◆03230 御諸皇子神社例祭
山形県庄内町(旧立川町)清川
御諸皇子神社(ごしょのおうじじんじゃ・ごしょのうじじんじゃ)
□祭は八月中旬。
山車を曳く。
□山車
一 南町、荒宿、上荒宿、裏町
二 駅前、幸町、新町
三 本町
四 新屋敷
五 川端
□汎論
□社名 御諸皇子神社
□所在地 山形県東田川郡庄内町(旧立川町)清川字花崎
□祭神
□祭は八月中旬。
□山車
山車五臺を曳く。
・南町、荒宿、上荒宿、裏町
・駅前、幸町、新町
・本町
・新屋敷
・川端
(順不同)
□汎論
御諸皇子は、五所王子のこととされる。熊野十二所権現は、三所権現、五所王子、四所明神に分けられるが、若一王子は五所王子の第一番とされる。
当社の創祀は不明であるが、神仏混淆の古い社歴があり、室町記に成立されたという『義経記』には、【月山の禅定より 北の腰に流れ落ちけり 熊野には岩田川 羽黒には清川とて 流清き名水なり 是にて垢離をかき 権現を伏拝み奉る】とあり、義経、弁慶が当社で宿泊した記事が見える。
近くに、清河八郎の霊を祀る清河八郎神社、墓地がある。本稿でもときおり触れているが、藤本鉄石は庄内の齋藤家(清河八郎の実家)を訪ねしばらく止宿したことがあり、頼山陽の歩いた長崎を母とともに旅行している。
幕府に新撰組組織を建言し、山岡鐡舟とともに新撰組を率いて中仙道を経て京都に上っている。
伊丹郷町(現伊丹市)の岡田家をたずね、また明倫堂で、橋本香坡、谷口與鹿と歓談した。江戸で刺客の凶刃に倒れたが、遺体は山岡鐡舟が密かにひきとり、供養したと伝えられる。境内に清河八郎関係の遺品や資料を展示する清河八郎記念館(最上峡会館)がある。 清河神社の社号も山岡鐡舟の揮毫である。
近くを滔々とながれる最上川の流れを見ていると、時間のうえを流れ去った歴史が髣髴とよみがえって感傷的になってくる。
□問い合わせ
御諸皇子神社社務所
電話 0234(57)2630
山形県庄内町(旧立川町)清川
御諸皇子神社(ごしょのおうじじんじゃ・ごしょのうじじんじゃ)
□祭は八月中旬。
山車を曳く。
□山車
一 南町、荒宿、上荒宿、裏町
二 駅前、幸町、新町
三 本町
四 新屋敷
五 川端
□汎論
□社名 御諸皇子神社
□所在地 山形県東田川郡庄内町(旧立川町)清川字花崎
□祭神
□祭は八月中旬。
□山車
山車五臺を曳く。
・南町、荒宿、上荒宿、裏町
・駅前、幸町、新町
・本町
・新屋敷
・川端
(順不同)
□汎論
御諸皇子は、五所王子のこととされる。熊野十二所権現は、三所権現、五所王子、四所明神に分けられるが、若一王子は五所王子の第一番とされる。
当社の創祀は不明であるが、神仏混淆の古い社歴があり、室町記に成立されたという『義経記』には、【月山の禅定より 北の腰に流れ落ちけり 熊野には岩田川 羽黒には清川とて 流清き名水なり 是にて垢離をかき 権現を伏拝み奉る】とあり、義経、弁慶が当社で宿泊した記事が見える。
近くに、清河八郎の霊を祀る清河八郎神社、墓地がある。本稿でもときおり触れているが、藤本鉄石は庄内の齋藤家(清河八郎の実家)を訪ねしばらく止宿したことがあり、頼山陽の歩いた長崎を母とともに旅行している。
幕府に新撰組組織を建言し、山岡鐡舟とともに新撰組を率いて中仙道を経て京都に上っている。
伊丹郷町(現伊丹市)の岡田家をたずね、また明倫堂で、橋本香坡、谷口與鹿と歓談した。江戸で刺客の凶刃に倒れたが、遺体は山岡鐡舟が密かにひきとり、供養したと伝えられる。境内に清河八郎関係の遺品や資料を展示する清河八郎記念館(最上峡会館)がある。 清河神社の社号も山岡鐡舟の揮毫である。
近くを滔々とながれる最上川の流れを見ていると、時間のうえを流れ去った歴史が髣髴とよみがえって感傷的になってくる。
□問い合わせ
御諸皇子神社社務所
電話 0234(57)2630