暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (二一九)

2013年05月02日 | 日本の山車
玉依姫 様 (二一九)

 【阿弥陀如来】は、【五劫】もの長いあいだ思惟をつづけ、「わが名を呼び、帰依するものはかならず救済摂取してあげましょう」という弘誓本願を立てて【正覚】を得た。つまり、如来になられたと伝えられます。ちょっと記憶があいまいですが、一劫の時間的長さとは、一里四方、深さも一里という大きな升に、三年に一粒の芥子の実をいれてゆき、升を芥子の実ですべて満たしたときが一劫だそうです。これがさらに五倍ですから想像もつかない長い時間ですね。
 阿弥陀如来を信仰の対象とする宗派では、称名念佛(しょうみょうねんぶつ)を旨とされていますが、【南無阿弥陀佛】と【帰命無量寿如来】はおなじです。
 阿弥陀如来を信仰の対象とする宗派により教義の立て方が異なるようですから、宗教家でないぼくは立ち入りませんが、平安時代以後の民間信仰には、山の向こう側に【山越え阿弥陀】とよばれる画像をかけ、その如来の右手の指と死者の指を糸で結んで彼岸へ往生する0お弔いが行われたようです。
 大和の當麻寺(たいまでら)では【中将姫】が織ったとされる【蓮糸曼荼羅(れんしまんだら)】を懸け、二十五菩薩が中将姫をお迎えに来る【練供養】がおこなわれます。これとは別にお弔いには【二十五菩薩来迎図】が懸けられるところも多いようですね。
 阿弥陀如来は、死者をお迎えに来ることはありません。