暘州通信

日本の山車

◆02289 朝日神社祭

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02289 朝日神社祭
□社名 朝日神社
□所在地 北海道士別市(旧朝日町)
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照大神
□祭は八月下旬。
□山車
山車、若干数の行燈が出る。
(順不同)
□汎論
 朝日神社の創祀は、明治二十九年に阿波國(徳島県)より、当地に入植した伊勢与利蔵ほからによって、郷里よりアマテラスオオミカミの分祀を受けて祀られた。炭鉱の盛時には山神(カナヤマヒコノミコト?)が併祀されていたが、昭和四十九年に炭鉱が閉山となり山神は除かれた。

◆05784 たかす熱夏フェスタ

2011年11月08日 | 日本の山車
◆05784 たかす熱夏フェスタ
□所在地 北海道上川郡鷹栖町
□祭は八月上旬。
□山車
山車、十六鷹行燈(いざたかあんどん)が出る。
・鷹栖地区
・北野地区
・中央地区
・北成地区
・北斗地区
 このほか企業団体が任意に参加する・
(順不同)
□汎論
 たかす熱夏フェスタは町をあげての市民祭として行われさまざまなイベントがある。行燈は平成八年よりはじまった。
□問い合わせ
鷹栖町役場産業振興課商工観光係
(実行委員会事務局)
電話 0166-87-2111

◆01762 沼田夜高

2011年11月08日 | 日本の山車
◆01762 沼田夜高
□所在地 北海道雨竜郡沼田町
□祭は八月下旬。
□山車
山車、夜高行燈を曳く。
□汎論
 沼田町開拓の歴史は、明治二十七年(一八九四)に富山県出身の沼田喜三郎が、郷里から十八戸の移住をもとめたのに始まると伝え、富山県とのつながりが深い。町名もこの沼田喜三郎の姓によって名づけられている。
 沼田喜三郎は天保五年(一八三四)越中国砺波郡新西嶋村(現在の富山県小矢部市新西)の甚三郎の三男として生まれた。開拓民として北海道に渡って事業に成功した人物である。
 沼田夜高は、富山県礪波地方の小矢部市津沢、庄川、礪波、福野などで行われる地域の限定される民俗行事であるが、一部は神社に属し神事となっている。
 沼田夜高は、沼田喜三郎の郷里である富山県の夜高を北海道に再現したものである。夜高は、夜高行燈(よだかあんどん)ともよばれ、木材や竹材などで原型をつくり、これに和紙を張り華麗に装飾される。夜はこれに火を入れて曳くが、最終日には、若者たちがこぞってこれを原形すらとどめないほどに打ち壊してしまう。このことはまた、激しいけんかの応酬にもなる。
 能登方面のキリコに連続し、ねぶたやねぷたの原型とも考えられる。日本海沿岸地方には、新潟県弥彦神社の行燈、秋田県湯沢地方の行燈などのほか、秋田では竿灯、福島県の白河、二本松地方では山車の上に堤燈が飾られるなど【火の行事、火の神事】となっているところが多い。山車と火の関係は、歴史上古く、そして遠くイランやインドの拝火信仰にまで思索をおこなう研究がある。

◆02286 ひまわりまつり

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02286 ひまわりまつり
□所在地 北海道雨竜郡北竜町
□祭は八月上旬。
□山車
手作りの山車、行燈が出る。
・北竜山
□汎論
 北竜町は日本一のひまわりの産地である。町内にはひまわりの里の看板が立ち、花期にはみごとなひまわりのお花畑が展開する。【ひまわりまつり】も、このひまわりにちなんで行われる市民祭。まつりには山車、行燈が出る。

◆02285 秩父別屯田まつり

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02285 秩父別屯田まつり
□所在地 北海道雨竜郡秩父別町
□祭は八月上旬。
□山車
山車、手作り山車を約一〇臺ほど作って曳く。
□汎論
 秩父別屯田まつりは、神社に属さない市民祭。昭和五十四年ごろにはじまったといわれ、打ち上げ花火があがり人気がある。
□問い合わせ
秩父別とんでんまつり実行委員会
電話 0164-33-2111
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇永山屯田まつり 2011
2011/7/31(日) 午前 0:02
今年も永山屯田まつりです。 祭り初日のためか山車は4台。 大太鼓と小太鼓も出てました 私もこんな風に、太鼓の上にのって叩いてみたい!!! とっても素敵でした♪
 http://blogs.yahoo.co.jp/xsjgc404/62433905.html

