この作品は、シェイクスピアの晩年に書かれた、ロマンス劇の頂点を飾るものだ。
「テンペスト」は、復讐の怒りを象徴するらしい。
そして、何はともあれ、それは赦しのドラマなのである。
ジュリー・テイモア監督のアメリカ映画だ。
ここでは、主人公を女に仕立てているのだが、原作には忠実だし、台詞もシェイクスピアの書いた通りだ。
ナポリの王アロンゾー(デヴィッド・ストラザーン)は、娘の婚礼からの帰る途中、海上で突然の大嵐に襲われる。
難破船に乗っていた、王弟セバスチャン(アラン・カミング)、忠実な老顧問官ゴンザーロー(トム・コンティ)、ミラノ太公アントーニオ(クリス・クーパー)らは、命からがら孤島へ流れ着くが、アロンゾーの息子、ファーディナンド(リーヴ・カーニー)を見失っていた.
この嵐、実はこの孤島に住むプロスペラ(ヘレン・ミレン)が、魔術を使って起こしたものだったのだ。
プロスペラは、かつて名君と呼ばれたミラノ太公の妃であり、夫の亡き後は女主人公として、民に愛されていた。
しかし12年前、彼女の腹黒い弟、アントーニオとその謀略に乗ったアロンゾーらは、プロスペラと一人娘のミランダ(フェリシティ・ジョーンズ)を、粗末な船に乗せて追放したのだ。
孤島に住みついて、魔術の腕を極めたプロスペラは、空気の妖精エアリエル(ベン・ウィショー)を操り、魔女から生まれた邪悪な怪物、キャリバン(ジャイモン・フンスー)に雑事をさせながら暮らしていた。
・・・そしていま、裏切り者たちに復讐を果たそうと目論んでいたのだった。
プロスペラを演じるヘレン・ミレンは、芸歴40年を超す英国きっての名優で、さうがに貫録といい、存在感たっぷりだ。
主人公プロスペラを、ここでは女に仕立てているあたり、思い切ったキャスティングだ。
このことは、ジュリー・テイモア監督が、このアメリカ映画「テンペスト」にオリジナルな視点を持ち込んだということで、ヘレン・ミラーという大女優が、シェイクスピア劇の男性主人公を演じること自体は、そんなに珍しいことではないようだ。
この作品では、そのことを差別構造の明快な反映とも見ることができる。
亡夫のあとを継ぎ、女太公となったプロスペラは女性ゆえに、権力にまみれた義弟の嫉妬を一層掻き立てる。
彼女は女性であるがために、娘以外のすべてを奪われてしまう存在として、描かれている。
さらに、植民地主義とも、政治的な陰謀とかの寓意があって、これまで映画化されてきた「テンペスト」に比べて、哀しみの無常感とともに寂寥感が全編に漂っている。
舞台劇を、映画で観るような感じだ。
魔法が作品中の道具立てになっていて、冒頭の嵐の部分から見せ場たっぷりである。
復讐の物語のはずだが、これは愛と赦しのメッセージでもある。
魔法、苦悩、怒り、人種差別と、様々なテーマを内包している。
ファンタジックに仕上げられた映画は、悲劇と喜劇を縒り合わせて、大いなる結末へと突き進むのだ。
シェイクスピア劇のラストメッセージとして、見応えは十分である。
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どうにも汗顔の至り。
全然違いますが、日本の小説にも同じタイトルのものがあったりして・・・。