オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉じゃが

2015-03-13 | Weblog

3/13(金) 今日は金曜日。サラリーマン時代なら、明日は休みと嬉しくなったが、今や何の感慨もなければ、却って早や週末かと残念に思うよ・・・・。とは云いながら、安息日には安息をだが、スタッフは年度末までの納品で大わらわだ。土・日もないような月である。

今朝は六時前に目覚め、六時丁度に起床となった。今朝の弁当メニューは、昨夜寝る前に検討をしてから眠った。「肉じゃが」さんである。肉じゃがさんの他に作る予定は、小松菜の卵炒め、パスタサラダ、とメモをしてあった。メモでもしておかないと、何だったか思い出すまでに一時間は掛かる。

メモをしたからと言っても、その通りに進むわけでもないが。今朝も、肉ジャガだけは予定どうりだったが、後のメニューは変更となった。先ず、残りご飯があったので飯は「炒飯」となり、パスタの代わりに「稲庭うどん」のサラダ風となり、小松菜はロールキャベツならぬ「ロール白菜」になった。

                      

ロール白菜煮は、竹輪と板カマボコまで加わった煮物になってしまった。肉ジャガなんだが、肉の方がダイエーで買った安牛肉(豪州産)なので心配であった。日本酒と味醂をたっぷりと使い、肉の臭みが出ないように気をつかった。ジャガイモと蒟蒻の味は上々であったが・・・。

           

今朝の使用食材は、肉じゃがの部が牛肉・ジャガイモ・人参・タマネギ・蒟蒻、ロール白菜の部は豚肉・白菜・竹輪・板カマボコ・絹ザヤ、パスタの部が稲庭うどん・小松菜・ブロッコリ・シメジ、炒飯はウインナー・タマネギ・赤と青のピーマン・卵二個であった。

                  

弁当に詰め終えても、まだ二つ分の菜が残っている。これでまた、私の体重が増えると云うことだ・・・。

 

 

 

 

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フライ

2015-03-12 | Weblog

3/12(木) 今週も早や木曜日、三月も半ばとなった。会社のスタッフも、年度末までの処理に大わらわである。毎月これぐらいの忙しさであれば、私の小さな胸も痛まず、枕を高くして眠れるのだが?さりとて、過大なことを求めてはいかんか・・・・・。

昨日の午後、予ねてOB会(同友会)から案内があった講演を聴きに行った。テーマは「資本主義の終焉と歴史の危機」で、講師は同名の本の著者、水野和夫氏であった。内容は本を読んで頂ければいいので省略するが、資本主義やグローバリズムが壁にぶち当たっていることはご承知のとおりで、資本主義やグローバリズムが限界に来ていると、数字を示しながらのお話。

一つ納得がいったのは、年収200万円以下の層が24%いるとのこと。無資産が増加していること、などは実感する。かく云う私も、その層に分類されるので、酒場巡りも超のつく安酒場ばかりだ。かつての銀座・赤坂・六本木と練り歩いた威勢は、今や欠片さえもない・・・。貧乏はいいよ!失くす心配がないのだから。貧乏な暮らしに馴れればいいだけのことさ・・・。

昨日の講演会でも、どういう方向に向かうべきかの示唆はあった(よりゆっくり、より近くに、より寛容に、と)。が、具体的な解決方法には至らない。隔靴掻痒の感は拭えないが、考え方はそうあるべきと同意できる。私でさえも、漠とした案ならあるが、グランドデザインには至らずディティールにとどまっているうえ、経済学的な裏付けもない(そんなことができれば、大政治家か?)。

で、講演会の後は夕暮れが近づく中を家路についた。珍しいことだが、地元でちょっとした用事があったのだ。この夜は、缶ビール一本だけで済ませた。

 

今朝の台所、米を磨ぎ始めたのは6:30分。メインメニューは「フライ」と、昨夜から定めていた。トンカツだったが、揚げ物次いでに昨夕仕込んだ「海老」と、茄子・椎茸も少しだがフライにした。

