オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

一夜明け・・・

2015-01-08 | Weblog

1月8日(木) 黒田君の急逝から一夜明けた今日、昼に日比谷のクライアントを訪問した。本来であれば、年始の挨拶の後に黒田の病状や経過を話す予定であった。それが、冒頭から彼の急死について説明をすることとなった。

黒田君は希なるキャラの持ち主で、クライアントや共に仕事するライタ―さん、カメラマンと親しくなり愛されると云う得難い性格であった。今日、彼のことについて報告したクライアントのご担当の皆様も、一様に彼の急逝を心中より悼んでくれた。気にかけて下さっていたことが、ひしひしと伝わってきた。

あの元気坊主がいなくなったとは、未だ実感がわかない。病室で、病院の霊安室で、物言わずに横たわっていた姿を目の当たりにしているが、今ひとつ彼の生命が途絶えたとは思えない。が、然し、彼の葬儀の日程も知らされたのだから・・・・。しめやかに野辺の送りをするしかないのだろう・・・。

彼の葬儀は、1月12日(月)18時より通夜、翌13日の10:30~告別式。何れも世田谷区の妙法寺で執り行われる。

 

私が知る限りで黒田の経歴に触れると、名古屋市内で牛乳店を営む家の長男として生まれ、日芸の文芸学科に進み中退したと聞く。その後、名古屋で八百屋、キャバレーでアルバイト生活。キャバレーでは黒服として、お姐さん達の扱いに四苦八苦しながらも、客商売の原点のようなものが身に着いたかもしれない。そこから、名古屋で編集プロダクションの仕事に転じ、東京に出たようだ。

誰だかの紹介で、我が社に入ったのが十八年前、平成八年の晩秋である。二十代の最後か、三十路を迎えた頃のはずだが、その頃の私はクライアント側に居た。我が社、創立者の、HIROさんの採用である。クライアント側として私が彼と仕事をしたのは、横須賀研究所の施設公開用のポスターや交通広告デザインの仕事が最初のはずだ。尤も、私は具体的な内容にタッチしていないが、横須賀市武の丘の上に建つ研究所に足を運んできた彼のことは良く承知している。

それから、東京・田町に在る某社に転勤した私が、PR誌の企画を進める時に担当したのも黒田君であった。HIROさんとの縁で、私が現在のNATURALに入り一緒に仕事をすることになったが、彼は編集チームの要としてチームを牽引してきた。時には聴いている方が心配するような言葉を使うが、それがまたクライアントとの距離をちじめ、親密になると云う不思議な力と魅力を持っていた。

中学生二人の子供を持ち、まだまだこれからと云う彼が、こんなにも早く逝ってしまうとは。諸行無常と云うしかない・・・。

 

日比谷のクライアントを訪問後、日比谷公園を抜けて帰社についた。北風が吹き抜ける中、公園の噴水の飛沫を受けて振り返った懐かしい日比谷ビル。高層ビルとなった周囲に比べると、その存在価値を大きく感じるのは、過ぎ去りし日へのノスタルジィか。このビルも早晩の命であろうが・・・。

                   

 

今朝方も碌でもない夢で早くから目覚めた。某祝宴会の開始時刻をはき違えて、のんびりと出掛け、暫くして失態に気付くと云う、私らしい夢であった。冷や汗を掻いて、言い訳を探している処で目が覚めた。ああ、よかったぜ・・・。

そんな夢から醒めて、弁当作りとなった。今日は「チキンライスのOYAJI風仕上げ(要はオムライス弁当さ)」である。ご明察のとおり、昨晩のご飯が沢山残っていると云うことだ。

チキンを解凍し、タマネギ・ピーマン・人参を刻み炒める。塩胡椒にウスターソース、ケチャップで味付け。菜の方は、牛小間の煮物だが、マネギと白菜を一緒に煮る。最後に長ネギを加えた。

                       

後は、ブロッコリ・ミニトマト・マカロニのサラダ、ホウレンソウのお浸し、となった。

                        

タップリと出来上がった菜。弁当に詰めた残りは、私の朝飯である。茶碗一杯のオムライスと一緒にたらふく食ってしまった・・・。

                        

 

昼と晩飯は抜きと誓ったばかりながら、昨夜は高松から上京の取引先の社長と会食。銀座はアナゴ料理の「玉ゐ」で、コース料理を十分に喰ってしまった。酒精は、生ビール・燗酒・焼酎湯割りと控え目だった。それやぁそうさ、あれだけ喰えばお腹いっぱいで飲めなくもなるぜ・・・。

飯控えめ作戦中に一番困るのが、会食なのだ。人と会う機会が多いので、避けられないことながら『か弱き心が、折れそうになるよ』。そんな夜だったが、お客さんは「珍しいものを、美味しいものを食べさせてもらった」と、喜んで下さった。昼間、来社いただいて新年の挨拶を受ける予定だったが、黒田君を病院からの見送りなどでドタキャンをさせて貰った。が、晩飯でお返しができたかな?

 

 

 

 

コメント
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