◆05026 乙部八幡神社祭
□社名 八幡神社
□所在地 爾志郡乙部町字元町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
トヨタマヒコノミコト 豐玉比古命
コトシオヌシノミコト 言代主命
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
ウケモチノミコト 宇気母智命
□祭は八月中旬。
□山車
山車六臺を曳く。
・宿禰山 元町一
本座人形は竹内宿禰。
・稲荷山 元町二
・大黒山 緑町一
本座人形は大國主命
・蛭子山 緑町二
本座人形は惠比壽。
町内保存の道具箱に明治二〇年九月 氏子中 との墨書記録があり、町内では一番古い建造と考えられている。
・弁慶山 滝瀬
本座人形は弁慶。
・楠公山 館浦
本座人形は楠正成。
(順不同)
□汎論
乙部八幡神社の創祀は、宇田遠江守師長が落武者として当地にいたり、定住した地に祀られたのに始まると伝える。慶長六年(一六〇一)
に社殿を建立し、岡山八幡宮と称したとある。
もと、古い神々が祀られており、
セオリツヒメノミコト(瀬織津姫命)を祀る、滝ノ神社は文政三年(一八二〇)の創祀。
トヨタナヒコノミコト(豊玉比古命)を祀る海童神社は、明和二年(一七六五)の創祀。
ウケモチノカミ(宇気母智命)を祀る稲荷神社は 慶長十六年(一六一一)の創祀。
これらの神々は明治末期に八幡神社に合祀されている。
宇田遠江守師長は旧越後上杉家の家臣だったといい、弘治元年(一五五五)の信州川中島の合戦で破れて蝦夷へ落ち延び、定住した地とされている。
上杉謙信と武田信玄が争った川中島の合戦は、1553年(天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)におよび数次の戦いが繰り広げられたが決着がつかなかった。
□社名 八幡神社
□所在地 爾志郡乙部町字元町
□祭神
ホムダワケノミコト 誉田別命
トヨタマヒコノミコト 豐玉比古命
コトシオヌシノミコト 言代主命
セオリツヒメノミコト 瀬織津姫命
ウケモチノミコト 宇気母智命
□祭は八月中旬。
□山車
山車六臺を曳く。
・宿禰山 元町一
本座人形は竹内宿禰。
・稲荷山 元町二
・大黒山 緑町一
本座人形は大國主命
・蛭子山 緑町二
本座人形は惠比壽。
町内保存の道具箱に明治二〇年九月 氏子中 との墨書記録があり、町内では一番古い建造と考えられている。
・弁慶山 滝瀬
本座人形は弁慶。
・楠公山 館浦
本座人形は楠正成。
(順不同)
□汎論
乙部八幡神社の創祀は、宇田遠江守師長が落武者として当地にいたり、定住した地に祀られたのに始まると伝える。慶長六年(一六〇一)
に社殿を建立し、岡山八幡宮と称したとある。
もと、古い神々が祀られており、
セオリツヒメノミコト(瀬織津姫命)を祀る、滝ノ神社は文政三年(一八二〇)の創祀。
トヨタナヒコノミコト(豊玉比古命)を祀る海童神社は、明和二年(一七六五)の創祀。
ウケモチノカミ(宇気母智命)を祀る稲荷神社は 慶長十六年(一六一一)の創祀。
これらの神々は明治末期に八幡神社に合祀されている。
宇田遠江守師長は旧越後上杉家の家臣だったといい、弘治元年(一五五五)の信州川中島の合戦で破れて蝦夷へ落ち延び、定住した地とされている。
上杉謙信と武田信玄が争った川中島の合戦は、1553年(天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)におよび数次の戦いが繰り広げられたが決着がつかなかった。
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