暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二三四)

2013年05月06日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二三四)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 韓半島(朝鮮半島)の【國制と歴史】を概観しましたが、正確にはご自分で確認してください。
史書で確認できる韓半島(朝鮮半島)のはじめの建国は、【高句麗】と【三韓】とよばれる、馬韓、弁韓、辰韓ということになるでしょう。このことは、推定、紀元前三千年から紀元前二百年ごろまで、およそ三千年近く日本から渡った縄文人、これにつづく【日氏】が安定的に生活を営み、稲を栽培し、原始日本語を話していたと推定されます。
 朝鮮半島の古代は日本と同じように多民族が渡来し、北から蒙古満州。西から中国民族、南西から東南アジア系民族。南から日本の縄文人が渡来したと考えられこれが古代の氏族間の確執となったであろうことは十分考えられます。
 一方、韓半島(朝鮮半島)からは、当初対馬、壱岐を経て博多湾に渡来した朝鮮氏族があったことはやはり出土品などで確かめられています。
 紀元前から五世紀ころまでは韓半島(朝鮮半島)の南部、九州は同一文化圏にありこれが『宗書』にいうところの【古代日本】ではないでしょうか。
 

玉依姫 様 (二三三)

2013年05月06日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二三三)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 韓半島(朝鮮半島)に形成された国家は現在も二分されたままで、南部は、大韓民国。通称、韓国。北部が、朝鮮民主主義人民共和国。通称、北朝鮮。となっています。
韓半島(朝鮮半島)の歴史を概観しますと、古代は、紀元前七百年ごろまでは【櫛形土器】をともなう【新石器時代】。そのあと、青銅器、鉄器が使われ稲作を行った時代。中国に前漢が興った時代とほぼおなじくして紀元前二百年ごろに、【高句麗】、【馬韓】、【弁韓】、【辰韓】が建国されたようです。
【馬韓】はのちに【百濟】。【弁韓】は、【任那(伽耶、伽羅)、【辰韓】は【新羅】となりましたが、八世紀ころには【統一新羅】。一〇世紀ころには【高麗】。十四世紀ころには【朝鮮(李朝)】。となっています。

玉依姫 様 (二三〇)

2013年05月06日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二三〇)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 日本列島に縄文文化を築いた縄文人はおそらく北方から次第に南下したアイヌ民族だったと推定されます。その歴史は前期、中期、後期の三期に分けるのが一般的ですが、その全期間およそは七千年くらいでしょうか。かれらの生活には信仰があったことが出土品の中に土偶が見られることからほぼ間違いないでしょう。現在から見ればおよそ一万年前に原日本人の生活が始まったといえそうです。
 縄文人は時代がさがるに従い次第に南下し、本州四国、九州にいたり、さらに海を越えて西に進出し奄美諸島を経て沖縄にまで達していたことは、出土品で明らかになっています。さらに、壱岐島、対馬を経て韓半島(朝鮮半島)に渡ったこと。中国の北部にも縄文人の痕跡があって、これらの地域にも【縄文人・古代日本人】が定住していたことは明らかです。
 言い換えれば、縄文人・古代日本人の生活圏は、北部アジア大陸、樺太、北海道、本州、四国、九州、奄美諸島、沖縄。さらに韓半島(朝鮮半島)、中国北部まで版図を広げていたと推定されます。

玉依姫 様 (二二九)

2013年05月06日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二二九)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 日本中どこに行っても【鎮守】の神を祀る神社があり、【氏神さま】、【産土さま】ととばれ、新年の初詣にはじまり、交通安全祈願、子授け祈願、安産のお守り授与、初子のお宮参り、七五三の宮参り。入学祈願、病気回復祈願、めでたくマイホームを建築するともなれば地鎮祭、結婚式・披露宴。お祭ともなれば、豊作祈願、、大漁祈願、商売繁盛祈願、亜紀には収穫に感謝する豊年祭、さらには、雨乞い祭に到るまで神社と民衆のかかわりは深く日常の歳時の中に深く織り込まれています。
 では、神社はいつごろから日本人の生活の中に根を下ろしたのでしょうか?