暘州通信

日本の山車

◆03112 大牟田観光プラザ

2011年01月17日 | 日本の山車
◆03112 大牟田観光プラザ
福岡県大牟田市不知火町1丁目144-4
入館料 無料
電話 0944-43-1643
Fax 0944-43-0100
□汎論
 大牟田市の観光振興等に関する情報発信・提供及び人材交流を目的とした施設。
 大牟田駅・東口にある。館内には八剣神社など大牟田夏祭に出る名物、大迫力の大蛇山の展示がある。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/

◇ニュースクリッピング 平成23年01月13日分
2011/1/16(日) 午後 0:25
... 企業向け施設用地の譲受人を募集(日刊建設産業新聞) 059 【茨木市】JR茨木駅東口まちづくり、 UR都市機構にコンサルタント業務を委託(日刊建設通信新聞 ... 011303.html ●大きな課題も… "京都市&観光庁"新プロジェクト ●都市部のマンション ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/higashi88jp/32413665.html

◇☆JR新宿駅前の史跡「馬水槽(馬の水飲み場)」
2011/1/5(水) 午前 2:06
JR新宿駅東口 ... ぼやけているのでこの新宿観光協会の写真をお借りしました。 「馬水槽」は、東京の水道の父、中島鋭司博士が明治34年頃、欧米諸国の水道施設を視察 した際に、英国のロンドン水槽協会から東京市(当時)に寄贈されたものです。 ...
ブログ振り返り第9弾~札幌市内の観光施設の行き方~
 http://blogs.yahoo.co.jp/julywind727/34074372.html

◇2007/1/7(日) 午前 10:55
... 終点「滝野すずらん公園東口」でおりてください。 定山渓温泉: 新千歳空港→空港連絡バス「真駒内」行きにお乗りください。終点「真駒内」で下りてください。そこからバスに乗り換えます。じょうてつバスという会社が運行してます。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/masakira04hakuchou/2005371.html

◇大宮駅東口―つくば・土浦線開業
2006/10/9(月) 午前 1:29
... 1,100所要時間:(大宮駅東口―つくばセンター)75~85分 (大宮駅東口―土浦駅東口)95~105分本数:12往復 ... これからの時期 筑波山観光 に埼玉側からの利用には便利だと思う。 後は・・・ 霞ヶ浦観光 といった所か。 つくばは 研究施設 が多いこともあり ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/nobu_h5524/42285866.html

◇9月17~19日飛鳥の観光施設や社寺がライトアップ。幻想的な灯りで包まれます。
2005/9/4(日) 午前 0:15
... 光の回廊】延長営業(無料)時間…時間は、施設により、若干時間が異なります。 主催… 明日香村観光交流活性化事業実行委員会 お問合せ… (財)明日香村観光開発公社 奈良県高市郡明日香村岡1220 Tel ... アクセス… 近鉄「橿原神宮駅(東口)」「飛鳥駅」より ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/narakenjoho/10225468.html

◆18005 筥崎宮

2011年01月17日 | 日本の山車
◆18005 筥崎宮
論攷 延喜式神名帳
□社名 筥崎宮
□所在地 福岡県福岡市東区箱崎一丁目
□旧国名 筑前國
□祭神
オウジンテンノウ 応神天皇
ジングウコウゴウ 神功皇后
タマヨリヒメノミコト 玉依姫命
□汎論
 筥崎宮は、延喜式神名帳筑前國那珂郡に記載される、筑前國十九社のうちの一坐で、名神大社と記載される。筑前國の一宮である。筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれる。
 日本三大八幡宮のひとつにも数えられる由緒ある皇室系の古社。創祀は醍醐天皇期、延喜二十一年(九二一)で、延長元年(西暦九二三)に穂波宮(大分宮)より遷座されたといわれるが異説がある。
 筆者案ずるに、当地は志賀島で発見された【金印・漢委奴國王】の【奴國(なのくに)】
のちの、那珂郡にあたり、祭神にタマヨリヒメノミコト(玉依姫命) が祀られていること、神社の所在地が海神族(綿津美氏)の本拠地だったことなどと相俟って、おそらくはそれ以前に海神族(綿津美氏)を祀る神社があったと推定する。
 古代には【祀と政】は一如のものと考えられたが、大和政権は政権樹立後も皇統につながる祭祀が定まらなかったと考えられる。そのため、チュウアイテンノウ(仲哀天皇)、オキナガタラシヒメ(息長帯姫、のちの神功皇后)、が九州に西征したが、海神族(綿津美氏)に祭神の引渡しを求めたが海神族(綿津美氏)はこれを拒み、うまくいかなかった。この遠征中にチュウアイテンノウ(仲哀天皇)は死去、オキナガタラシヒメ(息長帯姫)はチュウアイテンノウ(仲哀天皇)の遺児であるオウジンテンノウ(應神天皇)とともに畿内に帰還する。
 ジングウコウゴウ(神功皇后)は、

    アマテルオオカミ(天□留大神・□は文字なし氏の下に一.、「祗」の右の旁)
    から、
    アマテラスオオミカミ(天照大神)。

   ソコツワダツミノカミ(底津綿津見神)
   ナカツワダツミノカミ(仲津綿津見神)
   ウワツワダツミノカミ(表津綿津見神)
    から、
    ソコツツオノカミ(底筒男神)
    ナカツツオノカミ(中筒男神)
    ウワツツオノカミ(上筒男神)
    の住吉三神を剽窃してたてたと考えられる。

 おそらく天照大神、住吉三神とも神功皇后の西征以前にはないはずである。
 筥崎宮はワダツミ氏(海神族、綿津美氏)の本拠地に皇室神である八幡宮をたて、大和政権の権威を標榜したものと考えられる。