オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

非日常・・・

2021-05-23 | 弁当

5/23(日)帰京してから一週間が経過した昨日、暇な午後のひと時に未整理なままに在る写真を取り出した。これまで一度も整理したことがない・・・。

自身を撮られることは好まないが、それでも旅行や何かの記念日・会に参加して写ったものだけでも夥しい。書棚の引き出し、大判の封筒に入れたままの写真を取り出して時系列に追おうとしたが・・・。写真が多すぎてとても整理する気も起きず眺めるだけで二時間も過ごすことになった。

サラリーマン時代の二十代の後半から、三年前に会社をリタイアした時に撮ったものまで・・・、見返せば懐かしく甦る。が、そんな写真の中に、既に故人となられた人たちの姿を見る数も多くなった。

そんな中に晩年の母が寄こした幼い頃の私と、妹が写っている古くて小さな一枚を見つけた。拙く弱弱しい字で短い便りが添えてあった。妹の生後百日とあるが?確かでない。その一文に「・・・一月末の出産予定が、師走に入りお腹が痛くなって早く生むことになった・・・」。私は相当な早産で小さかった。

「小さく生んで大きく育ての諺がある。大きく育てと願い、毎朝神仏に祈ってきた。世の柱になれと願ってきた」などと。書いてあった。

母の願いは叶ったのか?、無事に父母を見送っただけで勘弁してもらうしかないが・・・。

散らかした古い写真を眺めながらこれまでの日々を、放埓・いい加減・でくの坊・能無し・出鱈目・酔っ払い、無責任、こんな言葉で尽くしきれないこれまでの人生。そして、これからもそうでしかない吾である。

それでも生きて行くしかない、生かされている以上は。我が人生に幸?あるとすれば大成を願い続けてくれた母の存在であろか・・・。否、それだけじゃないな!。歳の差を越えた好き友人たちとの出会いが支えであった。かつても、今も。

比較的新しいもの、数十年を経た古い写真を眺めながら夕暮れ近くのひと時を過ごした。これも、非日常の日々がなせるが故であろう。

 

それにしても人と会えない、飲みにも行けない。酒場が酒を出せない、自由に行来ができない、こんな理不尽があるとは・・・。人々の交流が絶えた社会とは、どんな社会、世界になるのか?。未だ生身(これまでの日常に生きたいと云う)のつもりでいる私とっては、存在する意味がない世界でなかろうか・・・。

 

なにやら訳の分らんことを記してしまったが、これも非日常の所為とご容赦を。

 

 

 

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