暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二七六)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七六)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 【宇佐神宮】は、オウジンテンノウ(應神天皇)ほかの室系神を祀る【全国八幡宮の総本社】ですが、はじめからそうだったわけではなく、従前の祭祀は秦氏にかかる山上祭祀であり、社殿は、古墳の上に築かれています。創祀の淵源は【宗像大社】にあると推定されます。古墳上に神社を建立するのも【古朝鮮神社様式】といえると思います。つまり、日本で発生した古神道は韓半島(朝鮮半島)に渡った日氏が現地古代朝鮮人らと混血し、【日氏系古代朝鮮民族】が、彼の地で同化しながら成立していく過程で成立していった【古代朝鮮神道(仮称)】ともいえるのではないでしょうか。古墳上の神社建立は、畿内、隠岐などに見られますが、実態は不明ながらも相当数があると推定されます。
 人がこの世に生まれるのは神霊が火と柱に憑依したもので、命尽きれば天に還り、時を得ればまたこの世に帰ってくると信じる佛教の輪廻思想とも褶合した思想だと思います。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・天神山古墳群
2013/5/17(金) 午後 5:50
... 今よりももっと頻繁に交流があったという事実は、今まで見てきた古墳からも伝わってきます。 今回、雪野山ハイキングコースを歩いてみましたが、 龍王寺・天神社・・・天神山古墳群・・・そしてこのハイキングコースを造るために  偶然発見された雪 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/ssfff966/54025884.html
・古代のロマンを求めて・・・古墳見学会
2011/12/19(月) 午後 3:08
... 木曽川流域には古代の遺跡が多くあり、なかでも3世紀から7世紀にかけての古墳時代には ... 手力雄神社境内古墳 神社に参拝しても本殿の後ろにある古墳は初めて、身近なところにあったんですね。 東にある二つ目の古墳 須衛地区の船山北古墳群 公園とし ...
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukokabe3294/30028034.html
・5番「貝塚と古墳、古代のロマン」を歩く
2010/2/9(火) 午後 5:35
... 川崎市高津区魅力発見5番「貝塚と古墳、古代のロマン」(子母口・千年コース)を歩い ... 昔はもっと古墳は大きかったという。 古墳公園を左に歩き、T字路分岐。左が、「橘樹神社・子母口貝塚」。右が「能満寺・影向寺」方面。ここに、「案内掲示板」がある。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/nobutai2000/40934074.html
・『嗚呼っ!古代』♪下野古墳つれづれ~ :宇都宮ミステリーサークル活動Vol.7
2009/9/11(金) 午前 0:39
... (1)三王山2号古墳(2)権現山古墳(3)上神主浅間神社古墳(4)笹塚古墳(5)塚山古墳(6)摩利支天/琵琶塚古墳(7)吾妻古墳(8)甲塚古墳(9)国分寺愛宕山古墳 ... またも古代の争乱がこの地に起ったと思わせる古墳が出現。 塚山古墳(5)→摩利支天古墳 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/otto_ngo1ro/56155926.html
・◇野本将軍塚古墳~古代のロマンが蘇る!~
2007/4/5(木) 午前 8:19
... 埼玉・東松山市下野本 野本将軍塚古墳~古代のロマンが蘇る!~ 【写真について】 県道345号線の案内板です。この県道に面して、無量寿寺の参道を示す標柱が二本建っており ... 後円部の墳頂には利仁神社が祀られています。狛犬はかなりの年代を想起させますが ...
http://blogs.yahoo.co.jp/qazxswedcvfr2004jp/47435894.html
◆日本の山車 ブログ
日本の山車
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【都道府県別分類】は、これまでの記事はこちらに整理統合しています。随時編集中です。
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玉依姫 様 (二七六)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七六)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 【宇佐神宮】は、オウジンテンノウ(應神天皇)ほかの室系神を祀る【全国八幡宮の総本社】ですが、はじめからそうだったわけではなく、従前の祭祀は秦氏にかかる山上祭祀であり、社殿は、古墳の上に築かれています。創祀の淵源は【宗像大社】にあると推定されます。古墳上に神社を建立するのも【古朝鮮神社様式】といえると思います。つまり、日本で発生した古神道は韓半島(朝鮮半島)に渡った日氏が現地古代朝鮮人らと混血し、【日氏系古代朝鮮民族】が、彼の地で同化しながら成立していく過程で成立していった【古代朝鮮神道(仮称)】ともいえるのではないでしょうか。古墳上の神社建立は、畿内、隠岐などに見られますが、実態は不明ながらも相当数があると推定されます。
 人がこの世に生まれるのは神霊が火と柱に憑依したもので、命尽きれば天に還り、時を得ればまたこの世に帰ってくると信じる佛教の輪廻思想とも集合した思想だと思います。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・天神山古墳群
2013/5/17(金) 午後 5:50
... 今よりももっと頻繁に交流があったという事実は、今まで見てきた古墳からも伝わってきます。 今回、雪野山ハイキングコースを歩いてみましたが、 龍王寺・天神社・・・天神山古墳群・・・そしてこのハイキングコースを造るために  偶然発見された雪 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/ssfff966/54025884.html
・古代のロマンを求めて・・・古墳見学会
2011/12/19(月) 午後 3:08
... 木曽川流域には古代の遺跡が多くあり、なかでも3世紀から7世紀にかけての古墳時代には ... 手力雄神社境内古墳 神社に参拝しても本殿の後ろにある古墳は初めて、身近なところにあったんですね。 東にある二つ目の古墳 須衛地区の船山北古墳群 公園とし ...
