徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「白船来航」ー歓迎にわく100年前の横浜ー

2008-07-31 22:00:00 | 日々彷徨

黒船から半世紀、1908年(明治41年)10月、米国大西洋艦隊の白船が、世界一周の途中で、横浜に来航した。
十六隻の軍艦は白く塗られていたことから、「白船」 (Great White Fleet)と呼ばれた。
当時のルーズヴェルト大統領が、派遣した艦隊であった。

横浜開港150周年を記念する企画展が、横浜市中区の横浜開港資料館で、10月26日(日)まで開かれている。
これ、なかなか面白い企画展だ。
題して、 「白船来航」ー米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京ー
当時の横浜市民の歓迎振りや、来航の目的などについて、写真や資料で迫っていくというものだ。
初日(7月31日)から、早くも賑わいをみせている。

日米関係の歴史の中で、横浜が舞台となった出来事に、幕末のペリー来航、第二次世界大戦後のマッカーサーの進駐があったが、この二つの出来事の間に起きたのが、スペリー監督の率いる白船来航だった。

幕末の黒船出現に、「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船) たった四はいで夜もねられず」と、狂歌によんだほど驚愕した日本は、白船がやって来たこの年には、世界第五位の海軍力、黒船を有するまでに変貌をとげていた・・・。

当時、日露戦争に勝利した日本は、満州での利権や、太平洋での影響力などをめぐって、アメリカとの対立を深めていた。
白船の来航は、アメリカが、世界、特に日本に、海軍力を誇示することがひとつの目的であった。
しかし、白船を待ち受けていたのは、政府や横浜・東京の人たちの熱狂的な歓迎だったのだ。

この劇的な出来事から、ちょうど百年、今回の展示では、白船来航にわいた横浜・東京の様子や、メディアの反応などについて、白船来航関係の資料を収集した、スティーヴン・レヴィーン氏のコレクションを中心に紹介されている。

来航時の記念品や歓迎式典プログラムなど、約170点の資料も展示されている。
来日前には、あわや日米開戦を心配する海外の新聞もあったそうだが、このときの日本の歓迎振りは、アメリカ側も驚くほどであったそうだ。

横浜港内には、白船のほかに、日本や外国の軍艦も加わって、40隻以上となり、さぞかし壮観だったと思われる。
港周辺は市民で大混雑し、艦隊を一目見ようと、海岸通りは黒山の人で、通りの両側に並べない人々は、街路樹によじ登り、「樹木は人間の数珠なり」(東京朝日新聞)という有様だったと紹介されている。
このことがあって、一時的にせよ、日米両国の緊張が解かれたことは事実であった。
(記事一部横浜開港資料館資料による)

いま、それから100年を期に、歴史の片隅に埋もれていた白船に目を向けて見るのも、夏の日の一興かも知れない。



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