世紀末、この国の芸術を一変させる旋風が起きた。
タンギーの小さな店で。
-エミール・ベルナール
の言葉である。
この「タンギー爺さん」ってのは、誰?

この物語の主役。
パリの画材屋の「ジュリアン・タンギー」で貧しい画家たちを画材の供給や、
生活面でも支援していました。
本の始まりの 行は、娘が ポールセザンヌに宛てた手紙の文章から~
「あなた方芸術家が、「タンギー親父」とお呼びになって親しくして頂いている私の父は、この手紙のことを知りません。・・・中略・・・
失礼ながら、この際正直にか行きますわね。 あなたが溜めに溜めている絵の具代の一切を、一刻も早くお支払いいただきたいからです。 ・・・続く。 」
手紙を出している相手「ポールセザンヌ」がこの物語のもう一人の主役。
さらに、「エミール・ベルナール」「フィンセント・ファン・ゴッホ」
「ポール・ゴーギャン」「ルノワール」と歴史に名を残す巨匠の顔が
ぞろぞろと~みんな この親父のお世話になっているのだ。
この物語、「タンギー親父の店」といえば、パリでいちばん融通の利く
画材屋兼画廊のことを指す。
・・今の時代では、ご存じの画家ばかりですが、
セザンヌ、ゴッホ、ルノワール、マネ~らは 「タンギー親父の店」に
顔を出しているときは売れない画家たちで
代金の代わりに、売れもしない絵を置いて行き、画材を融通して
もらっていたのです。
そして、みんな当時の例の展覧会に出品をつづけていたのです。
そして画家たちには、「画廊」と「画商」が生命線・・・いつか世に出る!
前の項でお話した「印象派展」 ここでもこんな話が。
この「印象派」の名前の由来・・・
第1回 「モネ」の 「印象・日の出」からだと・・・
「モネ」に」ついては 次回以降 改めて・・・

第2回展、ルノワールの「陽光の中の裸婦」
この裸婦の肌の斑点・・・その表現は「光」による色彩の変化なのに・・・
印象派の画家たちは、当時「押し出し式チューブ」の発明により、絵の具と筆とカンヴァスを携えて、戸外へ制作に出かけるよになったのです。
これは従来の、画家の手法をも一変する偉大な発明でもありました。

この絵に対し、世間の批評は・・・死体が完全に腐乱している状態・・・と
痛烈な声が~
マネ、モネも、ルノワール、セザンヌも当時の彼らの絵に対し世間は
新しい芸術としての価値を理解してくれませんでした。
その彼、ルノワールが、セザンヌを紹介してくれた。
セザンヌもまた理解されずに「狂気の画家」と呼ばれていた。
さて、「セザンヌ」との関係で・・・あの有名な作家である「エミール・ゾラ」が
少年時代から親友だった。 小説 「居酒屋」「ナナ」を残す。
こんな1枚が残っている。
ベルナールが描いた、
「エミールゾラに新聞を読み聞かせているポール・アレクシス」

ゾラは、小説「制作」を発表し、その中でひたむきに芸術を求め自我と格闘する新進の画家の人生を描き切った鮮烈な一片を~
その主人公は・・・彼 ? だが、その小説の結末は
制作に行き詰まり、絶望の果て、自作の前で自殺してしまう~・・・・
小説でよかった・・・本人には読ませたくない。
ゾラの思い出話に
「あいつパリへ私を頼って出てきたときに・・
『リンゴひとつで、パリをあっと言わせてやる』ってね」
↓
このセザンヌの言葉は、作品として 現代の世界の美術館の至宝として
また日本の美術館の企画展ではどこかで展示される。 巨匠ですね。


ゴッホとベルナールの話の中に・・・盛んに議論していた・・・
「まったく凄い人だ、驚異的な画家だ。天才だ。化け物だ」・・・・とベルナール。
また他の人の声も、「ほんと、彼は化け物だよ。
あの人が描くサン・ヴィクトワール山の風景画と、リンゴの静物画と、トランプをする人物画と・・・」
ここで話題なっている 絵の鑑賞をしてみましょう。
まずは 彼の言葉
『リンゴひとつで、パリをあっと言わせてやる』
「リンゴとピーチと梨・ブドウ」 「リンゴとオレンジ」 「リンゴとナプキン」




「りんごと籠」

セザンヌは一生のうち静物画を200点以上描いています。
「ヴィクトワール山」
四季折々に異なる表情を見せる格好のモチーフ、この山をセザンヌはあらゆる表現方法を試しながら独自の芸術表現を築き上げていった・・・。