http://blogs.yahoo.co.jp/kazukokabe3294/30028034.html
・5番「貝塚と古墳、古代のロマン」を歩く
2010/2/9(火) 午後 5:35
... 川崎市高津区魅力発見5番「貝塚と古墳、古代のロマン」(子母口・千年コース)を歩い ... 昔はもっと古墳は大きかったという。 古墳公園を左に歩き、T字路分岐。左が、「橘樹神社・子母口貝塚」。右が「能満寺・影向寺」方面。ここに、「案内掲示板」がある。 ...
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・『嗚呼っ!古代』♪下野古墳つれづれ~ :宇都宮ミステリーサークル活動Vol.7
2009/9/11(金) 午前 0:39
... (1)三王山2号古墳(2)権現山古墳(3)上神主浅間神社古墳(4)笹塚古墳(5)塚山古墳(6)摩利支天/琵琶塚古墳(7)吾妻古墳(8)甲塚古墳(9)国分寺愛宕山古墳 ... またも古代の争乱がこの地に起ったと思わせる古墳が出現。 塚山古墳(5)→摩利支天古墳 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/otto_ngo1ro/56155926.html
・◇野本将軍塚古墳~古代のロマンが蘇る!~
2007/4/5(木) 午前 8:19
... 埼玉・東松山市下野本 野本将軍塚古墳~古代のロマンが蘇る!~ 【写真について】 県道345号線の案内板です。この県道に面して、無量寿寺の参道を示す標柱が二本建っており ... 後円部の墳頂には利仁神社が祀られています。狛犬はかなりの年代を想起させますが ...
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玉依姫 様 (二七五)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七五)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 推論ですが、豊前(大分県)に秦氏が勢力圏を築いたのは、おそらく海神系・綿津見氏よりあと。しかし紀元前だったと考えます。秦氏は韓半島(朝鮮半島)に【統一新羅】を築いた氏族の祖先に当たると考えられますが、のちの発展を考えると豊前においてゆるぎない地位を確定していたはずです。
 その成功は九州を掌握していた日氏、そのあとの海神系・綿津見氏との講和策が適切で極力氏族韓の争いを避けたことにあるのではないでしょうか? それは、たとえば日氏につながる日本古来の山上祭祀をいち早く受け入れ、一ノ岳にカラクニオキナガオオ ヒメオオメノミコト(辛国息長大姫大目命)、二ノ岳にオシホネノミコト(忍骨命)、三ノ岳にトヨヒメノミコト(豊比命・豐玉比賣命)を祀りそれぞれの山を御神体山とし、その麓に【香春神社】の社殿を建立しています。この形式は、日本の古神道が韓半島(朝鮮半島)において西方から伝わった佛教の様式と混交して成立した【古朝鮮神社様式】とも言えるもので、それまでの日本にはなかった【社殿に神を祀る祖形】といえるのではないでしょうか。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・志賀海神社(福岡市東区) その1
2012/2/28(火) 午前 6:09
... 底津綿津見神(そこつわたつみのかみ) ・ 仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ) ・ 表津綿津見神(うはつわたつみのかみ) の 綿津見三神 を祀り、全国の綿津見神社、海神社の総本宮と称されています。 貞観元年(859 ... あと、万葉の歌碑もあります。ご当地ソング ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kirishima_no_bebu/38030266.html
・安曇族のよりどころ  穂高神社と道祖神   中央アルプスも見えました
2010/9/26(日) 午前 0:35
25日の続きです。 海神・綿津見の神を祀る 穂高神社 。 奥の宮は、 あの上高地に、 嶺の宮は奥穂高岳の頂上に鎮座しています。 九州から来た海人、安曇族 ゆえの  お船 があります。 ... 今日のように、雨あとに晴れたときなどよく見えるときがあります。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakaze21/18925781.html
・船魂神社
2008/11/14(金) 午後 8:27
... 地区の街並み NO,39 船魂(ふなだま)神社 函館市元町 北海道最古の神社ではあるが、残念ながら度重なる ... 翁命(しおつちのおじのかみ)    大綿津見神(おおわたつみのかみ)    須佐之男神 ... でも、あと6つの神は何処におわすのか? それ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/19566559.html
