私の父(もと太政大臣)も他界し、14歳になられた冷泉帝もたいそうおちからをおとしておられた。
正直、私に太政大臣のチャンスがめぐってきたともいえるが、帝の後見人である源氏殿の力も増したということでもある。
桐壺の院さまも正月から体調を崩され、3月に亡くなられてしまった。享年37歳の厄年(当時の厄年は37歳であった)であった。
皆に好かれお慕いされたお方とはいえ、源氏殿の悲しみようの異常さに、奇妙さを感じたのは私だけではなかった。
正直、源氏物語を読んで「ヤッパリソオだったのか」と、納得行くことごとがあったが、当時は恐れ多い藤壺の尼のことで、ウワサを抑えなくては成らない立場であった。(冷泉帝)
正直、私に太政大臣のチャンスがめぐってきたともいえるが、帝の後見人である源氏殿の力も増したということでもある。
桐壺の院さまも正月から体調を崩され、3月に亡くなられてしまった。享年37歳の厄年(当時の厄年は37歳であった)であった。
皆に好かれお慕いされたお方とはいえ、源氏殿の悲しみようの異常さに、奇妙さを感じたのは私だけではなかった。
正直、源氏物語を読んで「ヤッパリソオだったのか」と、納得行くことごとがあったが、当時は恐れ多い藤壺の尼のことで、ウワサを抑えなくては成らない立場であった。(冷泉帝)
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