暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二六〇)

2013年05月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二六〇)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 日本の古代は韓半島(朝鮮半島)からの渡来人に対してなんら制約することなく無条件に受け入れたと推定されるが、当時の日本人はそんなに寛大だったのか? しかし渡来先がなぜその他の諸国ではなく日本だったのか? 渡来人たちは同郷の人々が集団となって集落を作って居住したと考えられるが、そうであれば集落という小社会話されていたのは【朝鮮語】のはずです。それがなぜ日本で定着しなかったかのでしょうか?
 朝鮮に国家が誕生したのはせいぜい紀元前二百年くらいのことで、主として使われていた【朝鮮南部の言語】は【原始日本語】であったろうと考えられること。氏族は縄文人から発展した日氏、扶余族をはじめとする少数土着氏族の混成國だったのではないでしょうか。それが韓半島(朝鮮半島)に相次いで起きた戦乱のため難民となった諸氏族が棄郷し、二度と戻らない悲壮な決意で日本へ渡来することになったと創造され、もうひとつは、大和政権が戦争難民を受け入れたということでないでしょうか。

玉依姫 様 (二五九)

2013年05月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五九)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 任那系氏族、高句麗系氏族、百済系氏族、新羅系氏族などの古代朝鮮人らが日本に神を持ち込んだとされ、朝鮮系の神社があることは否定できない事実です。日本にある朝鮮系の氏子域には、現在は多くの日本人も生活しており、初詣には、氏神の祀られる朝鮮系の神社におまいりするのは珍しいことではありません。そして参詣者の中には民族衣装をまとった朝鮮系の参詣人の姿を見かけ
ます。現在、韓国には【神社が存在しない】といわれます。ソウルには、豊臣秀吉の【朝鮮の役】で朝鮮からつれてこられ、但馬の乃木に居住したと伝わる乃木氏の裔孫である、【乃木希典(のぎまれすけ)を祀る【乃木神社】もありましたが、破壊しつくされました。
 

玉依姫 様 (二五八)

2013年05月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五八)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 紀元〇年から紀元五世紀ころにかけて、韓半島(朝鮮半島)からの多くの渡来人が日本に渡ってきました。任那系氏族、高句麗系氏族、百済系氏族、新羅系氏族などはその代表的氏族といえるでしょうが、お互いの間に激しい争いが繰り返され、西暦六六八年には最後の高句麗が滅び統一新羅となりましたが、ここに至るまでには興亡の歴史が繰り返されたようですが、日本も大して状況は変わっておらず、難波の宮造営と廃棄から、天智天皇からその弟に当たる天武天皇のあいだの争いは、【壬申の乱(六七二)】となりました。古代朝鮮と日本とは時期を同じくして、よく似た状況にあったといえます。
 韓半島(朝鮮半島)からの渡来氏族は日本各地に集団で生活をしたと考えられますがその中心にあったのが、祖先を祀る【朝鮮様式神社】でした。渡来氏族が韓半島(朝鮮半島)から持ち込んだ
朝鮮式神社は、【新羅神社】、【韓國神社】、【百濟神社】、【高麗神社】、【辛國神社】、【高來神社】、【寒川神社】、【白鬚神社(白髭神社、白髯神社)】まだまだありますがその数は膨大なものです。これらの神社はそれまでの日本にはなかった、祠堂、廟堂、社殿などに神を安置し祀る形式でした。 
□参考
次を参考にさせていただきました。
・出雲大社(6)・出雲国から紀伊国
2013/5/14(火) 午前 10:13
... 季語:風薫る(初夏) 紀伊半島 は古来、 木国 (きのくに)と呼ば ... 速玉神社、熊野神社、 伊達(いだて)神社、加太神社など・・両国に同名の社があるのは、五十猛神が 出雲国より遷り ... 「熊野三山の史的研究」は「氏族の移住に伴い、本国の地名を移し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sanseipoppo/11358918.html
・古代群馬の氏族たち
2009/6/21(日) 午前 11:42
... 上毛野君が守護神として祀った赤城神社が常陸から東北地方に 数多く点在 ... ただ、東国の氏族が朝廷の命令で朝鮮半島へ出兵したのは確かだと思いますが、その規模や 実績については氏族によって脚色されている可能性があり、文献などの記述をそのまま信用 する ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamitukeno_k/53318754.html
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玉依姫 様 (二五七)

