暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二五四)

2013年05月12日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五四)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 神を祀る日本の祭祀の始まりは、北方から南下した民族。【縄文人の原始信仰】と、東南アジアから沖縄方面の西方からの宗教、これにヒマラヤ山麓から伝えられたと推定される【稲】を作る民族の宗教、これにその他の外来宗教が加わり、縄文人と、沖縄人、ヒマラヤの主として古代レプチャ語を言語とする民族、韓半島(朝鮮半島)から渡来した古代朝鮮民族らが融合し、これらの諸民族は九州南部から中部にかけて、混血民族【日氏(仮称)】が定住することになったであろうと考えるのは私見ですが、これまでに述べてきたところです。
 九州で一番はじめに統一された國と考えられますが、はじめは太陽を信仰する集団で、その信仰には宇宙の根源神としての、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を敬うようになり、【昼と夜】を司る神として昼は太陽神のアマテルノカミ(天弖留神)。夜はツクヨミノミコト(月讀神)が有っただろうと考えます。いずれも性を超越した神です。

玉依姫 様 (二五二)

2013年05月12日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五二)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 日本への佛教伝来には韓半島(朝鮮半島)の【百済】が大きく関与しているのは疑いのないところですが、その先駆者たちはいずれも非業の結末を迎えることになりました。大和朝廷の基盤はその支持・構成者である【公卿】らのあいだにもさまざまな形で大きな影響を与えたはずで、たびたび行われた遷都により、佛教導入にかかわる大きな犠牲も修復されたかに見えます。
 面目を一新しつつ、八世紀には平城京遷都が行われ、大和朝廷は聖武天皇期に至って、東大寺が建立され地方に國分寺、國分尼寺が建造されて、ゆるぎない国家が建設されました。遣唐使が派遣され、中国から佛教が入り、日本からの学僧、あるいは渡来僧が彼の地より新知見を日本に伝えました。

玉依姫 様 (二五二)

2013年05月12日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五二)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 聖徳太子は、【厩戸皇子】の名があり、【聖徳太子・しょうとくたいし】の称号は後世の呼称といわれます。用明天皇を父に、欽明天皇の皇女である【穴穂部間人皇女】を母とし、その第二皇子として誕生したといわれます。
 聖徳太子は、日本への佛教伝来に大きな功績があったことで著名ですが、佛教を積極的に導入しようとする【蘇我馬子】と既成の神道を守るべきだとする【物部守屋】のあいだに激しい対立があったとされ、【用明天皇】二年(五八七)に、天皇崩御となると皇位を巡る争いとなりますが、これが発端となり、蘇我馬子は、【敏達天皇の皇后である、豊御食炊屋姫の詔をうけて【穴穂部皇子を誅殺】し、さらに、物部守屋を討つべく軍を起こし、河内國渋川郡にあった守屋の館を攻めますが、この戦には厩戸皇子(聖徳太子)も従軍しています。武士族である守屋の軍勢は、頑強であったが、ついに守屋は【迹見赤檮(とみのいちい)】の矢にあたって死去し、以後物部氏は急速に衰退したと伝わります。
 しかし、皇極天皇二年(六四三)には、【蘇我入鹿】が聖徳太子の子とされる【山背大兄王】を攻め、王は自害しています。さらに、わずか二年後の、皇極天皇四年(六四五)には、【中大兄皇子】らが宮中で蘇我入鹿、そがいるか)を倒し、入鹿の父である【蘇我蝦夷(そがえみし)】が自害するという【乙巳の変】がおきて蘇我氏は滅亡しました。

玉依姫 様 (二五一)

