暘州通信

日本の山車

◆01759 久遠神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆01759 久遠神社祭
□社名 久遠神社(くどうじんじゃ)
□所在地 北海道久遠郡せたな町(旧大成町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
オオミケツノカミ 大饌津神
アメノウズメノミコト 天宇受賣命、天鈿女命
□祭は七月中旬。
□山車
山車三臺を曳く。
・本陣町 
船山車
・都
・上浦
(順不同)
□汎論
 現在は、せたな町となったが旧大成町は久遠村と貝取澗村が合併してできた町であった。久遠神社の社号はその久遠にちなんでいる。江戸時代末期には福岡藩の所領に置かれていた。
 久遠神社の創祀は宝永元年(一七〇四)、平田村の臼別に鎮座したことから、ウスベツ神社とよばれていたといい古い祭祀の歴史がある。
 宝永四年に物産の税金を扱う、運上屋が移転となったため艘澗村へ遷座となり、明治元年までは稲荷神社とよんで、オオミケツノカミ(大饌津神)、アメノウズメノカミ(天宇受賣命)が祭祀されていた。やがて明治となり、アマテラスオオミカミ(天照大御神)が加増祀され現在の久遠神社となった。

◆05032 相沼八幡神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆05032 相沼八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)熊石町相沼
□祭神
□祭は八月中旬。
□山車
山車五臺を曳く。
・大黒山 1区 折戸
福の神。
・蛭子山 2区 二相沼
本座人形には、豊漁祈願怪獣安全のゑびすさまがのる
・源氏山 3区 三相沼
源義経にちなむ山車。
・宝山 4区 四相沼
・誉山 5区 館平
誉山の名は八幡神社の祭神であるホムダワケノミコト(誉田別命)による。
(順不同)
□汎論
 北海道西部から北部にかけての日本海側には、源義経にちなむ伝承地が点在する。岩手県平泉高館は、東に北上川をのぞむ丘陵地で、藤原氏の要害地であった。源義経終焉の地として知られるが、敗北した藤原氏の一族は蝦夷に逃れたと考察される。岩手県を北上した落武者たちは辛酸をなめながら、北上し、陸奥(青森県の)田名部(むつ市)、あるいは大畑から舟で、箱館(函館)、上ノ國を経て積丹方面へと向かったと想像される。岩手県の高館、秋田県の角館、會津から仙台にいたる伊達は、本来「館」であろう。北海道の伊達市は旧仙台藩から入植した家士たちが多く入植している。

◆05031 北山神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆05031 北山神社祭
□社名 北山神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)熊石町泊川
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
オオモノヌシノミコト 大物主命
コトシロヌシノカミ 言代主神、事代主神
ウケモチノカミ 宇気母智神
イチキシマヒメノカミ 市杵島姫神
□祭は八月中旬。
□山車
二臺を曳く。
・信玄山 大澗
・豊栄山 冷水
(順不同)
□汎論
 泊川にある北山神社の創祀は古く、元和元年(一六一五)と伝わる。
多くの神が祀られるが、もとの祭神はコトシロヌシノカミ(言代主神、事代主神)で、あとは次第に合祀されたカミである。
 オオモノヌシノミコト(大物主命)は、金毘羅神宮の祭神として北海道では港町の神社に祀られる例がしばしば見受けられる。オオナムチノミコト(大己貴命)とは同一視ななちゃんと考える説がある。秋田県にはオオモノヌシノミコトにつながる物部氏の事蹟が多く残る。
 ウケモチノカミ(宇気母智神)はおそらく稲荷神であろう。イチキシマヒメノカミ(市杵島姫神)は宗像三女神の一神であるが、厳島神社の神格として祀られたようである。アマテラスオオミカミ(天照大御神)は主祭神となっているが、祀られたのはいちばんあたらしく、おそらく皇室に表敬したもので、明治以降の祭祀であろう。

◆02274 根崎神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆02274 根崎神社祭
□社名 根崎神社
□所在地 北海道二海郡八雲町(旧熊石町)熊石町根崎
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大御神
コトシロヌシノカミ 言代主神
スサノオノカミ 須佐之男神
オオイカヅチノカミ 大雷神
トヨウケヒメノカミ 豊受比賣神
□祭は八月中旬。
□山車
八臺を曳く。
・大黒山 関内
・源氏山 西浜
・雷山 鳴神
・素盞鳴命山 雲石
・神武天皇山 根崎
・蛭子山 畳岩
・稲荷山 平
・宝船山 鮎川
(順不同)
□汎論
 熊石 根崎神社の創祀は不明。社記に、慶長十一年(一六〇六)に、
乙部村八幡神社の神主である宇田播磨守豊島により齋事が執行されたとある。由緒不明であるが、氏子の佐野四右衛門が神社の後ろの山を開墾したとき「大神」と刻まれた石が出土したといい、本殿の脇に安置されている。

