オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

年、明けて

2015-01-04 | Weblog

27年1月4日(日) 平成二十七年も静かに年が明けた。何よりよ云うしかいないが、年明けは故郷で迎えた。暮れに亡くなった伯母の葬儀には間に合わなかったが、火葬場で遺骨を拾い、その後の初七日の法要に出ることができた。享年九十六歳、大往生といっていいだろうが、この同じ年の一月、息子が急逝している。常々、亡くなった息子(直宏)の処にいきたいと言っていたそうだ。親子は出会っていることだろう・・・と、思いたい。

正月二日、郷里から帰省した。昨日は地元の碑文谷八幡宮、碑文谷公園の厳島神社に初もうでをした。そして、軍鶏鍋を炊き、軍鶏の親子丼で夕食となった。軍鶏は、田舎の親戚が育てている喧嘩軍鶏だが、若い鶏を絞めたようで思いのほか柔らかい。この親戚とは、母の姉の孫にあたるが、昨年の喧嘩軍鶏場所で優勝し、田舎のテレビでコメントをしている処を帰省中に偶然に見た。「気持ちいがええねぇ」と、土佐言葉で喋っていた。

明日からの仕事始めを控えた今日、昨年暮れから東大病院に入院しているスタッフのKURODA君を見舞った。メールで知らされた状況以上に元気な姿であった。これがせめてもの救いである。HIROさんと二人で、一時間程病室に居た。Kの郷里から老親と弟さんも見えてお、挨拶をした。

見舞い後、不忍池をへて上野の出た。池の周りは散歩や神社に詣でる人出でにぎわっていた。スズメや鳩の餌付けを楽しんでいる一団、蓮池越しにはスカイタワーが望めた。野鳥は、スズメ・鳩・鴛鴦・ヒヨドリ・シラサギから鴎までが何の屈託もなく遊んでいた・・・。

 

そこから御徒町の立ち飲み店でHIROさんと酒を飲んだ。御徒町は、ひとで混雑をしていた。立ち寄った居酒屋も満卓の状況で、流石に庶民の町だと感じいった次第。『この街やぁ、俺みたいに千円札しか持たないオヤジでも楽しめる街だな』と、思わず本音が出る。そんな待ちである。

九連続の休みとなった年末始だったが、あっと云う間に過ぎた。さて、明日は仕事始めだ・・・。

 

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