生涯 彼は、油絵で44点 水彩画で43点も。
「カード遊びをする人々」


因みにこの絵
世界の高額絵 現在第2位
320億くらい
じゃ、第1位は 近年話題になった・・・ 「レオナルドダヴィンチ」
「サルバトール・ムンディ」
500億越え・・・


「赤いチョッキの少年」




こんなエピソードを持つ「赤いチョッキ」のこの1枚

*その邸宅は、スイス最大の都市チューリヒの閑静な高級住宅地にある。~
2008年、私設美術館だったこの邸宅で、美術史に残る大事件が起きた・・・
日曜日の夕方、武装した3人組が押し入り・・・
「ゴッホ、セザンヌ、ドガの絵画4枚を奪い去った。被害総額175億は当時
欧州で最大規模の絵画強奪事件。
~見つかったのは 事件から 4年後・・・。 」
実業家のエミール・ゲオルク・ピュールレ この絵の持ち主。
2018年 大宰府市の九州国立博物館で開催
「至上の印象派展 ピュールレ・コレクション」 日本初上陸
この1枚 「赤いチョッキの少年」が
ルノワールの「可愛いエレーヌ」 と一緒に

もちろん 私も 行ってきました・・・
その興奮は ブログ(2018年7月5~6日にアップしています。)
愛妻「セザンヌ夫人」の肖像 夫人の絵も数多く残しています。


「水浴図」


セザンヌの作品 まだまだ~ですが きりがない!
制作中の「水浴図」を背景に~
ベルナールが描いた 「大水浴図の前に座るセザンヌ」

物語は 続き・・
タンギー爺さんは、ゴッホの描く絵に夢中になり始めました。
色がいい、構図がいい、タッチがいいと、・・・手放しで褒めていました。
ゴッホがある時、
何を思ったか、「親父さんの肖像画を描かせてくれ」と言い出したのです。
レストランの一角を借りて、テオ(ゴッホの弟)が買い集めたとかいう浮世絵を
壁いちめんに貼って、その前に父を座らせ、ゴッホは豪快に筆を奮いました。
これが かの有名な最初の1枚です。
↓ これ浮世絵 横に 下にも。

さらに 親父の肖像 2枚目には
「あの・・・歌川広重や豊国も あるのだ。
↓


最初に紹介した画家 「エミナール・ベルナール」の描いた
「タンギー爺さん」の1枚もあります。
「ジュリアン・タンギーの肖像」


「ポール・ゴーギャンの肖像を背景とした自画像」 ベルナール

彼ベルナールの画法は、「クロワゾニズム」
(暗い輪郭線によって分けられたくっきりしたフォルムで描かれた。
ポスト印象派の様式を云う)
画家の妹 マドレーヌをモデルに
「愛の森のマドレーヌ」 彼の代表作

「ブルターニュの女たち」 彼が最も多く手掛けた画題である。


彼ら(ベルナール、ゴッホや若い画家)は セザンヌを『父』として、
この先、セザンヌの「息子」に・・・
つまり、セザンヌ的な視点を持った画家が増えるんじゃないか~
ある日、ゴッホが。
「なぁ親父さん、今度セザンヌがここへ来たら、真っ先に
俺に知らせてくれるかい? 俺が描いているひまわりを、彼に一度
見てもらいたいんだ。

タンギー爺さんは この絵を大事に預かっていました。
冒頭、タンギー爺さんの娘が セザンヌ宛てに出した手紙から始まってから
・・・彼、タンギー親父は
あなたのお帰りをずっと待ちわびていた父は、もういません。
生前、父が言っていたそうです。
ああ、なんとわしらの豊かなことが! ピサロ、モネ、セザンヌ、ゴッホ、
ゴーギャン」、スーラ、ベルナール。
世界中どこを探したって、こんなすばらしい絵画コレクションを揃えた
億万長者はいまい。 わしらは美術館に住んでいるようなもんだ。
もしもこのすべてを競売にかけたらなら~
ああ、考えただけでめまいがしてきた。 」
一生を若い画家に命を捧げたタンギー親父の 物語でした。
遺された作品はすべて競売にかけた・・・結果は完売でした。
びっくりするような安値で・・・・新興の画商ばかり。
二束三文で、ごっそりと落札していきました。
その後の 1枚 1枚 の彼らの絵の 値段は?
画商って商売 思うに・・・・相当の悪 って感じ。