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棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

86-珍訳源氏-新春の祝い

2009-09-15 09:01:17 | 物語・絵本・童話
    
昨秋完成した六条院に、はじめての新春がめぐってきました。
源氏殿はまさに絶頂期。春夏秋冬と四季の趣を意図とした広大な邸宅には、正妻紫の上をはじめ、愛してきた女たちを住まわせた。
新年の晴れやかさは、後宮をしのいでいたともうわさをされた。
なにせ、遊びつくした源氏殿の趣向は、宮中のようなか固ぐるしさはなく、訪れる人々も、こころから楽しむことが出来た。

源氏殿も女君たちに年賀にまわろうと、化粧をしなおし、まずは正妻である紫の上にいった。
次は、明石の姫君の部屋 に行き、花散里のきみ。玉かずら・もろもろと源氏殿も大変なことです。
新年行事が一段落してから、すこし各下の東の院へ行くと、赤鼻の末摘花・いまわは尼となった空蝉
源氏は女たらしであるが、あとあとの面倒をみている。そこがいい

85-珍訳源氏-光源氏の隆盛

2009-09-14 08:51:19 | 物語・絵本・童話


源氏殿は世間をアッといわせた計画をしていたのです。
もとの彼女であった六条御息所の旧邸を修理して、四町(2万坪)におよぶ壮大な邸宅を造営。源氏殿に関係した姫君たちをそこにまとめて住まわせることでした。
春夏秋冬の四季にふさわしい庭園をしつらえた、四つの邸からなる大邸宅です。
まーー後の大奥のようなものを作り上げてしまったのです。
先に情報は入っていたのですが、これほどの規模だとは思いもしなかった。

84-珍訳源氏-乙女の巻

2009-09-13 08:56:50 | 物語・絵本・童話
この二の姫と、源氏殿の実子夕霧の若君とは、伯母の大宮の手で姉弟のように育てられのが、いつしか愛し合っていたのです。
私としたことが、うかつでした、いつまでも子供(若君12歳・姫14歳)だと思っていた。愚かだった。
女に手の早いのは源氏の血筋みたいなもの、今まで共に遊んできたのに、我が姫のこととなると盲目になってしまった。うかつでした、計画はすべておじゃんになってしまったのです。(処女でないと絶対に帝の正室-皇后 になれなかった)
二の姫-雲居の雁は即刻、目の届く我が屋敷に引き取りました。
いつまでも 子供と思うな 我が娘   おそまつさま

83-珍訳源氏-確執の始まり

2009-09-12 09:28:47 | 物語・絵本・童話
私には娘が二人おり、弘徽殿(こきでん)の女御と呼ばれ宮中にあがっています。
私は一の姫を中宮にと工作していたのに、斎宮さまに先を越され少し面白くなかった。なれば2の姫14歳-雲居の雁を「東宮」の后にしようと計画をした。
さいさんお話をしていますように、権力の座を確保・維持することは並大抵の事ではアリマセン。金・親族・おべんちゃら。あらゆる事を利用しなくてはならず、この構造はズーーとあなた方の時代まで続いているのです。
人間社会の性ともいえましょう。
二の姫と光源氏殿の息子とのあいだにひと悶着がおき、物語を一層複雑にしているのです。
でも、よくお考えください。浮気者の親子とその関係者を語ったら、ソリャーわかりにくくなってしまうもの。源氏物語の人間構成なんてそんなものです。
世紀の駄文を書いていますが、原文の、いやいや、その訳文ですが、いずれも文の美しさ、運びの優雅さはこのこととは関係アリマセンが・・・。

82-珍訳源氏-子供の出世には

2009-09-11 09:26:41 | 物語・絵本・童話
貴族社会では、子供の成長を祝い事で、後見人の地位が問題だとはなしました。
更に母親方が重要で、母方の意見の方が強いということです。
ここが平安貴族社会を観察するのに、大切なポイントといえるのです。

我々は若君を四位につけようと思っていましたが、源氏殿はまだ早いと六位のままでいました。孫かわいさの大宮は(祖母にあたり、私の実母)源氏殿にみっともないと言いましたが「若いときに確り勉強をさせ、家柄や実家の身分で得た官位・官職ではなく、本当の実力で帝に貢献できる人材にしたい」と、大學寮にいれたのです。
若君は成績はいつもトップクラスで、父親・源氏殿もだいまんぞく。そのうえ、養女としてひきとった、御息所の忘れ形見・斎宮さまは源氏殿の思惑通り、中宮に選ばれたのです。
源氏殿は太政大臣となり、私はその下の右大将に昇格しました。彼とはなにごとにつけよきライバルです。政務は多忙を極めましたが、貴族連や部下からの受けもよく、我が評価も源氏殿に負けないくらいたかいものでした。

