえる「後ろ向きの少女」が浮かび上がる。
シュールな作品にしようと思い立つ。
となると、根本的に変わっていくものがあるはずだが、それが分からない。
ただ、少女を描きこめば幻想的な世界になるわけでもないのだ。

再び筆が止まってしまった。

19年4月。
寒いアトリエも、ようやく筆が取れるようになり、今年最初に制作に入ったのがこの絵だ。
題名も「白日夢」から、井伏鱒二の「黒い雨」が思い起こされ、その題名で制作意図を練る。
問題は向日葵の扱いだった。
誰が見ても悲惨な原爆被害者の図に近いイメージにしょうかとも思い、幾枚もクロッキーをする。

あるとき、宮崎駿の動画を見たとき「この色調だ」とひらめく。
次第にアニメの背景のような明るい色調にかえてゆく。
入道雲から完全な原爆雲に変え、空の色は明るい青空からセピア調にする。

まさにハーハー・ゼイゼイする心境であった。
それは、それまでの幾日かの仕事の積み重ねをゼロにすることで、かなり勇気のいることなのです。
とはいっても、誰も傷つきませんが・・。
ようやく「一応完成」という気になりました。
一応とはこれから部分的に加筆するかもしれないが、全体の様子は変わらないと思うからです。

この間の制作記録は写真・VTRと記録してきましたが、それを見ることはあるのかないのか・・。

四年越しの制作・・白日夢-広島

2019-04-29 17:34:14 | 山郷の暮し
サイズF50(110-90cm)の作品で、私にとってはあまり大きなものではないが、完成とさせるにはあしかけ4年もかかった。

松本市郊外がアルプスを背景に、ざっくりと見える耕作地帯があります。
現在の作物はナニか知りませんが、以前はトマト・ジュース用の畑が、ゆるい斜面に北海道的に一面に広がっている。
始まりは2016年の夏。
アルプス連山が黒雲に覆われ、入道雲がモクモクと立ち上る。
郊外全域に雷雨が暴れ周る。
観ていてゾクゾクしてくるダイナミックな光景だった。
「これは絵になる」と感じ、しっかりと脳裏に焼き付けた。

帰宅一番に制作に入ったわけではなかったが、光景はしだいに育っていき、雷雲ではなく原爆雲となった。
其の時点で初めて制作をする気になり、クロッキーが始まる。
キャンバスが手元になかったので、以前に生徒さんが置いていったままになっているキャンバスの裏地に描く。
裏地にした理由は、生徒さんの油彩の塗り方だと、はげてしまう恐れがあるからだ。
(油彩は溶き油との按配があり、10年もすれば剥がれることがある。重ね塗りにはご注意)

当初は立ち上る入道雲と一面の火の海と化した広島をイメージ。
中央に大きく原爆ドームを描く。
右手前には遠近配置として、向日葵を描く。
描き進むにつれて、原爆被害者のアノ悲惨な絵を重ねあわした向日葵になってゆく。

それも一気には完成せず、16-17年と引きずてしまった。
画家の友は完成したのではないか、と言ってくれたがどうも納得ができずに、アトリエの隅に置かれることになる。


女盛りの美

2019-04-27 11:03:04 | 山郷の暮し
連休の初日、天気はパッとせず幾分肌寒い。
北海道では積雪があったようですね。
この時節珍しいことではありませんが、やはりお天道様ギラギラの方が楽しい。

我が家の桜、昨日の小雨で引きちぎられるように散り、地面は花びらの模様が作られた。
雪が積た白い地面と異なり、多彩な色彩が含まれていて楽しい。

花びらの散った後、焼きレンガ色のウテナ(額のこと)に変身した、若葉に変わる短い期間の桜の美しさだ。
このときの趣をあまり注目されないが、満開時は爛漫と形容できるが、ウテナの美しさは正に、年増の美である。
いやいや、年増といってはかわいそうな気もし、女盛りの美 としよう。
 
わが花の谷の桜も、上部の750メートル以上の集落に移っていきます。
標高10メートルのわずかな高さでも、花の開き方が違っています。
なによりも、周りの花々の色がことなる。
我が家の周りは、山吹の強い黄色に花ももの濃いピンク。そして、ウテナの桜の美。
少し上部の集落は、満開になりつつある桜に、淡い花々である。








爛漫の窓

2019-04-24 10:17:30 | 山郷の暮し
カーテンを開くとバーーと爛漫の花の世界が広がります。
我が家で最も華やかな時節。
開花がなんとなく遅く感じましたが、咲き出したらもう花びらがヒラヒラと・・。
「花の命は短くて・・・。」
今年の花を見てください、写真集。
  

ここ2-3日は25度を超す夏日のような陽気でしたが、今日は雨が降りそうな空模様。
素足ではチョッと冷たく感じる。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本