オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

通夜~告別式

2015-01-13 | Weblog

1/13(火) 故・黒田洋一郎(陽一郎)君のお通夜が昨日、そして今日が告別式であった。葬儀は、世田谷区成城学園駅から十五分の処に在る「妙法寺」と云う日蓮宗の寺で執り行われた。準備がいい彼は、一年前に病気を宣告された後に、早々とこの寺を菩提寺にと決めたそうだ。

                   

逝去が七日、通夜・葬儀がここまで遅くなったのは、年末始で葬祭場の休みがつづき予約が取れなかったことにあった。黒田君の出身が名古屋であることから、ご両親や兄弟、親戚と皆さん名古屋からである。脳梗塞の後遺症が残る父親が「こんないい息子が、なんでこうなるんだ」と、悲痛な声をあげる姿がいたましい。

若くして逝くということは、家族、親兄弟にしては殊に辛いだろう・・・。そんな中での葬儀であったが、クライアントの皆さまや仕事仲間、学友と大勢の方が参列してくれた。これも彼の人物が織りなす味にあるのだろう。

告別式は今朝の十時半からだった。会社を代表して弔辞を読んだが、言語障害の上に意味不明に近いから、意図するところが何処まで伝わったやら。本当は、推敲に推敲を重ねたかったのだが、短い時間で原稿を作り筆耕に出さざるを得なかった。文書に書いてないことも少し話したが、ちょっと残念だ。

告別式の後は代々幡葬祭場で火葬、それから妙法寺に戻り、初七日の法要、ご親族の会食にTUGAWAさんと出席、それから社に戻った次第。
東京の火葬場に立ち会ったのは久々だが、それにしてもシステマチックと云うか、流れるように進行さす。何時からこんなにオートメ化したのかな?驚いたよ。

                    

昨夜、手伝いに出たスタッフと、お浄めの会をしたが。そんな中「で、自分の時はどんな風にやって欲しいの?」と、訊きやがった。
『バカ野郎~、俺は葬式なんかしねえさ。焼いて終わりだ。が、手違いがあるといけねえから、死んだ日に即、皆様あてにご挨拶状を出せるように用意しとくかな。御礼とともに、葬儀はしません。弔問・供物の類は丁重にお断りする旨を認めて。どうしても何かしたいなら、四十九日が済んでからお別れ会でもやってくれ』。と、本音のところを伝えた。

 

そんな訳で、今朝家を出たのは早かった。早かったが、日課の弁当は一応作った。

菜は、昨夜帰宅時に駅脇のトンカツのサボテンが、店仕舞いの50%OFFなんて呼び込みをしていたので、ついついヒレカツを買ってしまった。その美味そうにもないトンカツ、人参・ダイコンの根菜と蒟蒻、素揚げの和風煮物。弁当用に買い置きをしてあった焼肉用の味付け牛とタマネギの炒め焼き。以上の三品であった。

             

卵焼きも作りたい処だったが、弁当スペースのこと、時間を急いたことなどから省略した。仕上げに椎茸昆布の佃煮をご飯に載せた。

                       

弁当を詰め終えてから、弔辞のオサライをして成城学園と向かったのである。忙しい朝のひと時に、オサライをするとは見上げた心掛け?それとも付け焼刃と云うべきか・・・・。

 

 

 

 

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