年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

ほう~・へ~

2016-08-14 00:00:00 | Weblog

 少し興奮気味で電話をしてきたのは久しぶりのT君である。小学校校長を60歳で終え、その後教育界に引き続いて職を得ていたが、面白くなく辞めて後、前からやりたかったことをやったところうまくいかず、つまり失敗をして借金が残るようなことがあり、ガードマンの仕事やA型就労支援事業所のおしぼり工場で仕事をしていたが、民間会社の厳しさを身に染みて嫌気がさし、今年4月から新しく就いたのは理科実験を子供たちに教えるような公職に近い仕事である。そこで現在水を得た魚のように今までのような再三再四の愚痴を聞くことが無くなった。そのようなワケで彼と話す機会もなくなった。
ところが夕方突然電話があった。

 T君は20年ほど前に山間部の全校生併せても数十名の小学校に勤務していたことがあった。当時、その小学校の隣にある中学校の校長も私の自宅の3軒隣のIさんだったし、T君とIさんは兵庫県の教育大でも一緒だったから顔なじみである。その校区である町は農家さんがほとんどであり穏やかな良い所だとお二人からよくお話を聞いていた。

 T君の今夕の話、子どもたちと卒業後の20年目にまたみんなで集まろう・・と決めていたのだそうだ。T君は忘れていたそうであるが子供たちはみな覚えていたそうだ。20年目の夏にタイムカプセルを掘り起こすことを校長のT先生が話したと。先日幹事役さんから連絡をもらったので行ってきた。そして久しぶりのみんなの顔を見てきた、小学生の坊主だったのが今30歳にもなって見違えた、という。そして続けて気づいたことがある・・という。
 何を気づいたのかと?と問えば、返ってきたのは、小学校のテストで5点や10点違ったところで、1番であろうがどん尻であろうが、今の生活にシアワセ感を持つかどうかは関係ないようだ、小学校の時の成績が大きく影響をすることはなく、むしろのびのびと山や川で友達と遊び、経験をしている子どもの方が30歳を過ぎてもこせこせするようなこともなく仕事に私生活にじゅうぶんガンバっていたよ・・・。そのような感想を20年前と今と振り返って、寄稿したいが、メディアはどこがエエか・・というのでとりあえず地方紙の門欄にでも書けばエエ・・と応えた。ほうか~
 本日の教会。 山上の説教

                  (マタイ5-3~10)


 牧師の息子さんのM君が「てっぺん紅茶」を淹れるという。さっそくご相伴にあずかる・・で、とりだしたのは固形燃料によるコンロ
 
 外国製らしい・・初めて見るよ・・エ~こんなもんがあるんだなぁ・・
  てっぺん紅茶を頂く。ごち。。。