オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

仕事始め・・・

2018-01-04 | Weblog

平成30年1月4日(木) 戌年がスターして四日目となる今日は、官公庁を中心に仕事始めの日でもある。かく云う我が小体このうえなき「ナチュラル」も仕事始めとなった次第。

一年のスタートともなれば大いに張り切って、今年の抱負や方針をもって臨む。と云うのは一般的な話であるが、オイラなんぞはここ数年、そんな高尚なる考えを持ったことがない。云いかえれば、自然体と云うこっちゃな。社名の如し、とも云えるか・・・・。

そんなことより、今日の仕事始めに出社できるかどうかもあやふやであった。今朝まで。大晦日の三十一日から鼻水が垂れ放題、挙句に二日かからはタバコも吸えなくなり、咳き込むようになっていたのだ。風邪薬は服用していたのだが・・・・・。

昨夕、帰京した。一向に回復の兆しがみえないので、夕食の後で、プロポリスを喉に垂らした。塩水で鼻の通りをよくした。酒はなめる程度に、ビールも一本だけにした。出来うるかぎりの手をうって、蒲団に入った。数日振りの部屋と蒲団は寒く、冷たかった。じっと耐えてた・・・・・そして暖かくなり、汗ばんだのであった。

夜中に何度か目覚め、ようよう浅い眠りに入ることができた。起床は七時前と遅かった。が、喉の具合も鼻水も格段に改善していたのだ。これぞプロポリスのご利益か。半ば、今日の出社は諦めていたのだから・・・・。

平成三十年の初弁当も無事に作り終え、仕事始めの出社が叶った。初弁当は残念なことに、一つだけであった。

弁当の菜は「シメジ&ネギの牛巻き炒め」と、「牛蒡&鶏肉の煮物」。蒲鉾を切り、最後に「卵焼き」を作ってお仕舞となった。

                 

一つ弁当じゃ張り合いがないが、弁当事始めの日だと、炊き立ての飯を用意したのである。

風邪の気配か菌か、背中や肩はおろか鼻筋から額に掛けて留まっているような、漂っているかの如し。うっとしさが去らない、暫くは致し方ないな・・・・。

 

年末は29日の午後便にて帰郷。生家に向かう途中の安芸市内のスーパーで正月用品を贖った。三十日は、これ等を重箱に詰め、酢の物などを「作る。しめ飾りや餅を所々に飾り、カレンダーを取り替えた。

ふる里の光景は変わらない、静かに静かに佇む山と家々、穏やかな細い川の流れと営み。

                  

愈々大晦日となる、買い物の不足を補うために隣町「田野町」のスーパーまで車を転がしていった。戻って畑と、お墓に詣。畑の蜜柑は、文旦の収穫時期だが一月ほど樹で熟成させることに。今年は実が少ないので樹勢も持つだろうと。

小さな畑ながら、眺めていると面白い現象が見える。畑の土がそこここ盛り上っているのはモグラの仕業だろう。ヒヨドリらしき羽根が散らばっているのは、ノリスにでも襲われたか・・・。小屋のなかには子ネズミ、秋にはマムシの小さいのを二匹見た。春になれば、蜜柑の葉は幼虫が・・・・・。

                         

張り替えたお札を早々と焼いた。焼き芋までする時間はない、焼き芋は家のストーブの上で・・・・。

年越しの蕎麦を二日もつづけ喰い、元旦には雑煮を。と、ありふれた正月の風景である。十一月に吊るした柿はいい塩梅に出来ていた。

元旦二日と、妹の子供夫妻もやってきた。東京からわざわざ送った牛肉で「すき焼き」をする。田舎寿司や、三段のお重に詰めたお節などを出す・・・・。処が、これの売れ行きがよくない(来年は止めよう、と思う)。

そんな日々があっという間にすぎ、昨日の三日。午後の便で帰京となった。風邪をもったままに・・・・。

てな次第の年末始を過ごし、仕事始めの日を迎えた。どんな年になるのか・・・・皆目見当がつかない、所詮、風まかせの始まりである。

 今年も宜しくと  、お願いするばかりの年初であります。

 

 

 

 

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