                        

後は、絹サヤの卵とじ。これが失敗だった、絹サヤを煮過ぎてしまったのだ。もっとシャッキリ感がなきゃあ・・・。そして、茄子が残っているので「茄子と挽肉の味噌炒め」、茗荷も二本残っていたので一緒に炒めた。竹輪があったので、これも甘辛煮にしてみたが・・・。

                        

完成品は写真のとおりのてんこ盛り。昨日、量も品数も少なく、と言った舌の根も乾かぬうちに、こんな弁当になっちまった・・・。

 

 

 

 

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初登場メニュー・・・

2015-03-11 | Weblog

3/11(水) 昨日の轍を踏まないように、今朝は目覚まし時計セットしてあった。酒精が過ぎるのか、若さ故か目覚めない。そのまま目覚めずに河を渡るのが一番楽そうだが、そうは問屋が卸してくれない。未だね!

六時の目覚まし時計で起床となった。が、その前に目は覚めていたようだ?そんな気がする。

今朝は四合のご飯を炊き(長女達が今夜も来るとかで)、菜の部に入った。今日は「酢豚」を作ることにしたが、日曜日に買ったCOOKDOの酢豚の素を使う。イージーなことをする男だぜ!

豚肉を一口大にカットし、塩胡椒で味付け、溶き卵にまぶした。野菜を乱切りにし、軽く素揚げをした。それから片栗粉にまぶした豚肉を揚げる。最後にフライパンで炒め、酢豚の素を掛けてお仕舞だが、酢とケチャップを足した。酢豚は、甘酸っぱい方が好きなのだ。

酢豚が仕上がると、卵焼きに着手だが・・・、並行して味付けをしてあったブリに片栗粉をまぶして、ニンニクをスライスして香りづけ、オリーブオイルでソテーした。卵焼きは、出汁巻卵とし、ネギを刻んで加えた。

                  

以上、品数は少ないが力作であった?。私の作る弁当が、量が多いと家人・長女の連合軍から上がっているようなのだ。量も品数も控えめにするしかないだろう。こっちの遊び心は満たされぬが・・・。

                            

 

昨夕、仕事時間も終わろうかと云う時刻に、悪友のHOSOKAWAから連絡があった。彼も仕事終えて、どこかで誰かと一杯と、思っていたようだ。
『それじゃ、人形町まで来いよ。駅の傍に”ちょっぷく”ていう店が在るからそこで会おうよ』と云うと「ああ、前に行ったことがあるチケットを買って飲む店な」と返った。

実はHOSOから連絡が来る前に、「ちょっぷく」の店長YAMAちゃんからメールが届いていた。曰く「店の前の看板を作り替えなくちゃならない。やってくれるかな?」と。『了解、後で店に寄って確認するよ』と返信したら「安くて良いものを頼む」と、またしてもメールがあった。『良いものはそれなりにコストが掛かる。これ、世の摂理なり』と返すと、「じゃあ、安くて丈夫なものを頼む」と、またしても返信を寄こした。

そんなことがあり、「ちょっぷく」に顔を出すことになっていたのだ。看板は大したものじゃない、デザインは同じでいいとかで銭が取れるような話じゃなかった。『前に作ったとこが有るなら、其処に版下が残っている可能性があるよ。先ずは、其処に相談したら。その方が安くて速いぜ』と、教えてやった次第。

HOSOと一杯やりながら、彼が住むTV業界のことや、福岡で関わってる新番組のことなど訊きながらハイボールを飲んだ。四・五杯やってから、もっと美味いハイボールを飲んで帰ろうと「ローカーボ」に向かったのであった。

「ローカーボ」のカウンターに陣取り、ハイボールをやりながらマスターも交えての四方山話。そう云えば、前夜もチョップクからローカーボのコースだったことを思いだした。前夜の帰宅は24:30だったなと・・・・・。今夜は早目に切り上げようと、十時過ぎに店を後にしたが・・・。

