紬きもの塾基礎コース、染織実習コース、共に2月にずれ込んでおりましたが、無事終了いたしました。
今期の方もとても熱心に通ってくださいましたが、途中、おめでたの方がお休みになったり、お身内にご不幸があった方ありで、最終回は少人数になり寂しかったのですが、マンツーマンのようになって、内容は充実していたと思います。
基礎コースの最終回では紬布の皺にスチームアイロンを当てる注意点などもお話しいたしました。
また、紬は光に透かして見るとその良し悪しがわかることも実際に見てもらいました。
最終回の反省会兼打ち上げも、持ち寄りのおつまみが充実していて、ほとんど飲み会状態になってしまいました。。(#^^#)
というか、、、私も含めみなさん、終了してホッとされたと同時に、充実感もあり、思い思いのフリートークに花が咲きました。(^o^*
今期は新しいメニューも加わり、基礎と染織コースに分け1日増やしましたが、盛りだくさんな内容で、時間が足りないぐらいでした。
染織コースでは、最後は手持ちの布から作る、『女わざ』の会誌より、バイアス縫いの腰紐作りと、「観ること 使うことの創造性」についてのレクチャーを工芸評論の笹山央氏にお願いしました。
今回は千利休の侘び茶の美意識を解き明かしていこうとする話を聴きました。
日本の古代から中世までの和歌表現の歴史や、西洋文明では「見ること」の意義がどのように考えられていたかといった視野をも含んでのお話でした。
そして結論は、侘び茶の美意識が日本的な「見(詠)ること」の深化の到達点であり、桃山期から江戸末期の間は日本の造形表現が「人類の美術史」の先頭を走っていた、ということでした。
とても興味深い話でしたが、1時間では消化不良の感じもありました。美術も工芸もそうですが、日本の着物といえども着ること、仕立て、管理なども西洋の感覚が取り入れられている昨今、違和感を覚えることも多く、“侘び”の美意識から紬や着物を見直したいと思います。
紬とは何か、着るとは何か、深く考察していきます。このテーマでもう一度5月からの染織コースで話してもらいたいと思っています。
20年度の紬塾スケジュールは2月の末にHPにてお知らせいたします。
染織コースは、2度目の方も参加できますが、すでに定員に達していますので、キャンセル待ちで受付いたします。
基礎コースの受付開始は3月の下旬を予定しています。開講は5月中旬を予定しています。
受講希望の方は、趣旨をご理解の上、過去の紬塾のブログをお読みいただきご検討ください。ブログにすべては書けませんが、内容など参考にしてください。
第11期紬きもの塾’19の基礎コースの3名の方から終了後の感想、気付きなどを自分の言葉で寄せて頂きました。
少し長くなりますが、是非ご一読ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎回ワクワクするお話を聴くことができて、受講して良かったと感じた1年でした。
元々は、母や伯母から譲り受けた着物だけで自分のはほぼ無い状態で始めた着物生活でした。
布が好きというだけで知識もなく遠方にいる伯母達から得られる情報も乏しく、譲り受けたものの中には扱い方が分からない物もいくつかありました。我が家の収納スペースも限られているので泣く泣く処分してしまった物も…ネット等で着物情報を探しながら細々と続けて、こちらに伺うまでに少し年月がかかりました。
最初の回は恐る恐るの参加でしたが、先生の紬を順に羽織りどんな顔色の人にも映えるのを見て、色が単一でない草木染めの糸で織られた反物の不思議さを知り、参加して良かったと感じたのを思い出します。
そして、自分では決して手に取ることがなかった本、幸田文『きもの』を読み、主人公の祖母の教えにこんな人が身近にいて欲しかったと思いました。
また、「とことん着尽くす」の回では、物を大事に生かして長く使う事や人付き合いの知恵等は頷く事ばかりでした。きものにはその諸々が凝縮されていることを再認識しました。
運針の練習ではもう少しお針が上手になれたらと自分が残念に思えたことも…
取り合わせの授業は楽しかったの一言です。用意された長着に皆さんと小物を選んで合わせる経験をして自分の揃えたい色が見つかりました。
最終回の着物の寸法についてはまだまだ自分の知識が足りないと思いました。
半幅帯の魅力も教わり揃えたい物リストに加えました。
まとめとして、自然に配慮した生活も見習いたいことがたくさんありました。
着物は華やかな面が注目されがちですが、実は堅実な衣類であること、その堅実な部分をもっと知り実践し伝えていきたいと感じた講座でした。
同期のお仲間にも恵まれ、着物の友達が増えてこれからも楽しみです。
1年間、ありがとうございました。
引き続き来年度の染織実習もよろしくお願いいたします。(K)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