2013年05月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五七)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 縄文人から、出雲氏族に至る過程で、すなわち、紀元前から紀元四世紀ころまでに日本の古神道はほぼ成立していたと推定されます。その【祈りのかたち】は古くは自然に天降る(あもる)、日照、雨、風、火、雷鳴などの自然現象に神を知覚し、これを畏れ敬うことから、素朴に人が生存しうる【天・地・人】のかかわりから【神】を実在する存在としてみとめ、古くは山上の巨石や大木に降る神を、のちには、集団の意識でお迎えする【神迎え】へと進化し、これを【一本柱】、【桙・ほく、ほこ】を立てて神迎えを行う四季の歳時として定着してゆき、集落に山があればその山上の磐や巨木に、山のない平野部では磐のある場所に、山や岩がない場合には清浄な岩を運んできて、これに【神が憑依して籬る】と考えるようになったと考えられます。神の籬もる場所が【神籬・ひもろぎ】ですが、ひもろぎとは、【ひ、もり、き】の古代合成語と推定され、【日、火、神霊(ひ)】の【しずもる・鎮座する】ところが、【もり】で、このような場所は神聖視され、後には【森、盛、守、杜】などの感じで表わされるようになりました。神森、神盛、神守、神杜と呼ぶ山は全国にあります。鉢盛山、飯盛山、杜の都などはよく知られます。古代の祭政一致の思想は地域を統べ、管理する武人は、國名をつけたモリ、たとえば、【柳生但馬守】などのように一國の領主は【守・かみ】でもあったようです。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・東海自然歩道・北勢町川原コース (三重県いなべ市)
2013/5/15(水) 午前 0:30
... (名前思い出せないのさ~--; 見晴らしのいい場所から霞んではいるけど 御池岳が良く見える ... 東海自然歩道の木製道標 今日のゴールまであと少し左に立派 ... 川原バス亭の三叉路まで戻って迎えのバスを待つ間 こじんまりとし ...
http://blogs.yahoo.co.jp/otakeba_ba0707/14578397.html
・フェリーでゴゾ島へ~自然の造形美アズール・ウインドー
2013/5/9(木) 午前 0:00
... ところが出発時間を迎えても、なかなか動き出さないバス…   結局、後発のバスに乗り換えることになり、スタートからつまづき気味です。 ... お目当ての場所まで行って、島の中心部・ヴィクトリアに戻っ ... 自然の
アーチに見惚れながら、間もなくタクシー ...
http://blogs.yahoo.co.jp/prigonwhp11/9256157.html
・約束の場所No,13
2013/5/6(月) 午後 2:30
... 「うん・・・」 「ソウルへ迎えに行くよ」 「ええ?帰るのに、こっちに来るの?!」 「ああ ... 誰よりも早く寮を出発すると待ち合わせの場所へ向かった。 夜が明けたばかりの明洞の街は ... 最近、俺って自然と言うようになったんだ。友達もみんな高校生 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/l6o2v8e84/15101346.html
・新潟県立自然科学館①
2013/5/5(日) 午後 7:12
... 【新潟県立自然科学館】 新潟ふるさと村からほど近いので、同じ日に行きたかったのに月曜休館日 ... ホールでは巨大な科学のモニュメントがお出迎え 旧型の投映機は自分で操作可能 ... 映像がすごく鮮明で自分も本当にその場所にいるという感覚になりました ...
http://blogs.yahoo.co.jp/hystericafuro/63894103.html
・桜の前に!~世界自然遺産も本番を迎えます。♪
2010/5/18(火) 午後 1:56
ただいま休憩中~~先日の自然探索を回想・・・エネルギーを充満 再訪のベスト10かも 再度訪れたい場所かも~~~~~色彩が最高 世界自然遺産知床国立公園~~5月の季節 車窓より・・・知床峠目前・・・迫るは羅臼岳 半そでの気温の中羅臼のその山は超自然 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/blowing700/33115740.html
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玉依姫 様 (二五六)