HOSOKAWAを帰し、「ちょっぷく」に一人戻った。店長YAMAちゃの「帰りに寄るんだろう」の一声に弱いんだ。店は途切れることなく、客が入っていた。

YAMAちゃんを相手に駄法螺話で盛り上がり、彼がいつも飲む、ノンアルコールビールを二種、試しに飲んだが・・・。ちっとも旨いとは思えない『よくこんな不味いものを何杯も飲めるな?』と、言ってはみたが、YAMAちゃんは、脳梗塞と脳出血をやっている。これも致し方ないか。

                      

この夜の帰宅は、23:30分と前夜より一時間も早い。上々の時間帯でのご帰還であったが、風がって寒かったぜ!

 

 

 

 

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眩いばかりの・・・。

2015-03-10 | Weblog

3/10(火) 日曜日から降りだした雨は、昨日の朝は小降りであった。処が、酒場に向かう昨夕から本降りとなり、小さなビニール傘の下では濡れるに任せるしかなかった。アスファルトの通りも水捌けが悪く、水溜まりを避けようもなかった。

一夜明けた今朝、太陽は初夏のような輝きと光を放ち、台風一過のような清々しさ。なんとなく、幸せを運んでくるような、そんな朝の空気と光である。

先週の金曜日からBOLOGをアップしていないが、なんと云うことはないが気忙しい時間がつづき果たせなかった。ただそれだけのことだ。弁当は手抜きながらも作り続けているし、飲み過ぎでダウンをした所為でもない。至って不健康で、正常な日々を過ごしている。

話を先週の金曜日に戻すと、この日は午後から幕張メッセで開幕していた「FOODEX」と云う、食品・飲料の国際展示会に行った。ここ数年、この展示会に顔を出しては、試食品や試飲を重ねながら広い会場を歩く。この展示会はビジネスユーザが対象なので、招待券がないと入れない・・・。

弊社は食品は扱ってないが、知人の会社が毎年出展しており、招待券を送ってくれる。その上に、ブースに立ち寄ると、お土産まで持たせてくれる。それに味をしめてと云う訳じゃないが(嘘はいかんな)、一応ごあいさつに立ち寄るのが儀礼と云うものだ。で、この時もタップリとチョコレートの類を頂いた次第。

この品々の殆どは、同行したUSUI老に差し上げた。老のやんちゃ盛りの孫が喜ぶだろうと。この時、お茶を飲みながら、老の前立腺癌のことなど訊いたが、もっと大変な話が出た。大腸に腫瘍があると聞いていた、老の奥さんは大腸から肺・肝臓・膵臓にまで癌が在ったとのこと。「当人はこれですっかり諦めたのだろう、散歩も止めて朝から酒を飲んでいる」と、老は話した。「家内の病院通いの付き添いで忙しい」とのこと。

老齢になれば、誰しも悪いところが出てくるようだが・・・。家内と別居か別れて、弟が居る生まれ在所の名古屋に帰ると、かねがね言っていたが『これじゃあ、そうはいかんね~』と、話したのであった。

幕張から池袋へ出た。この夜、K大兄と池袋の夜を楽しむことになっていた。先日、私が不味い寿司のことを記したので、旨い寿司を喰わしてやろうとの親心だろう。先ずは寿司屋に案内を下さった。

広くて磨き込まれた白木のカウンター、平置台に配されたネタ、清潔な板場と、いや~、寿司屋てっのは、こうじゃなきゃと絵に描いたようなお店だった。勿論、シャリ・ネタ・酢と、三拍子も四拍子も揃った味であったのは云うまでもない。この店から、何時もの「野武士」へと向かい、一杯となったが・・・。不覚にも、寿司屋でお腹が膨れた吾輩は、飲めなくなっていたばかりか、挙句に居眠りまでする始末。大兄には、とんだご迷惑を掛けた一夜となった。

