オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯とカツ

2015-01-26 | Weblog

1/26(月) 今朝も早くから目覚めていたが、弁当事の着手は六時半からとなった。目覚める前の夢の記憶は二本だったが、いずれも知り合いの姿があった。然し内容は支離滅裂だ・・。どうせ夢見るなら、ロジカルで起承転結が明らかなストーリーの方が、目覚めた後に夢を辿り反芻するのが楽だろうにと思うが・・・。

雑な脳味噌では、夢さえも獺祭とは情けない。

で今日の弁当だが、電気釜のご飯が半端に在る、冷凍庫にも残リ飯の在庫が幾つも転がって邪魔だ。予定外の「炒飯弁当」にすることを決断した。最近、決断力が付いてきたようだ。

菜の方は、昨夕の会社帰りに東急ストアを覗いて「ブリ切り身」と「ステーキ肉」を買った。ブリは照り焼にしようと、昨晩から酒や味醂・醤油のタレに漬け置いた。ステーキ肉と云うと大仰だが、何のことはないアメリカンビーフだ。貧乏OYAJIが買うとすると、そんなものさ。

鰤の照り焼きは何のことはないが、ステーキの方をどうするかだ?。本当は、豚肉でトンカツかカツ煮をしたかったが、ステーキ肉を見て、牛カツを思い立ったのだ。どうせなら、柔らかな子牛のカツレツといきたかったが、スパーにそんな洒落た肉はなかった(大助かりさ)。

                

サラダは、パスタと人参・アスパラの茹でサラダに。チャーハンはホタテの炒飯で、ピーマン・人参・タマネギを刻んだ。以上であったが、牛カツがなにやら鯨カツのようであった。鯨カツが分かるとは、齢を聴かれそうだが・・・。

                   

残念ながら、写真の方が上の一枚しか撮れていなかった。(翌日に写真が出てきた)

 

金曜日の夜は「ちょっぷく」にてハイボールを五杯で切り上げた。その時に店長のYAMAちゃんから「明日、銀座でナギラケンイチさんの展覧会があるから行こうよ」と言われた。先日この店でお会いしたが、そんなに親しくなったわけでもな。『嫌だよ』と言ったが、「この前に来てくれたし、メールで案内があったから付き合えよ」と煩い。

『明日は、昼から上野で飲み会あるんで、時間が合えば付き合うよ』と応えた。銀座は帰り道だから、どうってことはない。そんな話をした翌、土曜日・・・。

正午に上野駅入谷改札を出た処にある、居酒屋「とおり路」(?)とか云う店に入った。この店で十人程で飲み会がある。三十年も前の、昭和と云う時代、世田谷火災があった、通信局係長時代の縁でこの飲み会に参加となった。参加メンバーの内、知り合いは半分程だが、当時の総括調査役やご無沙汰をしている課長にお会いしたかったのだ。

飲み程に記憶も戻り(私じゃないよ、相手が)、初対面の方とも共通点がありで、愉しかった。ここで終わればいいものを、御徒町の安酒場の二次会に付き合った。上野駅から御徒町駅へとつづくアメ横や、横丁の路地も人出で溢れる程であった。昼間だと云うのに、どの酒場も、立ち飲み店も満員の盛況だった。

そんな中で、ようやく席を見つけて落ち着いた。あれやこれやで、一次会から数えると、ハイボールを十杯以上は飲み、トイレに通う回数は三回を数へた。漸くお開きとなったので、YAMAちゃんに電話をしたら「一緒に行こうよ」という。それじゃ人形町駅で会おうと電話を切った。

地下鉄に乗る段になって「店まで来てよ」と、電話があった。『わかったよ』と応え、御徒町からメトロに乗り、座った・・・。

気が付けば、終点の中目黒駅のホームに着くところだった。其処にYAMAちゃんからの電話が「どうしてんだよ、来ないじゃない」と、怒り声が。『ごめんゴメン、中目黒まで来ちゃった』と云う顛末。勿論、今更戻りゃしない。

それにしても、よく寝たもんだ。薄いハイボールといえども、あれだけ腹に入れるとよく眠れる。とんだ土曜日であった。今夜は、謝りに行くか・・・、でまた一杯か。

 

 

 

 

コメント
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