◇★旭川~第22回・永山屯田まつり★
2008/7/28(月) 午後 4:23
... 流し が有りました* *第22回目と成り、先人の偉業に敬愛と感謝を込めて* *お祭り広場は、小中高生の太鼓や吹奏楽部も参加です* ♪37基の山車、あんどん行列は迫力が有りました♪ ★昨年の屯田まつりをご覧に成って無い方はここをクリック!ねっ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/suteki55obasan/57456328.html

◇お祭りでした~♪
2006/7/31(月) 午後 3:33
昨日まで地元のお祭りでした♪ 屯田まつりです♪ こんな太鼓や こんな山車がたくさん練り歩きます♪ これは、土曜日でした☆ ↓屯田兵の仮装をして先頭の方を歩いていました。 お祭り広場と呼ばれるところまで練り歩き ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/haru1970414/14967487.html

◇永山屯田祭り
2006/7/30(日) 午後 10:19
今日は訳も分からず「永山屯田まつり」に行って来ました。詳しいことは↓転載 ... 現在では大小40基ほどになっていて小・中学校の山車や子供山車もあります。  ●屯山(みやま)?  屯田の「屯」と永山の「山」の文字をとって「屯山」(みやま)あんどんと呼ぶ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/takadabatake/14858759.html

◆02283 御大師火まつり

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02283 御大師火まつり
□所在地 北海道夕張郡栗山町
□祭は七月下旬。
□山車
山車三臺を曳く。
□汎論
 栗山町は、町史をひもとくと、明治二十一年に、角田藩(宮城県)の藩士だった泉麟太郎ら二十四名らがアノロ川畔に入植し、角田の集落をひらき地域の開拓を行ったのに始まると伝わる。泉らは夕張開墾起業組合を設立し、明治二十三年には角田村と村名がつけられた。
明治三十一年は夕張川の大洪水により溺死者、流失家屋多数でて、また、農産物の収穫はほとんどない大惨状であった。
自然災害は大正二年にも起きて 低温と暴風雨により大恐慌で、収穫はほとんどなかったと伝わる。
昭和二十四年に町政が施行され、角田村は栗山町と改称された。
昭和四十五年には角田炭鉱が閉山となった。
昭和五十一年に、第一回栗山夏まつりが開催され、昭和五十三年には宮城県の角田市と姉妹都市となった。
昭和六十一年には栗山夏まつりが御大師山火まつりとなって開催された。このように栗山町には開拓史に記録される自然大災害を乗り越えて発展してきた。入植時の泉麟太郎ら角田藩士らの功績は計り知れないものがあり、角田市との強い結びつきがある。
 御大師山火まつりは、市民祭として開催され、栗山音頭とともに山車パレードが行われ三臺の山車が曳かれる。その前後には、町内の有志らによる踊が披露される。
 傘おどりは、御大師山火まつりに協賛して駅前通り商店街の歩行者天国、栗山公園などで行われる。

◆02282 伏古の火祭

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02282 伏古の火祭
□主催 由仁町伏古の火祭実行委員会
□所在地 北海道夕張郡由仁町(ゆにちょう) 
□祭は九月下旬。
□山車
行燈を作って参加する。
□汎論
 伏古の火祭は、夕刻よりパレードが行われる。神社に属しない市民祭で青森の人形ねぶた風、弘前の扇ねぷた風のもの、それに制約にとらわれない自由度の高い行燈を作って曳く。

◆02281 北海ソ-ラン祭

2011年11月08日 | 日本の山車
◆02281 北海ソ-ラン祭
□所在地 北海道余市郡 余市町
□祭は七月上旬。
□山車
舟山車など一〇数臺の山車が曳かれる。
□汎論
 ソーラン節は、江差追分とともに北海道を代表する民謡として知られる。いずれも鰊にゆかりがあるが、ソーラン節は作業唄として歌われてきた。さしもの水揚げを誇った鰊漁も昭和三〇年頃より次第に水揚げが減少し、これに歩調をあわせるようにソーラン節も次第に低調となってきた。これに憂慮した余市町では、ソーラン節発祥の地としての誇りをかけ、民謡の継承と街の発展を祈願して正調ソ-ラン沖揚音頭保存会により北海ソ-ラン祭がはじめられた。昭和四十三年ごろのことである。以来絶えることなく祭が継承されている。