オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

寝坊

2015-01-19 | Weblog

1/19(月) 朝方夢の中にいた。宝くク

ジに当選している夢で、それから意味不明な出来事がつづいていた。とはいえ、当選金額は大したこはない、百万円単位の額であった。その金額が口惜しくて夢がつづいたのか、目覚めた時は七時を過ぎていた。

この時間から飯を炊くとなれば、電気釜では間に合わない。大急ぎで鍋で飯を炊くことになった・・・。

菜の方は、昨夜から決めてあったのが「鶏肉と大根の煮物」である。冷凍の鶏肉は、冷蔵室に移してあるので解凍済み。大根と人参を切り、鶏肉と一緒に煮る。何時ものシーンである。後の菜はこれからだ・・・。

結局、鯖の文化干し焼きと、ホタテのフライになった。それに、定番の卵焼きが最後の一品である。卵焼きは、煮物の汁を少々加えて出汁巻風にしてみた。

                    

そんなことで、正味三十分ほどで弁当を仕上げた。鯖の文化干し以外は、一応の手は加えてある。残りものの菜で、今朝も飯を喰ったが、昨晩も大飯を喰らったので、食べ過ぎになっちまった。今週は心して掛からねば、元の木阿弥だぜ!

 

昨晩が過食に至った要因は「親子丼」に在る。日曜日の昨日、会社に行くのを止めた。朝の内から「軍鶏鍋」を炊くことにして、準備をしていた。軍鶏肉は硬いので、よく炊き込んだ方が良いのだ。何しろ、喧嘩軍鶏だからね~。この軍鶏とは別に、若鳥の軍鶏肉もあったのでこれを親子丼用にしたのだ。

御維新の時、京の寺田屋に滞在した「坂本竜馬」が、宿の小僧に軍鶏を買いに行かせた間に襲撃された話は有名だ。土佐人は軍鶏とは切っても切れぬ間柄と思われたし・・・。この襲撃の際に一緒に切られたのが「中岡慎太郎」だが、この人は隣村の大庄屋だった。村名は、北川村と云うが、馬路村と並ぶ柚子の産地である。柚子は、慎太郎が村人に普及させたと記された看板がある。

余談が長くなったが、軍鶏や新ジャガのお蔭で昨晩は飯が進んだ。加えて、鍋を作りながらビールまで飲んじまった。片手にグラス、もう片方には菜箸なんて様だった。

この前日の土曜日、六時半から「ローカーボ」であったミニライブを聴きに行き、ハイボールと赤ワイン。それから「ちょっぷく」に顔を出して、またハイボール。更にローカーボに戻って、またハイボール。行った来たりの忙しい夜であった。家に帰り着くとグッタリコンコンであった。

                         

                            ピンボケだ・・・

出社していた、YOSHIOとFUJIKURAを途中から呼んだが、あいつ等も相当に出来上がっていたね。そういや、最後のローカーボにはAOKIも来てたな・・・。意識朦朧・魑魅魍魎な夜であった。

今週は自粛します・・・

 

 

 

コメント
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