                        

                           金曜日の弁当

土曜日、午後の一時を会社に顔を出してから、居酒屋「ちょっぷく」にて、その後の時間を過ごした。暇な折の土曜の過ごし方になった感あり。お店はランチで仕舞う。その後は掃除だが、これは助っ人隊のオヤジ達の出番。私はこう云う真面目なマネは似合わないのでパス。競馬を聴きながら見ながら、ビールなぞを飲んで、皆の仕事が終わるのを待つが、遅いと五時近くまで掛かる。

それから、ランチで残った菜や小鉢がテーブルに並び、飲み始める。話題は他愛のないことばかりで、今日の競馬の結果がどうの、明日の予想はどうだ・・・。店主兼店長のYAMAちゃんの在所(岩手の山奥だぜ)のこと聞いたり、助っ人隊のミムラッチやフナッシ-のことなども訊きながら、土曜のひと時を過ごすのだが・・・・、これが飲み過ぎてしまう。遅くとも九時頃には『お先に』をするが。この日も飲み過ぎてしまった・・・。

                         

それにしてもだ、YAMAちゃんは酒を飲んじゃならねえ体になってしまい、オールフリーのノンアルコール缶ビールを空けながらだ。よく付き合えるなと感心する。人間好きじゃなければ出来ねえな・・・・・。

 

昨日の月曜日の弁当は、日曜日に贖った菜の中から「鰤の照り焼き」と「ホイコーロー」に小松菜煮」「卵焼き」であった。日曜日、散髪の帰りに目黒通り沿いは柿の木坂陸橋に近い処に在る、スーパー「大関」に立ち寄り、チョットだけ買い物の心算が・・・・。

これが山のように買い込んでしまった。スーパーのビニール袋に三っも買った。主に弁当の食材である。滅多に使わない、COOCDOのインスタント食材の素、ホイコーロとチンジャオルース―を買ってみた。それを使っての調理なので簡単ではあるが、面白みはない。まあ、そんな弁当であった。

               

 

そして今朝の弁当となるが・・・。なんとおお寝坊!起床は七時半であった。完全に間に合わない時間だったが・・・・、家人が出るのは遅いので、この時間でも問題ない。長女だ、早ければこの時間に、遅ければ十五分後になることもある。考えるより、先ずは作れだ!行動あるのみ!

で作り始めたのは、手っ取り早い「牛小間と野菜の炒め物」だった。味付けをして肉を焼き、野菜もぶち込んで炒めるだけだ。卵焼きも、丁寧なことをしてちゃ間に合わぬ。スクランブルエッグであった。以上でお仕舞!

助かったのは、昨夜のご飯が沢山残っていたことだ。飯を炊いてちゃ、とてもじゃないが時間が足りなかった。以上、10分間でした。弁当に詰めている処に、長女が立ち寄った。ギリギリでセーフとなった。

                     

 

 

 

 

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魂魄

2015-03-05 | Weblog

3/5(木) 今朝の東京は風が強い、とはいえ二月までの冷たい風と違う。桃の節句を過ぎ、明日は啓蟄だ。春は、そこまで来ているようだ。我が社の春は、どの辺りであろうか・・・。そんな首筋が寒くなるような話はさて置き、玄関先の河津桜が満開となり、風に揺れていた。

                        

さて、今日の弁当は「オムライス風」となった。昨夜のご飯が、丁度二人分の弁当に間に合う程度に残っていた。残りご飯を使うために、チキンライスの上にオムレツ風の卵焼きを載せた。

                

他には煮物「大根・椎茸・牛蒡・薄揚げ・鶏団子に冷凍の水餃子」まで入ったごった煮である。後は、小松菜と小エビのオリーブ油炒め、蓮根の挟み揚げ、水餃子まで揚げてしまった。

                   

以上で、二人前の弁当が出来上がった。

                         

 