◆05026 乙部八幡神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆05026 乙部八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 爾志郡乙部町字元町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
トヨタマヒコノミコト 豐玉比古命
コトシオヌシノミコト 言代主命
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
ウケモチノミコト 宇気母智命
□祭は八月中旬。
□山車
山車六臺を曳く。
・宿禰山 元町一
本座人形は竹内宿禰。
・稲荷山 元町二
・大黒山 緑町一
本座人形は大國主命
・蛭子山 緑町二
本座人形は惠比壽。
町内保存の道具箱に明治二〇年九月 氏子中 との墨書記録があり、町内では一番古い建造と考えられている。
・弁慶山 滝瀬
本座人形は弁慶。
・楠公山 館浦
本座人形は楠正成。
(順不同)
□汎論
 乙部八幡神社の創祀は、宇田遠江守師長が落武者として当地にいたり、定住した地に祀られたのに始まると伝える。慶長六年(一六〇一)
に社殿を建立し、岡山八幡宮と称したとある。
 もと、古い神々が祀られており、
セオリツヒメノミコト(瀬織津姫命)を祀る、滝ノ神社は文政三年(一八二〇)の創祀。
トヨタナヒコノミコト(豊玉比古命)を祀る海童神社は、明和二年(一七六五)の創祀。
ウケモチノカミ(宇気母智命)を祀る稲荷神社は 慶長十六年(一六一一)の創祀。
これらの神々は明治末期に八幡神社に合祀されている。
 宇田遠江守師長は旧越後上杉家の家臣だったといい、弘治元年(一五五五)の信州川中島の合戦で破れて蝦夷へ落ち延び、定住した地とされている。
 上杉謙信と武田信玄が争った川中島の合戦は、1553年(天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)におよび数次の戦いが繰り広げられたが決着がつかなかった。

◆05029 元和八幡神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆05029 元和八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 北海道爾志郡乙部町元和
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
ウケモチノミコト 宇気母智命
□祭は八月。
□山車
山車一臺を曳く。
・布袋山
□汎論
 元和八幡神社の創祀は元和元年(一六一五)といわれ、古い由緒がある。乙部町には八幡神社が数社あり、混乱を避けるため地名がつけられている。乙部町元和とは、この神社が祭祀された年号が町名になっている。祭神のウケモチノミコト(宇気母智命)の別表記は、保食神 であるが、古い神で、『古事記』には記載がなく、『日本書紀』の神産みの段の第十一の段に記載のある女神とされている。
 アマテラスオオミカミ(天照大神)は、ツキヨミノミコト(月夜見尊)に、葦原中国(あしはらなかつくに)というところに、ウケモチノカミ(保食神)という神がいるそうだから、いってたしかめてきなさいと命じ、ツキヨミノミコトはウケモチノカミを訪ねると、ウケモチノカミはたいそうよろこんで、陸を向いて口から米飯を吐き、海を向いて口から魚を吐き、山を向いて口から獣を吐いて、それらをつかってツキヨミノミコトを歓迎したが、ツキヨミノミコトは「吐き出したものを食べさせようなどと汚らわしい」と怒って、ウケモチノカミを斬りすてて帰ってきた。アマテラスオオミカミはたいそう怒り、ツキヨミノミコトにあわないといい。それで太陽と月は昼と夜とに別れるようになったという。
 アマテラスオオミカミはアメノクマヒト(天熊人)を別の使いにたてウケモチノカミのところにゆかせたところ、ウケモチノカミはすでに死んでいたが、その屍体の頭からは牛や馬、額からは粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦、大豆、小豆などが生まれてきた。アメノクマヒトはこれらを持ちかえり、ひとびとがが生きてゆくために必要な食物のもとだとして田畑の種としたという。
 この神話は東南アジアをはじめ世界各地に類似した神話があり、【ハイヌウェレ神話】とよばれている。
『古事記』ではスサノオとオオゲツヒメの話として記述されている。
 このことから、ウケモチノカミ(保食神)はオオゲツヒメと同一神とみなされることがあり、食物神である宇迦之御魂神とも同一神として、稲荷神社の祭神とされる例がある。
 伊勢神宮の外宮に祀られるトヨウケオオカミ(豊受大神)はもと丹後半島に祀られていた来訪神であるが、その「ウケ」、あるいは宇迦之御魂神の「ウカ」はもと同義で食物の意味だとされている。


◆05024 三ッ谷八幡神社祭

2011年11月06日 | 日本の山車
◆05024 三ッ谷八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 北海道爾志郡乙部町三ッ谷
□祭神
□祭は
□山車
山車一臺を曳く。
・大黒山
□汎論
 三ッ谷八幡神社は、往古千石場所ともよばれ、千石の鰊があがった場所だと伝わる。境内に二つの岩が奉納されている。そのひとつは烏帽子岩で、本殿建造の際に出てきた岩で、烏帽子の形をしているところから烏帽子岩と名づけ神籠石として大切にされている。ちょうど博多の銘菓ひよこを大きくしたような形をしている。もうひとつは龍神岩で、これは鰊の網にかかったものだといい豊漁の象徴としてたいせつに祀られてきたと伝わる。近年の道路改修工事で移動している。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇盛岡食道園と平船精肉店
2011/11/1(火) 午後 8:07
盛岡食道園と平船精肉店 盛岡に向かいました。駅ビルに駐車し、盛岡の街をブラリ。 櫻山神社に寄り、南部藩盛岡の守り岩である烏帽子岩を観てから、 盛岡冷麺発祥の店と言われる 韓国焼肉、冷麺の店 食道園に向かいました。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dashimania/65586432.html