黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

マチスとピカソ

2020-04-06 | 日記
 本の物語りは続く~
 扉に「もしマティスが死んでしまったら、ほかの誰にも話せないことを
胸の中にためこんでしまうことになる。
 なんといっても、私には、マティスしかいないんだ。-パブロ・ピカソ

 
 2人の偉大な芸術家の関係は、芸術家である以前に、大切な友人。
 あの奇人のピカソと、芸術家のマティス。
  絵ではライバルであるが・・・お互いが 刺激しあって。

  作者は 文中で~ こんな

  「それはまだ、ピカソが26歳だった頃、パリのアンデバンダン展で目にした、
 一枚の絵。やがて絵画革命を起こし、時代の寵児となり、芸術のアイコンまで
 昇華する運命を持つ若い画家が、アンリ・マティスという画家の絵に、ついに
 虜になってしまったことを。
  奔流する色彩、のびのびと躊躇のないフォルム、満ち溢れる生の輝き。
 その絵がピカソの前に現れなかったら、二十世紀の芸術は、もっと違うものに
 なっていたかもしれません。 「生きる喜び」 その絵のタイトルです。
  
       

  そして ピカソの あの絵が 生まれてきたのです。

       「アヴィニヨンの娘たち」
        

  普段は・・・
   心から、居心地のいい会話の中でひとときを過ごせる2人なのだ。

前の項で、ピカソの愛人と妻のご紹介をしました。
 もう少し、ピカソの話を続けます・・・

今日は、本文の中に出てくるピカソの作品を・・・彼は生涯、いったいどのくらいの
作品を残したと思いますか? 

 だからと言って、全部 ここにご紹介はできません。 当然のことですが。

 彼ピカソは91歳で亡くなるまでに~
 
 絵画 1885 彫刻 1228 ドローイング 7089 印刷物3万枚
 スケッチブック 150冊
  陶器作品 3222   
      
          
                なんと 4万5000点~  凄い!

  これ 現在の値打ちだと? 下世話な話ですが ・・・

 彼の一番高い絵の1枚「アルジェの女たち」が215億円
           「夢」       175億円

    私が これまで美術館で見た作品だけでも もう、それは「たし算」が
  いやになるほど・・・
  貧乏性、 こんな計算するなんて寂しいですね~ 

 まぁ、それは置いといて・・・

 著者は、この物語の中にピカソの作品を多く登場させています。
 マティスの家に一緒に遊びにいった「フランソワーズ・ジロー」
             

  彼女をモデルに 「花の女」
   この絵 モデルを前にして描いたの~
    完成した後、ジローさん 何といったのでしょうか・・・これが私?
     ま、いいか。
        

  ちなみに 彼女も画家です。
  ピカソ、マチスとのお付き合いの中で、絵についても 影響があったと
 思いますが・・・ どうでしょうか?
  彼女の描いた1枚 
          
   ピカソでもなく、マチスでもなく 彼女の絵
  自画像も残っています。
           

  さて次に
  「鏡の前の少女」  17歳の 恋人のマリー・テレーズ・ウォルター

   人間の二面性を描いた作品
          

こうして ピカソの作品 選んでいくと・・・終わりがない。



 マチスに移りましょう~  彼の強烈な「色彩」感覚を 堪能あれ!
  数ある中から 私流に選んでみました・・・

 「赤い食卓」(赤いハーモニー)
  色彩の爆発とフォルムの単純だ!
   


  「ピアノ・レッスン」
     

   「モロッコの人たち」
          

   「赤いアトリエ」
       
   「待つ」

    

  「青い窓」
           

  彼の「モデル」を描いた作品から 

  「両腕を挙げる女」
  

 「画家とモデル」
    


本章に戻って・・・
 彼の大仕事の一つに アメリカの大富豪、ネルソン・ロックフェラーから
依頼を受けた、ロックフェラー礼拝堂の薔薇窓の為の絵です。

        

  マティスと一緒に仕事した「シャガール」の作品もこの礼拝堂に
        
 
 このような大型の作品は、バーンズ財団の為の壁画「ダンス」が最初で、
 
 

 「ダンス Ⅰ」    「MoMA」収蔵
         
「ダンス Ⅱ」 エルミタージュ美術館収蔵

 のちにヴァンスのロザリオ礼拝堂のステンドグラスや壁画も手掛ける。

 彼の生涯を通じた芸術活動において「調和」というものを絶えず追及してきた
マティスにとってロザリオ礼拝堂こそが到達点であったと・・・・ 

  さぁ、その礼拝堂のある有名な「ヴァンス」に行きましょう。

       

        青い屋根 

  マティスデザイン 12mの尖塔
       

 感想・・・ こんなにモダーンに仕上げてしまう・・・
      任せた方もすごい、マチスの造形と色彩の妙~ただただ感服!

       

       

   単純化された 「聖母」   
       

  このステンドグラスに名づけられたのが「生命の木」
     その前に座るマティス

  「なんと表現したらいいのでしょう。
    それはまさしく、天上の光。 やわらかく、祝福に満ちた光 そのもの。」

  
      

      
  
     

   



  なんと かの有名な写真家「ロバートキャパ」がマティスの作業風景を
  撮影したもの。 (1949年8月)

  画家 それも 巨匠のマチスの 実際に「描いている」 
   その動きを捉えた 貴重な1枚 ですぞ・・・ レアモノですね。
   (礼拝堂の竣工は1951年。)
  
    
   
1948~1951年まで 礼拝堂の全工程に関わる。

 「4年間 かかりきりのたゆまぬ仕事をすることが必要でした。
 これは私の全生涯にわたる活動の仕事です。
 まったく不完全な出来であるとしても私はこれを自分の傑作と考えます。
  これは私にとって制作に捧げられた一生の到達点です。」
                        マティス

 一度はこの地に足を向けて見たいが・・・  

  この章のタイトル「うつくしい墓」
 読み終わって~ 私は こう感じました~
   それは、この「礼拝堂」のこと ・・・ マチスの魂はここに眠る。 と。

  

  
 
        


     
 
            

  
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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。