2013年05月12日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五一)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 韓半島(朝鮮半島)における百濟(百済)の滅亡は、その後の大和政権にも大きな影を落としたようです。佛教は大和朝廷の庇護の下で大きな勢力となり、四天王寺、百濟大寺(のちの大安寺)、法隆寺、飛鳥寺(安居院)などが次々と建立されました。齋明天皇(斉明天皇)は、【高向王】と結婚し、【漢皇子】を産んだとされますがこのふたりのことは不明です。そのあと、舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子(なかのおえのおうじ・天智天皇)、間人皇女(はしひとのひめみこ。聖徳太子の母、穴穂部間人皇女は同名異人)、大海人皇子(おおあまのおうじ・天武天皇)を産みました。舒明天皇が崩御されると皇后は即位して【皇極天皇】となりました。皇極天皇二年(六四三)に、飛鳥板蓋宮に遷宮。同じ年の年末には【蘇我入鹿】が山背大兄王を攻め、王は自害するという事件がおきています。【山背大兄王】は【聖徳太子の子】とされますが、異説があります。そのわずか二年後の皇極天皇四年(六四五)には、【中大兄皇子】らが宮中で蘇我入鹿、そがいるか)を倒し、入鹿の父である【蘇我蝦夷(そがえみし)】が自害するという【乙巳の変】がおきて、仏教の興隆とともに権勢を誇った蘇我氏は滅亡しました。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・天智天皇
2011/2/24(木) 午後 9:04
... 中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。入鹿の父・蘇我蝦夷は翌日自害した。更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676/37706074.html
・第35代 皇極(こぅぎょく)天皇・蘇我(そが)一族滅びる
2009/9/24(木) 午後 4:02
第35代 皇極(こぅぎょく)天皇   幼名・宝皇女(たからのひめみこ) 後に再び、第37代 斎明(さいめい)天皇として即位する。 生誕 推古(すいこ)2年 594年  皇居 飛鳥岡本宮 ... (そがのいるか)に屋敷を襲撃され自害した聖徳太子(しょうとくたい ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hksk20002000/30363729.html
・皇極・斉明女帝
2009/5/12(火) 午前 10:12
... 夫が崩御されてからは彼女が皇極天皇として即位します。 実際の政治は蘇我入鹿が担当したのです。 彼女自身は巫女王のような感じの女帝とし ... 長男山背大兄王やその一家が蘇我入 鹿に襲われ無念の自害をしたのです。 当時女帝の次の後継ぎとして ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kaedesoyosoyo12345/16562194.html
・持統天皇
2008/2/12(火) 午前 10:56
... 衣干すてふ 天の香具山 百人一首で有名な持統天皇は、推古天皇、皇極(斉明)天皇に続く史上四番目の女帝である。 讃良皇女(さらら ... 自分の息子を天皇にするために 大津皇子を自害に追い込む 三つ目は、自ら天皇になる決断 晴れて、息子が天皇になるが ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/para99yuki2000/51902743.html
・飛鳥時代ー皇極天皇ー2、山背大兄襲撃事件
2006/7/30(日) 午後 2:36
<蘇我氏の若き独裁者は、聖徳太子の子を自害へと追い込む> 入鹿は舒明天皇を擁立して以来、蘇我氏と対立してきた聖徳太子の子・山背大兄王を斑鳩に襲撃した。 ... <常世神騒動> 皇極 3年(644)、静岡県富士川河口で、大生部多(おおふ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/14795195.html
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玉依姫 様 (二五〇)

2013年05月12日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五〇)

【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 少し戻りますが、韓半島(朝鮮半島)の百濟と新羅の戦には、【日本から応援の兵がハクスキノエ(白村江)まで出向いて戦ったが大敗を喫した】。と有りますがはなはだ不可解です。
 もし、その戦いに兵を出すとすればそれに先立って、日本の中の新羅(秦氏)を討つべきでしょう。日本の中の新羅をそのままにしておいて博多湾から韓半島(朝鮮半島)に船を出せば、豊前、豊後(大分県)に拠点を占めていた【秦氏】は、間違いなく退路を遮断するでしょう。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・[日本と朝鮮半島2000年(4)「そして"日本"が生まれた」]
2009/7/28(火) 午後 2:43
... 「朝鮮半島」ではなく「韓半島」と翻訳して恭順の意を示しているので ... 663年の白村江(はくそんこう
 http://blogs.yahoo.co.jp/ynm0/54307513.html
・百済の滅亡
2009/3/21(土) 午前 11:32
... 日本書記 中央公論社1983, p.380  唐は朝鮮半島を襲い、百済を助けようとした日本軍は白村江(ハクスキノエ)で大敗した。  白村江の敗戦:  古代史の罠:  善光寺:  一光三尊阿弥陀如来像(善光寺式阿弥陀三尊):   (おまけ)   墳墓 に埋葬 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/hopi519/50606721.html
・今日のn_o_i_s_e_m_a_n 氏【漢代に朝鮮における漢の領地であった帯方郡(現在のソウル辺り?)には「後漢」霊帝・献帝の子孫である一族がおり、楽浪郡(現在の平壌辺り)には「前漢」高祖(劉邦)】
2008/4/6(日) 午後 11:52
... つうか半島が漢民族で一杯。 ・2郡も高句麗国の勃興、進展によりついにAD313年に滅び漢系の多くの民がさらに南のその後の百済国 ... 白村江(ハクスキノエ)の戦いはこのころだっけ?ちゃうちゃう663だ。 ... これが大敗だからね~。  がっくり。  これで ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mirokuninoti/41329791.html
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