基礎コース、とても楽しく通わせていただきました。
毎回講義を受けながら、自然からたくさんの恵みを享受している喜びのなかで、きものを作られる先生の生き方に感銘を受け、私自身もそうありたいと思いました。
先生は、使い捨ての便利さや気楽さに慣れてしまった私に「使いきる」ことの大切さを、そして欲しいものはなんでも手に入れたくなる欲深い私に、本当の豊かさとは決してたくさん持つことではない、と教えてくださいました。どんなものも「使いきる」こと、それはけっしてケチ臭く貧乏臭いことではなく、とても創意工夫の生まれる豊かなことというお話しは本当にそのとおりだと思いました。
授業では、蚕が首を振った分だけ糸が小さくくねくねと曲がっている様子を観察し、決して糸がまっすぐなものではないことを知りました。そんな自然なウェーブを不自然に張り詰めてしまわずに、あるがままの糸の姿を生かしてこそ、はじめて本来の紬の風合いが生まれることも学びました。
また、作り手としての視点から、帯の柄の位置の目安をおしえていただき、そこからいつも「だいたい、なんとなく」決めていた帯枕の位置にも、ここ!という決めの位置があることを学びました。
先生の授業は、詰め込みの知識と違い、感覚を呼び覚まして、実践していきたいと思わせる魅力に満ちていました。
これまで10年近く着付け教室に通い、きものを学んできたつもりでしたが、中野みどり先生と出会って、そもそも自分の「着方」がそれぞれのきものを生かした着方だったのだろうか、ということを考えさせられました。紬には紬の着方があることはわかっていたつもりでしたが、先生の授業では、着方以前に仕立てのサイズ感からしっかりと拘って紬のやわらかくあたたかい特性を最大限に表現できる着方を教えていただきました。
また、運針も教えていただいたり、これからの生活が楽しくなるヒントもたくさん示していただきました。
人間が自然からの恵みによって生かされていること、それに気づかされて、大切に生きていきたいと思えたことは、私にとってとても大きな収穫でした。
どうもありがとうございました。(U)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中野みどり先生と初めてお会いしたのは、先生のお話会の席でした。
前知識なく漠然と染織への憧れを抱いていた私は、一本の絹糸の力について熱く語られる先生の話に感動し、草木染めの事典を大事に持っていて、どの草花をどの触媒に掛け合わせるとどんな色になるのか、そこから学んでいることを先生にお伝えしました。
ところが先生は、それは違います、ときっぱりと言われました。草木染めというのは、方程式で解けるものではない。季節やその日の天気、一日の中の時間、気温や湿度、さらに糸の持ち味の違いなど、いつ染めても一つとして同じものはなく、それ故にそうした一瞬一瞬の移り変わりに目をこらし、丁寧に向き合っていくしかない、とおっしゃったのです。
染織には自分が考えるよりもずっと奥深い世界があることに惹かれ、その世界を覗いてみたくなって、中野先生の紬塾基礎コースに通わせていただくことになりました。
紬塾基礎コースでは、染めと織に至る前の、もっともっと基本的なことが講義の大半だったと思います。講義の最中、先生が常に言ってらしたのが「とことん使う」という言葉です。きものが古びたら繰り回して仕立て直し、着られなくなったら布にもどして縫い合わせて風呂敷にし、布が古くなれば紐にし、縫い糸でさえ使い回す。とことん使うということは、もののいのちをとことん生かすことなのだ、と先生に教えていただきました。
最後の講義で先生がおっしゃった言葉も印象的でした。「織ることは食べることと同じ」。自然の恵みである糸を紡ぎ、自然の素材で染め、自分の身体を使って自分の手の届く幅で布を織り出していく。その工程のすべてが、自分がものと向き合う時間です。織ることには、まさにその人の生きる姿勢が写されているのだと思いました。
一年間の紬塾が終わってすぐに、仕事でインドに行き、ある工房を訪ねました。そこでは、古くからいる職人の人たちが手作業で椅子を作っていましたが、その座面を編んでいる紐が、実はタッサーシルクの絹糸を撚って作ったものでした。絹といえば高級繊維で繊細なもの、とはなから思い込んでいましたが、精錬せずに太く撚ることで、絹糸も麻布の如く大人の体重も支える丈夫な素材になるのだとわかりました。これもインドの人たちの生きる知恵から生まれたもので、蚕の糸をとことん使い倒す例だと思いました。
国は違えど自分の身体で自然やものと向き合い、その恵みをいただきながら大切に生かしていくのは人の暮らしならばどこでも同じで、そうした日々を暮らしていくうえでの根本的なことに気づかせていただいたのが、この紬塾基礎コースから学んだ何よりのことだと思っています。(I)