  -魂魄-

一昨日、遅くまで一人で会社に残ったYがタバコを吸いながら話した「昨夜、一人残っていた。帰ろうと電源を落としたPCの画面に、後ろのデスクが映った。そこに、誰か席に座っていた。誰か居るのかと声を掛けたけど誰も居ない。その席は、亡くなったKURODAが使っていた場所だったんだよ。確かにあれは、Kだったよ」と。

この話を、スタッフでKと親しくしていたNOBORUにしたそうだ。するとNOBORUは、二度見たと云ったそうだ・・・・。『そうか、KURODAは未だ仕事のことが気に掛かり、席に来ているのかな』と、私は応えた。そう応えるしかなかった。

幽体離脱をして、自分が倒れている姿を見、その姿をデッサンして示したYOSHIOのことだ。よもや、見間違いはあるまい。私が云えるの『黒田、安心して旅立て』と、言うだけだ。彼が亡くなって、そのデスクに花を手向けたが、四十九日も過ぎた、そろそろ外した方がいいのかな・・・。

 

 

 

 

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雛祭りの夜

2015-03-04 | Weblog

3/4(水) 昨夜、22時過ぎに学芸大学駅に帰った。改札を抜けて家路を辿ると、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。天気予報よりは一時間以上遅れての、雨となった。

雛祭りの夜、見目麗しきお姫様ならぬ、むけついたオヤジの後輩TAKAHASHI君を誘って、浅草の木馬亭にいた。ここは講談が主に掛かっているいる席亭のようだ。この日、講談師の「宝井梅湯」さんが、二ッ目に昇進した祝い会が催されていた。夜この会に顔を出して、講談を聴いこうと云う次第だ。

NTTOBの方が講談を聴く会の幹事をされている。毎月一回のこの会で、何度か講談を聴いた。馴れ初めは、この幹事Sさんにマラソンの取材をさせて頂いたことにある。義理とは云わぬが、ご協力を頂いた方へのお返しの意もあった。が、それよりも聞いてみると面白い。人生の機微や、仕事にも通じる物語であった。

二ヵ月前の例会で、この会にも前座で出演の梅湯さんが今度二ッ目に昇進し、祝い会を開くとのお披露目があった。チケットを売っていたので、お祝いに二枚求めた。その一枚を、何にでも関心を持ち、時間が有るT君に渡したのである。私の方も、夜の予定が入らなかったので木馬亭に行ったと云う次第。

百数十名入る席は、ほぼ満席であった。先ずはお目出度い。前座の「田辺いちか」さんにつづいて、昇進の梅湯さんが「谷風の情相撲」を語り、琴梅師匠の絶妙の話があって仲入り。トリは梅湯さんの、寛永三馬術から「出世の春駒」ご存知、愛宕坂の下りを語ってお開きとなったのが20時45分であった。。

その後、浅草でT氏と一杯やって帰ろうとなった。浅草寺の界隈をうろついたが、これといった店が見当たらない。時刻は21時となり、大方の店がシャッターを下ろしていた。二・三十分もうろついたが、諦めて帰ることになった。珍しくも、外酒を飲まないで帰宅した。

                    

浅草を歩くのは随分と久しい。木馬亭に向かう六時過ぎは、未だ人通りもあった。外国人が多い、人形町界隈や銀座、渋谷も外国人客で賑わっている。何時だか、スタッフに外国人相手の業界にアプローチする企画を考えたらとどうか、と提案したのだが・・・・。

 

で、今朝の弁当だが「掻揚げ、豚天」と「茄子・茗荷の豚小間炒め」、「小松菜・ブロッコリ・絹ザヤで春の野菜盛り」「ペンネと挽肉のソテー」、こんな具合であった。

             

家人曰く「今日は、力が入ったね!」だった。そんな時に限り、長女が弁当を取りに来ない。またしても寝坊か?バカヤロウ~・・・。

                     

以上、今日の報告はお仕舞い。

 