・沼名前神社 (1)
2008/7/11(金) 午前 0:42
... 沼名前(ぬなくま)神社。 式内社、旧国弊小社格。  祭神は大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)。  創建は仲哀天皇二年(194年?) ... 茅の輪の芯☆ 茅の輪くぐり神事を終えたあとは、茅をばらして参拝者にくばります。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/koshomasae/57209725.html
・志賀海神社
2008/5/24(土) 午前 11:10
今日は志賀島にある志賀海神社です。 海のそばにあるせいか、糸島の神社と雰囲気が似てるような・・・ 志賀海(しかうみ ... 最初は底津綿津見神だけが祀ってあったとか、あとで3人にして祀ったとか。 そのせいかどうか知りませんが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dfbrj069/39021883.html
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暘州通信
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 http://hiyou.easy-magic.com/

玉依姫 様 (二七四)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七四)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 出雲國が、仮に五世紀まで存続していたとすると、『古事記』、『日本書紀』で知られる、紀元前六六〇年のジンムテンノウ(神武天皇)にはじまるとされる、皇紀とのあいだに大きなパラドックス(論理矛盾)が生じます。これまでの【紀伝体の皇統史】から、科学的調査と日本人の意識の変革のもと、科学的精密な検証と精査による【編年制の日本史】が編纂されるべきではないでしょうか。

玉依姫 様 (二七三)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七三)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 大和朝廷は、【國譲】による強引な【簒奪(さんだつ)】を成功させ、出雲國をそっくりとりあげましたが、おもいがけないところに盲点がありました。出雲國の祭祀は主として、スサノオノミコト(素盞鳴命)、クシイナダヒメ(奇稲田比賣命)、テナヅチノミコト(手摩乳命)、アシナヅチノミコト(脚摩乳命)、オオナムチノミコト(大己貴命)、コトシロヌシノミコト(事代主命)、イタケルノミコト(五十猛命)ほかの眷属神、従来から引き継がれてきた神々。秦氏の創祀にかかる、稲荷神、ウカノミタマノカミ(倉稲御魂神)など、こうしつとしては受け入れがたい神々ですから國は得たが祭祀は引き継ぎませんでした。

玉依姫 様 (二七二)

2013年05月22日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二七二)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 出雲王国の末期には九州に興った【日氏(仮称)】にはじまる、宇宙神・アメノミナカヌシノカミ天御中主神】、太陽神とその子神である火神。これが海神系・綿津見氏。秦氏。出雲國に到って祀られる神も増え、【古代神道】は頂点に達しました、ここまでがおおむね第一期。弥生時代の末期ごろ韓半島(朝鮮半島)から多くの渡来人がわたってきましたが、これには古代の日氏が韓半島(朝鮮半島)に定住した、いわゆる【韓系倭人】、古代朝鮮人(韓人)、韓半島(朝鮮半島)に渡来し、あるいは北部から南下した複数種族のモンゴロイド、異国人族が渾然となってこれがまた混血した新しい氏族となって韓半島(朝鮮半島)に地歩を占め、多くの種族が韓半島(朝鮮半島)に生活の場を持ったと推定されます。
 そこで話された言語も多国言語だったはずですが、藺民族間で共通する言語はおそらく古代日本語で、朝鮮語、あるいはハングルが完成したのはおそらくそのあとでしょう。お互いに勢力が拡大すると自然発生的に確執や葛藤が生じたのは歴史の示すとおりです。このことから在来民族が居所、財産を失い、倭へあるいは大倭へと渡来してきました。朝鮮式神道はこうして日本に渡来し、日本の古神道と朝鮮式神道は融和しました。
 これまでに述べたことと一部重複しますが、大きな特徴は、平地に社殿を建てて神を祀る形式であり、【神杜】は【神社】になりました。
神社史を概略すると、
第一期 日氏の創祀
第二期 海神系・綿津見氏の祭祀
第三期 秦氏の祭祀
第四期 出雲史の祭祀
 ということになるでしょう。