2013年05月16日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二五六)
【東西文化の回廊】
 四 神社の来た道
 これは仮説です。
 これは、今までに述べたことなのですが……。
 日氏の時代後期には、韓半島(朝鮮半島)(のちの)百濟より北九州筑紫に渡来したと推定される、海神系・綿津見氏と褶合したと推定されます、さらに、豊前、豊後において、新羅系・秦氏と融和。さらに山陰に至って、出雲氏と同盟関係を結んだと推定されます。もちろんすんなりと平和裏にことが運んだわけではなく、『魏志倭人傳』にあるように、倭国大乱などいくつもの争いを経たはずです。玉依姫さんのコメントにも見られるように、きわめてむごい惨殺したいが累々とでてくるじょうきょうは氏族間の争いのあとそのものでしょう。
 この日氏、綿津見氏、秦氏、出雲氏へのながれのなかで祭祀は確実に踏襲されたと考えられますが、氏族ごとに祭神が加わり、次第に多くの神が祀られる楊になったはずです。つまり日本の古代神道は階層的に神が増えて行きました。
 弥生時代は通説では六百ー七百年くらいだったようですが、いわゆる皇室の【國譲り】要求が行われ、出雲氏は不承ぶしょう応じることとなりました。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・卑弥呼・男弟・壹與の墳墓はここ
2013/5/8(水) 午前 11:29
考古学的発掘結果に準じるならば魏志邪馬台国時代にジャストフィットする遺物が出ているのは大和(おおやまと)古墳群 ... 今のところ推定充分な墓は、、、 卑弥呼・・・中山大塚墳丘墓 ... 馬具であふれさせ、外側は出雲的・高句麗的な葺き石と、水の祭祀 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55547680.html
・H.G.Nicol<ブログ[民族学伝承ひろいあげ辞典]さんの欄>1.より「3~4世紀三国志時代後の列島渡来状況推定図」。2.より「カシキ」
2011/7/25(月) 午後 8:11
<リンク先記事転載> 3~4世紀三国志時代後の列島渡来状況推定図   H.G.Nicol <ブログ[民族学伝承ひろいあげ辞典]さんの欄>1. http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205 ... 出雲にも逃げたが結局倭王にしてやられ、連合国は粉砕。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55547680.html
・出雲国府跡(島根県松江市)
2010/12/9(木) 午後 11:50
... 古代山陰道(推定)と交わる。 ここは十字街(ちまた)推定地。 小さな案内図が立っ ... 出雲国府跡を示す碑。 説明板。 【国指定史跡 出雲国府跡】 ここは飛鳥時代の終わりごろから奈良、平安時代に至るまで出雲国を治める中心的な官庁街と意宇郡の役所が存在 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55547680.html
・古代出雲歴史博物館
2010/4/23(金) 午後 6:46
出雲大社のすぐ隣にある島根県立古代出雲歴史博物館。 平安時代の出雲大社本殿を10分の1スケールで推定復元した模型。一堂に展示された358本の弥生時代の銅剣。一見の価値あり。
 http://blogs.yahoo.co.jp/android_yk/31986927.html
・出雲大神宮
2009/7/23(木) 午後 11:47
丹波の神々 出雲大神宮       出雲大神宮は京都府亀岡市の千歳町千歳出雲にご鎮座 ... 二年に始めて社殿を造営現社殿は鎌倉時代の建立にして(重要文化財)それ以前 ... 後円墳車塚古墳は当宮の口碑あり 推定は成務天皇代 一、古代の神域 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/pineroad184/48763824.html
◆日本の山車 ブログ
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