暘州通信

日本の山車

◆01037 能代日吉神社大祭

2011年11月24日 | 日本の山車
◆01037 能代日吉神社大祭
□社名 日吉神社
□所在地 秋田県能代市御指南町
□祭神
□祭は七月下旬。
□山車
山車、丁山
五臺が曳かれる。
□汎論
 能代日吉神社の創祀は天文二年(一五三三)と伝わる。御神体が海中より見つかったといい、当初は下浜付近に祀られていたが、たびたびの水害で現地へ遷座となった。能代の鎮守である。
 秋田県内には物部氏と、日吉神社の遺構が目に付くが、当社もその範疇に含まれると考えられる。他の神社でも、オオナムチノミコト(大己貴命)、オオモノヌシノカミ(大物主神)が併祀されているのは、古代出雲系氏族-物部氏族へと移った勢力の変遷が秘められているように推定される。
 山車は【丁山】とよび五町から出る。

◆02408 三皇熊野神社祭

2011年11月24日 | 日本の山車
◆02408 三皇熊野神社祭
□社名 三皇熊野神社
□所在地 秋田県秋田市牛島東
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
イザナギノオオカミ 伊邪那岐大神
イザナミノオオカミ 伊邪那美大神
スサノオノミコト 須佐之男命
配祀
イナリオオカミ 稲荷大神
ハチマンオオカミ 八幡大神
□祭は七月上旬。
□山車
山車二臺を曳く。
・曳山実行委員会
□汎論
 三皇熊野神社の創祀は不明。社記によれば江戸時代以前より日、月、星を三光大神として祀っていたとある。主祭神の、イザナギノミコト(伊邪那岐大神)、イザナミノミコト(伊邪那美大神)は熊野神として、スサノオノミコト(須佐之男命)、副祭神のイナリオオカミ(稲荷大神)の出雲系の神々が祀られており、のちに皇室系のアマテラスオオミカミ(天照皇大神)、ハチマンオオカミ(八幡大神)が追祀されるようになったと考えられる。そして、従来の三光神は、アマテラスオオミカミ(天照皇大神)、イザナギノオオカミ(伊邪那岐大神)、イザナミノオオカミ(伊邪那美大神)の三皇神に置き換わっている。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇岡山県 吉備津彦神社
2009/1/8(木) 午前 9:44
... 伊邪郡岐尊(イザナギノミコト)   伊邪那美尊(イザナミノミコト)     天照大御神(アマテラスオオミカミ・気比(ケヒ)大明神 ・気比比売大神)        月読尊(ツクヨミノミコト)        素戔嗚尊(スサノオノミコト)      建日方 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/xxtrw784/7453914.html

◇今日のn_o_i_s_e_m_a_n 氏【そのための技能(能力)を備えた人が有徳者で、天皇はまさに「それを体現した有徳者」ということです。 】
2008/4/26(土) 午後 10:58
... ついで、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)二神による国生み神生みがなされます。 ... 主神(アメノ ミナカヌシノカミ)のもっとも尊(トオト)い化神(ケシン)として人格神として天照大神(アマテラスオオミカミ)が誕生されます。   教科書 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mirokuninoti/41780476.html

◇多賀大社へ
2006/12/21(木) 午後 8:44
... ここの社は、 伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神 (いざなみのおおかみ)が奉られています。 アマテラスオオミカミのご両親です。だから行ってみたいと思ったんだよなぁ...電車ではいけない場所だからゆーじさんに僕のワガママを聞い ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kaz_17854/43470348.html

◆01556 日吉八幡神社祭

2011年11月24日 | 日本の山車
◆01556 日吉八幡神社祭
□社名 日吉八幡神社
□所在地  秋田県秋田市八橋本町一丁目
□祭神
オオヤマクイノカミ 大山咋神
オオモノヌシノカミ 大物主神
ハチマンオオカミ 八幡大神
□祭は六月中旬。
□山車
山車、葦舟二〇臺ほどでる。
□汎論
 日吉八幡神社の創祀は不明。社記では平安時代とし、日枝山王と石清水八幡宮を勧請し日吉山延命寺と称した。とあるが、鎌倉時代とする説がある。筆者案ずるに、祭神に古代の秋田物部氏の祖であるオオモノヌシノカミ(大物主神)が祀られていることから考え、創祀には物部氏が関わっており、祭神をオオヤマクイノカミ(大山咋神)、オオモノヌシノカミ(大物主神)とする神社であったと推定され、その時期が平安時代であったと考えることに矛盾は無い。八幡神を祀ったのが鎌倉時代と言うことになろうか。
 佛教色の濃い、神仏混淆の社寺として長い歴史があり、今も境内には宝永四年(一七〇七)に建立された三重塔があり、秋田県指定有形文化財となっている。
 創祀時の社地は、笹岡村(現秋田市外旭川)にあり、その後、五十丁村(現秋田市上新城五十丁)、天正十七年(一五八九)には飯島村に、元和元年(一六一五)には、寺内村字油田、寛文二年(一六六二)に数回の遷座を経て現在地に移っている。
 祭には、葦舟がでる。これは大曲市(現大仙市)ほかで行われている【鹿島流し】の葦舟であり、祭が旧八幡宮の祭である九月一四、一五日ではなく、六月中旬であることは、病魔調伏を祈願する祗園祭ともいえる。

◆00654 秋田竿燈まつり

2011年11月24日 | 日本の山車
◆00654 秋田竿燈まつり
□所在地 秋田県秋田市
□祭は
□山車
山車、竿燈
まつりには二〇〇数拾の竿灯が出る。
□汎論
 神は、ひとがいてもいなくても降臨する。その場所は山頂、立木、巌、その他などがあり、ひとびとはそれを知っていた。神は男女の性別が無く、無生物であることを知っていたが、ときに、光り、咆哮し、雨を呼び、人々はこれを神意として認識していた。神は、人々に福を齎すが、ときに災いをふりまいた。人は生涯を終えると神となると信じるようになり、追悼と哀惜のうちに意図的に神を祀るようになった。祭祀の始まりである。祭祀は祭も祀も【まつる】であるが、おなじではない。これはまた政【まつり】となって、生活に規範がもたれるようになった。神を知覚し、認識したころから長い時間をかけてくらしのなかで自然発生的にうまれてきたと考えられる。
 神を知覚したときから、信仰を持つようになった。
 ひとびとのくらしには、生死、天災などの人智を超えた【はからい】があり、このなかから、平和、豊作、豊漁、子孫繁栄、事業の成功、交通安全などから、悪疫退散、病の完治など広範な【ねがい】を神のはからいにより至福を願うようになってくる。
 だからひとびとが共同生活を営むところには【祭祀政】が根付き、共同認識となっている。これは、民族を超えた普遍的な認識である。
 神を知覚したときから、信仰を持つようになった。ひとびとはすすんで神をもとめ、迎えるようになった。当初に述べたように、神は降臨するとそこに籠ると考えたことから、神体山、神籠石、巌座、まがき、あれ、などが信仰の対象とされ、のちにはすすんで神を迎えるようになった。この神の籠るところは【固定神座】である。
 積極的に神を招き、降臨を仰ぐためにひとびとが最初に考えたのが
【柱をたてる】ことであった。柱は当初は木であり、のちに次第に金属の効用が高いことを知るようになる。
 □参考
次を参考にさせていただきました。
・秋田竿灯まつり
竿燈まつり実行委員会公式ホームページ
 http://www.city.akita.akita.jp/city/in/cm/kanto/