◆32277 杜と社 二
これは仮説である。
山頂の磐座などの自然界に祀られていた神は、時代が下がると
山麓などに建造された【社(やしろ)】へと遷られて、山を降りるようになった。社殿は石造、また木造などであり、次第に形式を持つ社殿建造へと発展してゆく。その時期は詳らかではない。たとえば、天平五年(七三三)勘造の奥書のある【出雲風土記】をみると多くの【神社】の記述がある。その数は三九九社が挙げられ、祭祀に携わる人を【神祗官(かみつかさ)】とよび、一八四所は神祗官があり、二一五所は神祗官が不在だったとしている。
天平期には、神は社殿に祀られ、神祗官による祭祀が行われていたことを裏付けている。
では、神が社殿に祀られ、【神社(じんじゃ)】と【音訓(おんよみ)】されるようになったのは、いつごろからであろうか。これは推測せざるを得ないが、筆者は、おそらく六世紀を遡ることはないだろうと推定する。その時期は、日本に仏教が伝来し、寺院が建立されるようになった時期とほぼ相前後するのではなかろうか。
これは仮説である。
山頂の磐座などの自然界に祀られていた神は、時代が下がると
山麓などに建造された【社(やしろ)】へと遷られて、山を降りるようになった。社殿は石造、また木造などであり、次第に形式を持つ社殿建造へと発展してゆく。その時期は詳らかではない。たとえば、天平五年(七三三)勘造の奥書のある【出雲風土記】をみると多くの【神社】の記述がある。その数は三九九社が挙げられ、祭祀に携わる人を【神祗官(かみつかさ)】とよび、一八四所は神祗官があり、二一五所は神祗官が不在だったとしている。
天平期には、神は社殿に祀られ、神祗官による祭祀が行われていたことを裏付けている。
では、神が社殿に祀られ、【神社(じんじゃ)】と【音訓(おんよみ)】されるようになったのは、いつごろからであろうか。これは推測せざるを得ないが、筆者は、おそらく六世紀を遡ることはないだろうと推定する。その時期は、日本に仏教が伝来し、寺院が建立されるようになった時期とほぼ相前後するのではなかろうか。