81-珍訳源氏

2009-09-10 09:24:52 | 物語・絵本・童話
凶兆と占われた昨年は、秋口に入ると神仏への祈りが実ってくれたか、ようやくおさまってきた。
藤壺の院さまの一周忌もおえ、喪服を脱ぎ、春の日を楽しむようになった。

昔頭中将だった私は大納言。一族も三位以上の位につき権力の中枢を占めています。源氏殿33歳の正妻葵の上は妹で、一子(夕霧の若君)を残し亡くなってしまいましたが、我が一族がひきとり、12歳の立派な若君に育っていました。

源氏殿は息子の元服の式を、二条の自分の屋敷でおこないたかったのですが、若君の祖母の大宮のたっての願いで、そのまま故太政大臣の屋敷で盛大におこなわれたのです。
成長を祝う様々な式については今までにかたってきましたが、代え添え役がどんな地位の人かが、今後の出世に関係してきます。それ故に物語でもことさら取り上げられるのです。

80-珍訳源氏-新時代の幕開け

2009-09-09 08:52:36 | 物語・絵本・童話
私の父(もと太政大臣)も他界し、14歳になられた冷泉帝もたいそうおちからをおとしておられた。
正直、私に太政大臣のチャンスがめぐってきたともいえるが、帝の後見人である源氏殿の力も増したということでもある。
 桐壺の院さまも正月から体調を崩され、3月に亡くなられてしまった。享年37歳の厄年(当時の厄年は37歳であった)であった。
皆に好かれお慕いされたお方とはいえ、源氏殿の悲しみようの異常さに、奇妙さを感じたのは私だけではなかった。
正直、源氏物語を読んで「ヤッパリソオだったのか」と、納得行くことごとがあったが、当時は恐れ多い藤壺の尼のことで、ウワサを抑えなくては成らない立場であった。(冷泉帝)



79-珍訳源氏-天変地変の年

2009-09-08 08:41:12 | 物語・絵本・童話
79-藤壺の尼の死
年が明け源氏殿は32歳になりました。
この年の冬は寒さも例年になく厳しく、凍てついた道に牛車は滑る事故が続発し、中には死んだものもいたらしい。まさに交通事故初年といえましょう。
寒さはつづき、冷害の心配がされるなか、日食や月食・奇妙な流れ星と天変地変にゆれた。
陰陽師の占いによると凶兆の年と帝にほうこくされた。厄病が流行り、巷では御幣をそれらしく振り回し金を稼ぐ不埒なものを取り締まるのが忙しいとの報告も受けた。
科学的な思考などまったく無い1000年前。
総てが悪霊や荒ぶれる神がなされることと、善神や御仏に祈った時代です。
仏教だ、神道がなんだという以前の、縄文時代から、イヤそれ以前から培われてきた日本人の心の奥底の思いではないでしょうか。
それ故に、皆様方の時代でもオオはやりとか。ケッコーーではございませんか。

78-珍訳源氏-チョット一言

2009-09-07 09:47:17 | 物語・絵本・童話
平安貴族社会の男女関係には倫理観が欠けているのではないか。となにやら小難しいことをノタマワリそうな方々の渋面が浮かんできますが、先にも話しましたが才能ある男はなんとしても家柄のいい姫をモノにしなくては出世は望めない。
姫としても家柄だけではどうにもならないから、高いくらいの者の後ろ盾がほしい。源氏殿や私のように家柄・位があれば、相手から望んでくるのはあたりまえのことだ。
だいたい倫理観テナモノは、時代によって変化してゆくもので、絶対的な真理ではありません。と、いきまいてもしかたがありませんが・・・。
女の操にしても、問題となるのは帝の后候補くらいで、宗教的に純潔を求められたのは、特別な職として斎宮さまくらいなものだ。
平安時代はあの世に極楽を求めた「浄土信仰」が盛んでしたが、決して厭世社会でなく、逆に真から人間賛歌の時代だったと、視点を変えてみてください。

77-珍訳源氏-松風の巻

2009-09-06 09:58:56 | 物語・絵本・童話
源氏殿の義兄にあたる私は、明石の君のことをまるで身近で観察をしていたようなことを言いましたが、伝え聞いたことから推察をしたにすぎませんが・・・。

当時は、嵯峨の屋敷に琴の名手の君がおられ、川風になく松の音とあいからまった響きは、天上の調べのごとくだとうわさされていたのです。
私もなんとか君にお会いしたいと願ってはいたのですが、政務が多忙を極め、いずれの方の思い女かとさぐっていたのです。
私ら貴族は女のもとに忍んで行くといっても、下世話人のごとくこそこそしたものでわありません。
行列こそ作りませんが牛車に供をつけての忍び。その気になれば身元を明らかにすることなど造作もないことです。わかってみれば、相手が光源氏殿。
誰でもが塀の外でひっそりと調を聞くしかありません。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本