 

 

 

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手抜きつづき

2015-03-03 | Weblog

3/3(火) 今日は節句で雛祭りだ。長女の一家は七段飾りが面倒なのか、ひな人形を飾っていない。孫娘が生まれた年と二年目に飾っていたが、子供が手を出すようになったと、昨年から飾っていない。もう四歳になったので大丈夫と思うのだが・・・。

長女の処にあるひな人形は、長女が生まれた時に家人が自作した木目込み人形だ。が、顔は人形師の「真多呂」の作である。家人が、浅草橋にある木目込み人形の教室に通っていたのは、遥か昔のこととなった。幾つかの作品が在るはずだが、いまや、影も姿も見当たらぬ。

ひな人形と云えば、これまた遥かな昔の学生時代のこと。私は日本橋にある三越デパートの人形売り場でアルバイトをした。丁度、三月のお節句の頃であった。雛人形のことなど全く判らなかったが、バイトをつづけるうちに、門前の小僧で少しは人形のことを覚えた。が、今や黴が生えた昔物語だ。

このアルバイト先で知り合ったのが、いまだに親交がつづいている熊本の友人、TAKEMURA君であった。その彼は、社会福祉法人や学校法人を起ち上げての理事長と、立派になっている。あの当時を思えば、今の姿は思い描けない。

さて、そんな感慨にふけるより弁当だ。と、今朝は七時からの弁当作りとなった。昨夜の帰宅は24時と、遅いと云えば遅いが、アルコール摂取量は控え目にした。そのお陰で体調は悪くない。明け方の夢見が碌なもんじゃなかったので、気分は良くないが・・・。

昨夜の酒ならぬ、食い物のことを思いだしたが酷かったな。佐賀からの客人だったので、リクエストに応えて「寿司」となった。手近な処でと、人形町交差点の近くに在るすし店に入った。特上とかの握り寿しを注文したが・・・・。シャリ、ネタ、酢具合等オール×であった。久々に酷い目に遭ったが、以前に入った時は、これほどではなかったように思うが・・・。

二軒目に入った「ローカーボ」に、このすし屋を使っている常連客がいた。『酷いね~、あれじゃ回転すしや立ち食いの方が旨いぜ』と悪口を吐いた次第。不味いものを喰ったので、夢見まで悪くなったか・・・・。それやぁ、ねえか?

 

漸く弁当事に入るが、先ずは鍋で飯を炊き、煮物を作ることにした。完成まで三十分が目標だが、延ばしても四十分がギリギリだ。

煮物は、ジャガイモとタマネギ・人参に豚肉で、いわば「肉じゃが」と云うやつだ。それに、テンプラ(さつま揚げ)とウインナー炒め。椎茸とスナップエンドウの卵とじ、以上である。

                    

炊きあがった飯を、長女用だけを炒飯風の炒めご飯にする。家人はシンプルなものを好むので、白飯である。好みが違うので、それなりに気を使うのだ・・・。

             

以上、ギリギリの時間で完成となった。

 

郷里の畑にある梅の木は満開であったが、東京の我が家に在る鉢植えの梅も、花が咲いた。この梅は、北海道の友人、T女史の転居祝いに贈った梅と、同じ梅を植えたものだ。豊後梅とばかり思っていたが、図鑑を見ると花弁が違うように思えるが・・・・判らん。

                         

 

 

 

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畑に遊ぶ

2015-03-02 | Weblog

3/2(月) 帰省した先週の木曜日と、帰京の昨日の日曜日と、雨であった。出船入船は雨に祟られたが、この季節、一雨毎に本格的に春が近づいてくる。土曜日、畑にイチジクの苗を、そして庭先には草花を植えた。日曜日の雨は、おあつらえと云えよう。

