本の続きの第2章目「エトワール」 ドガの物語り
この物語の語りをドガの友人であり画家のエミリー・カサットは
彼女が画家になるためにパリに渡った頃。
メアリーは初めての官展を心躍らせて見物に出かけた~
どの作品を見ても心が動かない。 退屈であくびが出そうになった。
・・・・どれひとつ、ルーブルにある作品を超えてはいない。・・・
その中で、一点だけ、明らかに周囲とは違う光を放っている絵があった。
~たちまちその絵に引き付けられた。
彼女が見た1枚が これ 「競馬‐落馬した騎手」というタイトル。
なんなの、いったい、これは。 つぶやく・・・
それが、カサットがエドガー・ドガという画家の絵を始めて目撃した日だった。
1917年9・27日アトリエで突然倒れたドガは、誰にも看取られることなく急逝した。83年の人生のほとんどを捜索に捧げ、生涯独身だった。
その彼の作品の中に、特異なものが1点。
彼が亡くなった後の倉庫の整理をしている最中、立体物が見つかった・・・
彼は彫刻を制作しなかった~ただ一度限り、この1点を除いては。
蝋で作られた人物像 『十四歳の小さな踊り子』だった。
ブロンズではなく蝋で作っており、サイズも小さい。
正確には「彫刻作品」の前段階、「試作」(マケット)というべきだろう~ と。
ドガは生前、踊り子をリアルに描くために、彼女たちをアトリエに連れてきてポーズをとらせ、一心にスケッチしていた。
~メアリーは彼のアトリエに訪問した時何度かそんな場面に行き会っていたことを・・・。
ドガが生前に発表した、唯一の彫刻作品。
彼、ドガが印象派の画家であることはご存じ。
官展に反旗を翻した勇気ある画家たちの一人ですが、
その中にエドゥアール・マネもいた。
彼のこの絵が猛烈な批判を浴びた・・・・ 「草上の昼食」
この時代、裸体を描くのに「歴史画である」というもっともらしい「理由・言い訳」が
まだ必要であったのに~ この絵は、現実的過ぎる描写の裸体だったのです。
批評家や観客は・・・「いかがわしい」「不道徳」として糾弾!
絵画は「高貴」であるべき時代に、マネは人々に「現実」を突き付けるかたちを。
「印象派」と呼ばれるようになったのは、
「計算しつくされた構図や、歴史的背景、神話、肖像などのありふれたモチーフ
なめらかな仕上げの絵肌を捨てて、見たまま、感じたままを、瞬間的なタッチで
描く。 「印象のままに描いている」 ここが所以なのである。
でも、このマネの絵も・・・じつは 影響を与えていると思われる重要な前例的作品があります。
テイッツアーノ 「田園の奏楽」
ドガは、「瞬間」を描きとるために、踊り子をモデルに雇って、熱心にポーズを
研究し、彼女たちの「一瞬」を「永遠」にするために、膨大な時間を費やし多くのスケッチをもとに、ち密に計算されたのちに作品は制作されたものだった。
もう一度 その作品を鑑賞してみましょう~
「一瞬」の切り取り方・・・動き そして 「永遠」に
バレー作品以外にも こんな作品も。
表現としては、かなり難解? な あいまい?な禍あt地の作品に
「室内」(強姦)がある。
批評家、識者の間で、主題についての論争はいまだに未解決?
ゾラの長編小説の第21章の冒頭に・・・
「ローランはドアを後ろ手に注意ふかく閉め、そしてちょっとの間、
それによりかかって心配そうな当惑した表情を浮かべて、部屋の中を
見つめながら、そこにたたずんでいた。」
さて、そんな一つの見方を参考に あなたの想像を膨らませてみては?
生活、風俗、馬などの絵も多く~
「欲盤(湯浴みする女)」
ちょっと 一緒に覗いているような気分に?
「髪をすく女」
「ロンシャン競馬場」 などの作品も。
最後の行に・・・あの少女の像の彼女の名はマリーは
結局、「エトワール」(星)になることなく、オペラ座を去った~
(晩年のカサット)
メアリーの語る ドガの話はこれでおしまい。
次回は ゴッホ、セザンヌの登場です。