暘州通信

日本の山車

◆32277 杜と社 二

2011年11月30日 | 日本の山車
◆32277 杜と社 二
 これは仮説である。
 山頂の磐座などの自然界に祀られていた神は、時代が下がると
山麓などに建造された【社(やしろ)】へと遷られて、山を降りるようになった。社殿は石造、また木造などであり、次第に形式を持つ社殿建造へと発展してゆく。その時期は詳らかではない。たとえば、天平五年(七三三)勘造の奥書のある【出雲風土記】をみると多くの【神社】の記述がある。その数は三九九社が挙げられ、祭祀に携わる人を【神祗官(かみつかさ)】とよび、一八四所は神祗官があり、二一五所は神祗官が不在だったとしている。
 天平期には、神は社殿に祀られ、神祗官による祭祀が行われていたことを裏付けている。
 では、神が社殿に祀られ、【神社(じんじゃ)】と【音訓(おんよみ)】されるようになったのは、いつごろからであろうか。これは推測せざるを得ないが、筆者は、おそらく六世紀を遡ることはないだろうと推定する。その時期は、日本に仏教が伝来し、寺院が建立されるようになった時期とほぼ相前後するのではなかろうか。

◆32277 杜と社 一

2011年11月30日 | 日本の山車
◆32277 杜と社 一
 これは仮説である。
 神には自然神と人神があり、古代のひとびとは、嶽、山、原野などの自然界、あるいはひとが開発した田などにも神は下ると考え、神が降臨する場所を特定し、山頂、木々、岩などに【籠る(こもる)】と考えた。神坐す場所を【神籬(ひもろぎ)】などとよび、その場所は、特に清浄な場所として結界を張り、垣をもって【かぎ】り、安易にひとが立ち入ることを禁忌した。この神籠る場所のひとつが【モリ】である。
 【モリ】は、神います場所であり、その表記には、【森、盛、守、杜】などの漢字が当てられ【「もり」と訓読み】されたと考えられる。つまり、【森、盛、守、杜】などは、神が坐し、あるいは降臨し、還御する特定の場所であった。この古い時代には神います場所には構築物はなかったはずである。人々が神を知覚するようになると、神とひとびとの間に立って奉仕する神職がたてられるようになった。 神職にも、通年神に仕えるひとと、齋事のときなどの限定期間だけまつりに奉仕する【とうにん】などがあり、【頭人、党人】などと書かれる。この神に奉仕するじとが限定されるころから、神を祀る【社(やしろ)】が設けられるようになり祭事はこの社殿において執行されるようになった。【社】もまた【もり】であり、【杜と社】は字面もよく似ている。

◆02800 鹿島神社祭

2011年11月30日 | 日本の山車
◆02800 鹿島神社祭
□社名 鹿島神社
□所在地 福島県伊達郡国見町藤田
□祭神
タケミカヅチノカミ 武甕槌神  
オオナムチノカミ 大名持神、大己貴命 
スクナヒコナノカミ 少彦名神
□祭は十月中旬。
□山車
山車、屋臺を曳く。
・社元
・本町
・大町
・錦町
(順不同)
□汎論
 国見町藤田の鹿島神社は、延喜式神名帳に記載される鹿島神社の論社となっている。創祀は奈良朝時代、社記によると、按察使兼鎮守将軍大野東人が東征の途次に祀ったと伝わる。タケミカヅチノカミ(武甕槌神)の祀られているのは当然として、オオナムチノミコト(大己貴命)、スクナヒコナノミコト(少彦名神)の祭神の祭祀に合祀の事実がなければもと、出雲系の開拓神を祀る神社だったと推定される。
 按察使(あぜち)とは、奈良時代に設置された、地方行政を監督する官職で、養老三年(七一九)に設置され、平安時代以降は陸奥国・出羽国にのみ残った。陸奥按察使(むつあぜち、みちのくのあぜち)といわれ、陸奥国と出羽国を統括したことから、陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち、みちのくいではのあぜち)ともよばれる。
 大野東人(おおののあずまびと)は、大野果安の子だとされる。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇源融(みなもとのとおる)
2010/7/13(火) 午前 10:34
... 陸奥出羽按察使(あぜち)(43歳) 貞観8年(866) 「応天門の変」で源信と謀議があったと密告されるが無罪(45歳) 貞観12年(870) 大納言(49歳) 貞観14年(872 ... ◆琴浦神社 六条河原院の塩釜を模すための汐を汲んだ難波の海(大阪湾)の北(現在 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/33120451.html

◇蜻蛉(かげろう)日記[中巻]11  初瀬詣で
2009/10/26(月) 午後 8:31
... 宇治の院を所領している按察使大納言(あぜちのだいなごん)が作者をもてなしました。今は、按察使大納言(あぜちのだいなごん)はこの世になく、手入れされていた宇治の院も荒れています。 ... 宇治の院から春日神社(かすがじんじゃ。藤原氏の氏神) ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sawara20052005/40248699.html

◇ヘロヘロ三社参り③
2009/1/6(火) 午後 3:35
... 最後の水天宮は階段がないので楽チンチン  こちらの神社は昨年訪れて、その時は御神紋にもある椿がたくさん咲い ... 壇の浦の戦いで敗れた平家方の高倉中宮(徳子)に仕えていた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢がこの地に水天宮を祀って、安徳天皇 ...
旅 ゆけば ふるさと忘れ
 http://blogs.yahoo.co.jp/kennko4shida/22636827.html

◇2007/9/2(日) 午前 6:16
... あくあくんの皆既月食 ! きのう9月1日は神宮寺八幡神社の祭典14,15日に向けての境内の草取り清掃。 ... 神亀元年(724年) 創建された多賀城には「按察使(あぜち)」という高級官僚が配置され、出羽国(秋田・山形)をも統轄していたことから「遠の朝廷 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/aquakun2005/49272415.html

◇「久留米水天宮に初詣出」
2007/1/6(土) 午前 11:54
... 付き従ってきた女官按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)が筑後川 河畔の鷺野(さぎ ... ここから江戸に分霊したものである。 境内には明治維新の先駆者真木泉守保臣を祀る真木神社や水天宮の 創建者である按察使局伊勢を祀る千代松神社などがあり 河童発祥地 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nkou1944/26729879.html

◆03810 神炊館神社祭

2011年11月30日 | 日本の山車
◆03810 神炊館神社祭
福島県須賀川市
□社名 神炊館神社(おたきやじんじゃ)
□所在地 福島県須賀川市諏訪町
□祭神
タケミヨリメノミコト 建美依米命(初代石背国造)
□祭は九月。
□山車
山車。大屋臺四臺を曳く。
・本町
・中町
・北町
・道場町
(順不同)
□汎論
 神炊館神社は、須賀川の鎮守、創祀は詳細不明。社記によれば成務天皇期(一三一-一九〇)とある古社。祭神タケミヨリメノミコト(建美依米命)はアマテラスオオミカミの後裔だといい、初代の石背國造(いわしろのくにのみやっこ)として当地に赴任した。
 室町時代に、須賀川城主、二階堂為氏は信州諏訪より分祀をうけて合祀し、慶長三年(一五九八)には現地に遷座となった。