土・日曜日と半日づつ畑に遊んだ。大半を柚子の剪定に費やし、文旦の収穫と二十個程実っていた”へそ蜜柑”(ネーブル)と八朔を収穫した。文旦は、ケースに五箱程を採ったが、未だ五十個ぐらいは樹に残してある。この残した文旦と、収穫して熟成をさせたものを、一月後に食べ比べてみる。果たして、味の違いがどうでるか?。残念なことに、他人様に差し上げるほどの味ではない。

柚樹の剪定と記したが、その作業の殆どは妹の亭主(私の同級生であるが)、HIROKATUが行った。私は周りで、うろうろと遊んでいるようなものだった。焼芋と餅を焼いて喰って貰い、労を労った。梅の花が満開で、離れて見ると春霞がかかったようだった。

              

蜜柑の樹の周りの草が伸びてきたので、早目の草刈をした。昨年の三月末、畑は既に草で埋まっていた。これから急激に伸びるであろう雑草を、早めに刈り取り、来月には少しでも楽をしようとの魂胆でもある。樹の周りの雑草の早い伸びは、樹の廻りに撒く有機肥料の影響か。

桜も咲く三月は、樹の根も成長を始める。その時期に合せて、有機肥料を撒いてやる。そして草刈が、本格化するシーズンとなる。蜜柑で残っている実は、八朔が少しと甘夏、それに初夏に収穫する「小夏」だが、忘れちゃならないのが「晩白柚」だ。たった一個だけ稔ったのが、幼木に未だぶら下がっている。

              

            夏、雑草に埋まる!      手前は、剪定前の柚子     後ろのこれは「小夏」

蜂も少しづつ活動を始めたようだが、まだまだ動きが鈍い。HIROKATUが持っている、5~6箱の蜂が全部死んだと、嘆く。残ったのは、私の畑の梅の木の下に置いた一箱だけだ。蜂を増やす次のチャンスは、初夏の分蜂時期にどれだけ捕獲することができるか?だ。この地域の蜂飼い達も、今年は蜂が死んだと云う。今年の蜂蜜は期待薄のようだ。

蜂の分蜂は何時始まるか読めない。分蜂した女王蜂は働き蜂を従えて、先ずは近くの木などに留る。それを狙って押さえ、用意した蜂の巣(箱)に移す。これが新居となるわけだが、分蜂の瞬間をキャッチして捕まへなくてはならないのだ。ずーっと見張ってないと何処かに飛んで行く。この時期は、中々大変なのだ。

そこで私は云う『蜂を捕るためには畑に居なくちゃならないな。そうなら、草刈でもしながら居れば』と。蜂飼いにとっては、なんとも落ち着かぬシーズンが初夏である。因みに、この地蜜(日本ミツバチの意)は、一合が千円から千二百円ぐらいで販売されているとか。安いのか高いのか、私には?であるが。

以上、短期間ではるが優雅にも田舎生活を楽しんできた。日曜の昼、空港からそのまま会社に向かった。四・五人のスタッフが、年度末納品に向けた作業や、コンペの企画書作りに脂汗を垂らしていた(済まんこった)。

 

さて、雨から一夜明けた今朝は、上天気となった。先ずは、お弁当だぜ!と、台所に立ったのである。

今日のメニューは「チンジャオロスー」言わずと知れた中華である。但し、細切りにした肉とタレがセットの出来合品だ。私が準備するのは、ピーマンと筍の細切りを作り、後はフライパンで炒めるだけだ。そして、「鶏肉と人参・椎茸・蒟蒻の煮物」だが、味付けはそば汁の素をメインとした。

             

それから鮭を焼き、絹ザヤの卵とじ炒めで、お仕舞となった。小松菜もスタンバイしていたが、出番とならなかった。以上で、今朝のお遊びが終わった。

                    

 

今夕は、佐賀からの来客がある予定。地球市民の会・事務局で、ミャンマープロジェクトを担当するFujiseさんが、研修で上京すると連絡があった。夕食をご一緒する予定である。

今夜の酒は、控え目に・・・・。

 

 

 

 

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