「博多にわか」のお喋りの面白い先輩がいた。こやまっちゃんとみんなが呼んでいたが、私は年が二つ三つ上の先輩に対して仕事の真面目さから、なぜか畏敬に思うところがあり、さん付けで呼んでいた。現職時代の出版社のこと、彼は博多にわかのお面をつけお囃子の曲に乗り、面白いことを喋っておった。「どうしてわが社の本は売れないのかね・・・?、すぐに読者は継続する雑誌を止める・・。」「読書の秋の夜長・・だけに、10日(灯下)親しむ」などと云って、皆を笑わせていた。
E・フロムだったか、希望は精神的なもの、内側からくる、に対して欲望は、外側にあるものが欲しい・・という理屈になぞらえば、理性から出発する希望は、盲目的に見える感情に支配される欲望を凌駕し得るか・・などと取るに足らないことを考える。本能から出た欲望を押え切ることが難しくなるんだろうか。
そのようなことを思いながら、じゃ自分の希望はどこにあるのか、どのようなものなのか。欲望を整理するとそれを入れた箱の名前は何と付ける?などと考えた。
落ちていく自分をどのように受け入れていくのか、10mを歩くにも腹に力を入れて緊張して右足左足と交互に出すような、体力的にも年々落ち、もの覚えもその能力が低下し、周囲を眺めれば、ますます明るくにぎやかになるのが面倒くさく思い、見過ごすことを良しとし、反対に暗いもの、先行き不当不明な方が自然の成り行きにも感じ落ち着く。
「不定愁訴」がある。先日産業保健センターでの研修を申し込んでいたものの行く時間なくキャンセルした。(今年の研修はほとんどパスをしている・・トホホ状態。)この研修に90歳高齢の実母の介護に奥さんと二人で対応しているSさんが出席した・・と聞いたので、早速その内容をお聞きした。私のほうも94歳(あと数日で95になる)の母親対応に難儀しているのが共通点。早く迎えに来て欲しいと父親や弟に云っているが、なかなか迎えに来てくれない、私は長生きしすぎた・・の訴えが長く続いている。高年者の不定愁訴は自律神経の乱れなのか、病的な方面からアプローチをかける専門家の話であっただろうとSさんに研修内容をお聞きすると、いやぁじつにつまらん内容だったです・・のことだった。Sさんとはご一緒にいろんな研修やら講演会に出席させてもらった。Sさんにいままでよかったと思った、目からウロコの研修や講演会はどんなものでしたか?とお聞きした。するとSさんは、ノーベル賞受賞する前にきいたIPS細胞の山中伸弥先生とバイオリニストの千住真理子さんの話、と。お~同感同感。
象の墓場がある。なんてことはない、ゾウさんがなくなれば亡骸を他の動物、例えばハイエナなどが食べてしまい、残ったのが象牙だとか。こりゃいいなぁと思うが・・。